第5話

 何かしなくてはいけないと思うのに、何をしたらいいのか全く分からない。

 相反する気持ちの狭間で美雲はゴロゴロと寝返りを打ち続けた。

 乳白色に輝く尻尾をそっと下げる。

 尻尾は既に後ろ足の間に巻き付かんばかりに下がり切っていた。

 ———どうしよう。

 一度座れば起き上がれなくなり、人をダメにするという噂のふわふわ大判クッションに寝そべりながら、美雲は前足で耳を塞いだ。

 母にねだって人間界から買ってきてもらったばかりのそのクッションの寝心地はバツグンで、普段ならすぐに美雲を柔らかな夢の中に誘ってくれる。

 だが、今日はその魔力を一向に感じられない。

 ———これじゃあ絶対に勝てない。

 黄金との化け勝負、美雲は負けたと思わずにはいられなかった。

 美雲は皆の目を気にして、評価されそうなものに化けた。

 出来はけして悪くなかった。

 だが、黄金のあの剣の重厚感は、鍛え上げられた筋肉の動く様は、瞳の怪しく輝く様はどうであったか。

 見れば見るほど、黄金の化けの対象に対する真摯さ、化け術に対する情熱が見て取れた。

 それ比べて、自分はどうであったか?

 鳳凰は満足に化けられるようになるまで苦心したものではある。

 だが、想像の再現と化け術の完成度ばかりにこだわり、対象への情熱を保てていなかったのではないか?

 "これでいい"そんな妥協があったのではないか?

 もし、より美しく、より活き活きと、と情熱を持っていたら、もっと上を目指せたのではないか?

 黄金の化けのように。

 考えれば考えるだけ後悔ばかりが募る。

 朝日が出るまで美雲は思考の海で溺れていた。



 ——次の日、放課後。

 次の化けの課題は『異性』

 実は美雲の苦手とする分野であった。

「美雲ー!」

 紅葉がいつものように背中に飛び乗ってくる。

「紅葉」

 美雲が力なく答えると、紅葉が美雲の首の横にしがみつくようにして顔を覗き込んでくる。

「く、首が……。流石に重い……」

 紅葉は背中に戻ると、後ろからぎゅっと美雲の首を抱きしめた。

「ごめんね」

 その声はとてもすまなそうで、美雲は面食らう。

「そんなに謝らなくても。首が折れちゃった訳じゃないし」

「違うよ。美雲が元気ないの、化け勝負のせいでしょ?」

 美雲が答えあぐねていると、紅葉が更に続けた。

「ワッカに冷静じゃない内は化け勝負なんてしても意味ないって言われてさ。頑張って、私なりに冷静になって考えてみたの」

 紅葉が話によると、黄金に"美雲は鼻持ちならないと噂にしなかったか''と詰め寄った時、黄金は驚いたがすぐに「俺のせいかもしれない」と言ったという。

 紅葉はそこで頭に来て怒鳴り付け、黄金を擁護した黒曜を巻き込んで大ゲンカになったらしい。

「……今だから思うんだけど、何か行き違いがあって、変な噂になったのかもしれない、って。だって、黄金はすぐに認めたし、一言も言い訳しなかった」

 紅葉は美雲の背中から降りると項垂れた。

「頭に血が登ってる時は何も見えてなかった。でも、化け勝負になって、自分から挑んでおいて絶対に負けられないって思ったら、怖くなって、手が震えて……。ワッカは気付いていたと思う」

紅葉が美雲に向き直る。

「私、ズルく逃げて、美雲に変わってもらった。ううん!それ以前に、私がちゃんと話しを聞いてたら、こんな事にはならなかったかもしれない。本当にごめんなさい!」

 紅葉は美雲に向けて、深く頭を下げた。

「紅葉」

 美雲は化け勝負になってから自分のことばかり考えていた。

 どうすればもっと上手く化けれるのか、どうすれば勝ちの判定がもらえるのか、そればかりを考えていて、紅葉がどれだけ悩んでいるかに思い至らなかった。

「紅葉、ありがとう」

「えっ?」

「私とワッカの分まで怒ってくれて」

 きっと紅葉は美雲が化け勝負に負けても、こうして美雲の側にいてくれるのだろう。

 一緒に怒ったり、泣いたり、笑ったりして。

 そう思うと、胸の奥から安心感のような、自信のようなものが湧いてきた。

「私、この勝負で見えてきたものがあるの」

 美雲は少し俯き、言葉を選んだ。

 その間、紅葉は大人しく美雲の言葉を待っている。

「私、ずっと優等生でいようとしていた。……優等生に見られようとしていた。化けの名手だっお母さんの名に恥じぬように、お父さんの親戚に馬鹿にされないようにって、化けでひとに認められることばかり考えてた。……昔はただ化けるのが好きだっただけなのに」

「うん。化けるのは楽しいよね。いっぱい想像して、好きなモノになりきって。思った通りに化けれた時は思わず踊っちゃう」

「そうだよね。それなのに、私、長いこと苦しいばかりだった。もっと上手に、あの人に褒められたい、この人を見返したい、そんなことばかりで……。楽しむことなんて忘れてた」

「美雲は一生懸命だったんだよ! それに、私だってもっと上手くなりたいし、褒められたいもん!それって、ぜーんぜん、悪いことじゃないよ」

「ありがとう。……私、この化け勝負に勝ちたい。黄金君、すごく楽しそうに化けてた。羨ましいな、って。私もそうありたいって思ったの。目一杯楽しんで、満足のいく化けをして、そして、出来たら勝負にも負けたくたくない! その為には黄金君より楽しまなきゃダメだと思うの」

 紅葉は目をパチクリさせたあと、にやりと笑った。

「楽しまなきゃダメ、なんて、優等生っぽい言い方ね」

「うっ。優等生のままじゃ勝てないって思ったのに」

「そんなこと誰が決めたの?優等生でも優等生でなくても美雲は美雲だよ」

 紅葉がぐっと握りこぶしを作る。

「よーし!そうと決まれば作戦会議よ!お菓子食べて気力養いながら、理想の異性について語り合うのよ」

「えっ? それだと遊んでるだけのような……。それに私、弱点を克服しに、美術室に行って、彫刻とか絵画を見ようかと……」

「弱点?」

 紅葉が首をかしげる。

「その。あの……。細部まで完璧に再現する為には観察しなきゃって」

「何を?」

「えっと、その……異性の……細部的な……」

 紅葉は目を座らせた。

「それ、全然、楽しくない」

 美雲は赤面した。

「作戦会議にしよ。ね?」

 美雲が黙って頷く。

「美雲は本当に真面目過ぎて、すぐ視界が狭くなっちゃうんだから」

「……ごめんなさい」

 二人は笑いながら歩き出した。


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