2.仕事探し

 行き倒れの青年をベッドに横たえた後、僕は早速生じた課題に直面していた。


「やっぱり必要なのは毛布か……」


 僕が使っていた布団があるけど薄っぺらい上掛け一枚だけだし。健康体の僕ならいざ知らず、衰弱している人にそれだけでは心許ない。


 毛布とか食料品は後で買いに行くとして。


 寝室を出て、隣の部屋へ入る。そこは僕の衣服や服飾品などが置いてある。私物と言っても、帝国のスラムに来てから買いためたものでノーザンにいた時より高価じゃないものばかり。だけど、ないよりマシだろう。

 なるべく分厚い布のものを選んで、寝室に戻る。浅い呼吸をしている魔族ジェマの青年の身体の上に覆うように、一枚一枚丁寧に厚手のコートとかセーターなどをのせる。


「ごめんね。すぐにあたたかい毛布を買ってきてあげるから、待ってて」


 聞こえていないかもしれないけど、言わないよりはマシだった。


 上着の内ポケットにある財布からお金を出して、我が家の家計状況を確認してみる。


「……百クラウンかあ。こりゃ仕事でも始めなきゃ買えそうにないな」


 実を言うと、生まれてから今まで僕は働いたことがない。王子だったのだから当然だ。

 王都なら職業斡旋所でまず働き口を探すんだろうけど、この街ではそうはいかない。


 スラムでできる仕事って何があるんだろうか。

 


 * * *

 


 とにもかくにも、元手は百クラウンだ。

 盗みや殺しは却下。そんな行為に手を染めるくらいなら死んだ方がマシだ。


 それにしても計画性がないにもほどがあるな、僕。経済的に余裕があるわけじゃないのに、行き倒れの人を拾うとか。

 だからと言って放っておけたのかと問われれば、放って置けなかっただろう。まるで物みたいに無造作に捨てられて、さ。


 またイライラしてきた……。怒りっぽいところが僕の欠点だ。


「あっ、ノア兄ちゃんだ!」


 今の僕は目が据わっていたと思うんだけど、声をかけるなんてすごい勇気だな。

 いや。純真無垢な子どもだからできる芸当なんだろうか。


 声の主には覚えがあった。スラムで数少ない、僕の知り合いだ。


「ルーエル、元気そうだね」


 笑顔を貼り付けて振り返ると、笑顔全開にして子どもが駆け寄ってきた。もちろん魔族ジェマ。無造作に伸ばした薄い金髪の少年ルーエルは、他のスラムの子どもと変わらず、色がすっかり抜けたボロボロの服を着ている。


 僕がスラムに来たばかりの時、怖い顔をした大人達に囲まれて襲われていたところを風魔法で助けて以来、この子は時々こうして声をかけて慕ってくれている。……まあ、その一件で〝風刃のノア〟だなんて、変なあだ名がついたんだけどさ。


「うん、元気だよ! ノア兄ちゃんがこの間作ってくれたスープのおかげでね」

「それは良かった」

「でも、野菜や調味料高かったんじゃないの? この間、メインストリートの市場のぞいたらすっごく高かったけど」


 するどいな。

 なんでバレるんだ。スラムの子どもって買い物する時は、野菜よりパンとかクッキーみたいなすぐ食べれるものを物色するものなのに。


「まあね。でも、多少高くても栄養のあるものは食べた方がいいんだよ。きみみたいな子どもは特にね」


 見た目は十歳に満たない子どもなのに、ルーエルはしっかり者だ。生き抜くだけでも必死なこのスラム街で生活しているせいかもしれないけど、他の同年代の子どもよりも色んな物事をよく考えている。また、僕みたいな大人にも気を遣ってくれる。


「子どもって……。そりゃ、おれはガキだけどさ。ノア兄ちゃんだってそんなに違わないと思う」

「そんなことないよ。こう見えて僕は今年で百六十歳だし」

魔族ジェマはほんとの年なんて関係ないもーん。見た目がその人の精神年齢だって言ってたのノア兄ちゃんじゃん」

「そうだっけ?」


 とぼけても、ルーエルは納得せずに頰を膨らませたままだ。ここは僕が折れるしかないかな。

 降参して、苦笑いをする。


「ま、その通りだけどね。魔族ジェマの大人から見たら、僕もまだ子どもの域を出ないかも。……それにしても、僕が教えたことよく覚えてるよねぇ」


 本当に関心する。

 教えると言うよりも、思いついたように知っていることを一度だけ話しただけなのに。彼は何気なく与えた知識をひとつひとつ瞬時に吸収して記憶している。やっぱり子どもの能力は計り知れない。


「だってノア兄ちゃんはそのへんの大人より物知りなんだもん。話を聞いてるだけでも面白くって」

「それは良かった」


 笑って、僕は金色の頭に手をのせて優しく撫でる。

 僕よりも小さくて、僕よりも純粋な心を持ったルーエル。薄い金色の髪は、ノーザンに残してきた大好きな妹を思わせる。だから僕も、彼を見ると世話を焼きたくなるのかな。


「そういえばおれ噂で聞いたんだけど、死にかけの吸血鬼ヴァンパイアを拾ったんだって?」

吸血鬼ヴァンパイアと言っても魔物じゃないよ? ちゃんとヒトだよ」

「もー、分かってるよー。ノア兄ちゃんのことだから、助けるんでしょ?」

「まあね。でも今の僕の手持ちじゃ、彼に毛布を買ってあげることも難しくて。だから何か仕事しようかなと考えてたんだけど」


 思いつかなくてと続けて言うと、ルーエルは腕を組んで考えてくれていたようだった。

 うーんうーんという声が外にもれていて、思わずクスリと笑みがこぼれる。


 いくら可愛くても笑ったりしちゃダメだよね。せっかく僕のために一生懸命考えてくれてるんだし。

 けど、緩んだ顔を元に戻すのは難しい気がする。


 そうやってぐるぐる考えながら黙ってしばらく見守っていると、ルーエルはパッと顔を上げた。琥珀色の目が僕の顔を見上げる。


「ノア兄ちゃんにピッタリの仕事あるよ」

「ほんと? 言っとくけど、殺しや盗みはなしだよ」

「大丈夫だよ。そういう後ろ暗いことに手を染めたくないなら、商売しちゃえばいいんだし」


 なるほど、そうきたか。

 たしかにスラムのメインストリートでも店を出している人は多い。


「商売を始める資金にしては、僕の手持ちは心許なさすぎるかな」


 なにせ百クラウンだし。数日分の食費にはなるけど、上等の毛布を買うには少し足りない。

 苦笑混じりに答えると、ルーエルは口端を持ち上げてにんまりと笑う。


「大丈夫。扱う商品はすでにノア兄ちゃんが持ってるから」

「僕が?」


 首を傾げると、笑顔で彼は頷く。


「スラムにおいて最も必要とされるモノ。それは〝情報〟だよ」


「……情報、か」


 考えたこともなかった。スラム街では、形がなくても売り買いが可能となるものがあるのか。


 思考の海に沈もうと顎に手を添えようとした時、ルーエルに腕をガシッと取られる。細い腕でどこから力が出るのか。

 乗り出すように顔を近づけてきて、彼は琥珀色の目を輝かせて言った。


「だからさ、ノア兄ちゃん! おれとコンビを組んで、一緒に情報屋やろうよ!」






「それで、どうやって情報屋を始めればいいの?」


 スラムのメインストリートを外れた裏道を歩きながら、僕はルーエルに話しかけた。足を止めずに、彼は僕を見上げる。


「まずは情報を集めることだけど、情報収集に良いところ知ってるんだ。まずはそこに行っておれがお手本を見せてあげるね」

「そっか、さすがスラムの先輩だね。僕なんか、最近になってようやく安全な買い物できる場所を見つけ出せたってところだよ」

「おれはスラム長いもん。生まれた時からここに住んでるんだしさ」

「ふーん」


 いわば、帝国のスラムがルーエルが生まれ育った故郷なのだろう。この子はゴミ溜めみたいなこの街で、どのように生きてきたのだろうか。


「ルーエル、きみのご両親は?」

「んー、覚えてない。気がついたらひとりだった」

「……そう」


 親がいない子どもは、スラムではそう珍しくもない。

 この街で暮らす子どもたちは孤独を抱えて生きている。周りがそうだから、そういうものだと思っている。ルーエルも例外ではない。


「きみは親に会いたいって思う?」


 なんとなく聞いてみた。ルーエルはきょとんとして、琥珀色の目を瞬かせる。


「あんまり考えたことないなあ。親はおれのことを捨てたのかもしれないし、もしかしたら死んじゃってるかもね」

「ふぅん」


 意外だった。この子にしては淡白な感情だ。親の記憶がないからなのかな。


「ノア兄ちゃんは?」

「——え?」

「ノア兄ちゃんは、親に会いたいって思うの?」


 無邪気な笑顔で聞いてくるルーエルを目の前にして、僕は思わず口を歪ませてしまった。


 この子は弱い子どもなのだから、なるべく傷つけないようにしなきゃ。

 僕の中で沸き起こる感情を落ち着かせるため、ため息をひとつ吐く。


「全然思わない。だって父親は、僕をスラムに棄てたからさ」

「ええ!? そうなの?」

「うん。あ、でもスラムと言ってもここじゃなくて、遠い国のスラムにだけど。今度機会があったらルーエルに話してあげる」

「分かった。じゃあ、その時まで待ってるね。……あっ、ここだよノア兄ちゃん」


 そう言って、彼が立ち止まったのは年季の入った煉瓦造りの建物の前だった。看板を見て、僕は絶句する。


「ここって、酒場じゃないか」

「うん、そうだよ。早く入ろうノア兄ちゃん」

「いや、でも……」


 僕が反論する前にぐいぐいと背中を押してくる弟分。止める間もなく、僕は店の中に入らされてしまった。



 * * *

 


「また来たのかルーエル。おめえにはまだ早いって言ってンだろーが!」


 店に入るなり、カウンターの中にいる魔族ジェマに怒鳴られた。

 おそらく、彼が酒場の店主なのだろう。背が高くて、ガタイがいい。たぶん部族はワーム人狼ワーウルフ


「いーじゃん、マスター。いつもお酒じゃなくてジュース飲んでるだし。それにほら、今日はおれより年上のノア兄ちゃん連れてきたしさっ」


 ぐいいっとマスターの前に出される。まるでエライ人に貢ぎ物として差し出されているような気分だ。

 髭面のマスターは品定めするかのように、僕を眺めている。そんなにジロジロ見ないでよ。……正直、気分が悪い。


「却下。たしかにお前よりは年上だが、俺からすればまだケツの青いガキだな。背も小せえし」

「誰がチビだッ!」


 考えるよりも、身体が先に動いていた。

 カウンター越しでも構わなかった。よじ登ってマスターの胸ぐらをつかんで、思いっきり睨んでやる。


 しかしマスターは、冷静な表情を崩さなかった。


「言ってねーよ。そうやってすぐにカッとなるのがガキつってんだ」

「うるさい!」


 図星だった。認めたくはなかった、けど……。


 だからと言って、酒場の店主とやり合うのも馬鹿馬鹿しい。ここには喧嘩しに来たわけじゃない。

 だんだん沸騰していた頭も冷めてくる。


 僕は手を離した。カウンターからしぶしぶ下りる。


「おめえ、部族は?」

「……人狼ワーウルフ

「へえ、俺と同じじゃねえか」


 マジかよ。


「にしても、小せえなあ。人狼ワーウルフの奴らはそのくれえの年頃になると大抵背がでかくなるもんだけどな」

「うるさい。僕の地雷を何度も踏むな! これでも気にしてるんだ」


 わしゃわしゃと僕の頭に手をのせて撫でてくるものだから、マスターの太い腕を思いっきり払ってやる。

 背が低いからって子ども扱いされるなんて、腹立たしい。この上ない屈辱だ。


「だろうな。で、何しに来たんだおめえら。まさか酒場強盗しに来たわけじゃねえだろ」

「なにさ、酒場強盗って……」

「最近突撃かましてきた奴らがいたんだよ。売上金よこせって、大勢の仔狼達が襲ってきてな」


 ふーん。そりゃ災難だね。悪いけど興味ないや。


「へえ、大変だったね。お金は無事だったの?」


 頭は冷めても機嫌はおさまらなくて、面白くなかった。けど、ルーエルは至ってマイペースで、カウンターの椅子に座って機嫌よく笑っている。


「無事だったって言いてえところだけどな、盗まれたさ。ガキだからと言って甘く見てたってのもあるが、さすが人狼ワーウルフのガキ共だ。俺がガキの一人をとっ捕まえている間に、ガキの仲間が店の金庫をまんまと盗みやがった。アイツらの居場所を突き止められたら、ブン殴りに行きてえところなんだがなあ」

「そっかー。奪われたお金はもう使っちゃってるだろうしねぇ」

「そういうコトだ」

「マスター、おれ知ってるよ。仔狼達のアジト」


 明るいトーンの声はそのままに、ルーエルはにっこりと笑った。椅子の上で足をパタパタさせて、上目遣いで店主を見る。


「本当だろうな」

「当たり前だよ! おれが間違った情報あげたことないでしょ」


 子どもの満面の笑顔と睨めっこするガタイのいい大人、という構図はなかなかに面白い。

 沈黙が宿ってから、数刻後。

 マスターは深いため息をついた。


「何が欲しい?」

「んーとね、あったかい毛布!」


 思わず肩がはね上がり、ルーエルを見る。けど、確信犯なのか天然なのか、彼は僕に視線を移すと笑みを深めた。


「毛布だあ!? まだ寒くなるには早いだろ」

「いーじゃん。今どうしても必要なんだよお」


 不可解な顔でマスターはルーエルを見ていたが、彼はにこにこと笑っているだけだった。深いため息をついて、店主は首肯する。


「まあ、いいだろ。それで手を打ってやる。だから、奴らの場所を早く教えろ」

「いいよ。アイツらのアジトはね——」


 頰杖をつきながら明るい声マスターに情報提供を始めるルーエルに、僕は驚きを隠せなかった。


 無力な子どもだと思っていた。この子は弱いから、守ってあげなきゃいけないと。

 けれども、それは僕の思い上がりだったのかもしれない。

 自分よりも身体の大きな大人相手に、なんて堂々と交渉するんだろう。


 百年以上の月日を城で守られながら過ごしてきた僕とは違って、ルーエルは強かな子だ。

 食べ物にありつくのでさえ困難なこの街で、この子は生き抜くための術を磨いて、幾つもの修羅場をくぐってきたんだろう。


 今まで彼のことは庇護対象として見てきたけど、どうやら僕はその見方を改めなければならないのかもしれない。

 





「はい、ノア兄ちゃん」


 酒場を出た後、ルーエルは両手で抱え込んでいた厚手の毛布を僕に手渡してきた。

 弟分の満面の笑顔を見てから、僕は首を横に振る。


「もらえないよ、ルーエル。それはきみがマスターと交渉して得た報酬だ」

「もらってよ、ノア兄ちゃん。この前おれに作ってくれたスープのお礼。高い野菜や調味料を買ったせいでお金なかったんでしょ?」


 やっぱりバレてる。鋭い。


「それにノア兄ちゃんはおれの命の恩人だもん。こんなことくらいしかできないけど、恩返しさせてよ。今毛布が必要なんでしょう? 吸血鬼ヴァンパイアのヒトを助けるために」


 ……たしかに、背に腹はかえられない。こうしている今でも彼は弱っているだろうし、一刻も早くあたたかくしてあげた方がいい。


「分かった。素直に受け取っておくよ。本当にありがとう、ルーエル」

「どういたしまして」


 彼からもらった毛布はふかふかだった。これなら弱っているあの彼も、身体を休めることができるだろう。


 もちろん、与えられるままで済ますつもりはない。

 今後はルーエルに任せきりにしないために、僕も働かなくては。


「今度、僕にも教えてよ。情報収集と交渉のやり方」

「うん、いいよ。おれたちコンビだもんねっ」


 笑顔全開で思いっきり抱きついてきたので、僕はルーエルの金色の頭を撫でてあげた。


 ボサボサで汚れていたけど、小さくてやわらかくて。


 心優しいこの子に触れていると、身体の中心がじんわりとあったかくなる。本当の家族みたいに、愛おしくてたまらなかった。

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