眠り

 姉妹が布団を並べて眠っている。姉は首筋を枕に預けるように顎をやや高くして、片手を頭の横に、もう一方の手を胸の上に置いている。妹は横向きに深く毛布をかぶって顔の前に両手を置いている。二人とも規則正しい寝息を立てている。姉の布団の方が居間との敷居に近く、妹の布団が窓側にある。

 そして妹の布団の横で狐が丸くなって眠っている。手足と鼻の先を太い尻尾の下に敷き込んで温めている。姉妹が明りを消した時は居間のラグの上に居た。一度起き出して寝場所を変えたらしい。

 部屋の中は暗く静かだ。何の物音もしない。風が窓を揺することもない。水滴がシンクの底を叩くこともない。世界そのものが眠っているような静けさ。

 しかし狐は何かの気配に気づく。その耳が微かに揺れる。頭を持ち上げ、同時に目を開ける。部屋の天井の隅の方をじっと見据える。でもそこには何もない。何も見えない。何も聞こえない。

 何もない。

 もしかしたら狐が見ているのは現実のものではないのかもしれない。現実には存在しない、想像の上の何物か。狐の目だけがそれを捉えている。いや、もしかしたら目に見えるものでもないのかもしれない。ただ視界に重ねられた想像として、狐の頭の中だけに存在しているものなのかもしれない。

 狐の呼吸がほんの少しだけ速くなっている。体を動かしたせいだ。もちろん息が上がっているというほどのものではない。ゆったりと落ち着いている、でも眠ってはいない。そういった速さ。

 そうした狐の呼吸の微妙な変化に妹が反応する。眉間に皺を寄せ、布団の下へ潜っていこうと肩を動かす。背中が上になる。あくまで無意識の動き。もっと深い眠りを求めようとする体の反応。

 しかし自らの体の動きが彼女の意識を刺激する。うっすらと瞼を開く。目は光を捉えるが、視覚はまだ眠っている。瞼は無意識に任せて再びゆっくりと閉じていく。そして完全に閉じようとするその瞬間に意識が覚める。

 彼女は中空をじっと見上げている狐の横顔に目を向ける。瞼を開けたその時の姿勢のまま、表情のままでじっと狐を眺めている。表情といっても顔の筋肉のほとんどは弛緩している。唇は薄く開き、額はすっきりとしていて皺ひとつない。彼女はそのまま五分くらいじっとしている。そうして真夜中の世界を自分の中にインストールしていく。自分が何者なのか。どこに居るのか。これは私が普段生きているのと同じ世界なのか。たぶんそうだ。昨日は十一時半に眠った。暗い。まだ朝ではない。夜だ。眠るべき時間。

 でもなぜ狐がここにいるのだろう。それは本当にそこにいるのだろうか?

 彼女は上になっている左手をおもむろに持ち上げる。それは磁力に引かれるかのように滑らかに動き、やがて狐の鼻先に近づく。彼女の指先は狐の温もりを捉える。その熱は少しずつ周りの空気を温めている。窓の下から差し込む冷気を遮っている。

 そして彼女の指先がは狐の鼻先に触れる。毛並みを確かめながら額へ、首筋へ。狐は彼女の手の動きに合わせて目を瞑り、耳を後ろへ寝かせる。彼女は何度か続けて撫でる。狐はを見つめるのをやめ、再び床の上に顎を置く。そして目を瞑る。

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