午前零時半の言ノ葉

 言葉にしなくても心が通じ合うなんてきっと嘘だ。人間そんな上手いように出来ていない。言葉にしなきゃ伝わらないことなんて山ほどあるし、言葉にしたって百パーセントが届くわけじゃない。嬉しいも悲しいも好きも嫌いも、届けって思って言葉にしなきゃ、ぜんぶを飲み込んでもらうのは難しい。一緒に過ごす時間が増えるほど、オレはそれを痛感している。


「たーに」


 オレより大きめの背中に抱きついた午前零時半。大学のレポートという名のノートパソコンに向かい合っていた谷は、少し眠たそうな目で振り返る。

とりあえずジッと見つめてみると、戯れたいだけだろうと判断されたらしい。すぐにノートパソコンへ視線を戻されてしまう。ほら、やっぱり何も伝わらない。オレがお前に抱きつけることがどれほど重大なことなのか、お前はちっとも分かっていない。


「たーにりょーたくんってば」

「なんだよ、もう少しで終わるってのに」

「お腹すいた」

「…………」

「うどん食べねえ? オレ作るから」

「こんな時間にかよ……」

「夜中のうどん最高」

「太るぞ」

「いいじゃん、いいじゃん」


 そういうのがさ、と付け加えると、谷がまたオレの方を見る。お腹に回した腕をぎゅっとさせる。オレの耳と谷の耳をくっつける。


「こんな時間にさ、一緒にうどん食うっていうのがさ。なんか、いいじゃん」

「………………」

「食べる?」

「……ん」

「よしよし」


 谷は相変わらず言葉数が少ない。きっとコイツは、伝わらなくていいと思っている。オレへの気持ちだとか、自分の気持ちだとか、そういうのがあまり伝わらない方がいいと思ってる。どうしてそう思うのかオレはよく分かっていないし、実際谷がどう思っているのかも知らない。これからのこと、オレたちのこと。言葉にしなきゃいけないことは、たくさんある。伝えたいこともたくさんある。


「……柿本」


 最近になって気づいたのは、あれコイツ結構オレの名前よく呼ぶ?ってことだ。それも友人から「谷くんって柿本くんのことめちゃくちゃ呼ぶよね」と言われてから気づいた。

 台所に移動し、鍋に沸かしたお湯へうどんを投入していると、谷がいつのまにやらオレの後ろにいる。振り返ろうとする前に、今度は谷の腕がオレのお腹に回る。


「お、珍しい」

「…………、」

「なんだよー。言えよお」


 谷の顔がオレの髪にうずめられる。こうされるのは結構嫌いじゃない。


「……、今日……」

「うん?」

「…………」


 谷は言葉数が少ない。だけど、伝えようとしているときが増えた。オレをそれは取り零さないようにしたいと思う。かすれた小さい声も、ぜんぶ。


「…………だきしめ、て、寝たい」


 うどんがぐつぐつと音を立てる。谷の胸にもたれかかる。


「聞こえなかったなあ」

「じゃあいいもう」

「うそ、ジョーダンだって」


 鍋に出汁の素を入れる。ふわふわと出汁の香りが部屋に立ち込める。


「いいよ」


 毎日だって、と付け加えることは出来ない。それはコイツを苦しめる言葉だと知ってる。

 谷の手に自分の手を重ねる。指を絡める。手の平をすりあわせる。オレだけの指、手。コイツを構成するものすべて。


「口からうどんの匂いさせながら寝ようぜ」

「……歯は磨けよ」

「情緒がねえなあ、お前は」

「うどんの匂いは情緒か……?」


 言葉にしなくても心が通じ合うなんてきっと嘘だ。すべてを言葉にするのも、きっと正解じゃない。オレたちはずっと、手探りでそれを見つけていくしかない。

 でも、その努力をしていくのなら。

 やっぱりそれは、お前とがいいよ。

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