第27話 お見舞い

その日の午後。

若店長と紫は揃って『画家の花屋』を出る。

紫の持つ藤のカゴには出来上がったばかりの三個のアレンジメントが入っていた。


病院まではたった十分。


手を繋ぐ若店長の手の指に三箇所テーピングがされている事に紫は気づいた。水の冷たい季節になると手が割れて痛くなるからテーピングは欠かせないらしい。


「店長の手酷いですね」


「ああ、毎年だからね。慣れたよ」


「どうか早く治りますように」


紫は若店長の手にそっと唇を添えて言う。目の前から自転車の学生がラブラブカップルを目の当たりにしてジロッと眺めながら通り過ぎて行った。若店長はにやける口元をもう一方の手で覆う。


(やばい、この間まで僕も妬む側だったんだが……まさかこれは夢じゃないだろうな)


十一月も間近な寒い日だったが若店長は熱くて仕方がなかった。いつまでもいつまでも、こんな時間が続くといいな………、そう思いながら歩く僅か十分ほどの時間も距離も余りにも早く過ぎて行ってしまった。



新田の病室は五階。516号室。


「紫ちゃん、見て」


若店長が待合室にいるアガサと雰囲気がよく似た感じの男性を指し示す。こんな病院には合わないような派手なひらひらの服を着て綺麗に化粧をしている。一目でゲイと分かる。


「アガサが病院に貼り付けさせた見張りだよ。

如月が来ないように一日中見張ってくれる」


若店長はさも面白そうに言うが紫には気が気ではない。


「厳重ですね。そこまでしなくても、とか思うんですけど……。あっ、店長のしてる事に反対じゃ無いんですよ。こうするしか如月さんの進入を防げないって事は分かってます。でも……」


「でも?……如月には物凄い反感を持たれるのは承知の上だよ。僕はあいつに嫌われてもどうって事は無いからね」


若店長はあっけらかんと言い放つ。可哀想な恋をした如月の気持ちなんかお構いなしといった感じだ。


「店長は、まだ私が如月さんにこだわってると思って嫌ってるんですか? 私はもう何とも思ってないから……」


紫が若店長をじっと見上げてくる。


「もう少し如月さんに優しくしてやってほしいです。

花を扱ってる時の店長みたいに……」


若店長は紫がそんなふうに自分を見ているのかと驚くと共に如月に連れない態度でいた事を少々反省する。

紫は結構見ている子なのだ。


「わかったよ。優しく、ね。優しく……」


「店長、如月さんはゲイだってことを忘れちゃダメですよ。私よりも店長みたいな人に嫌われたくない、そう思ってるはずです」


紫が意味深な言い方をする。若店長も咄嗟にそれに感づいた。如月が若店長にその気があったという事らしい。


「おいおい、辞めてくれよ。その気は僕にはない」


慌てて首を振る。


「無いのが問題なんです。恋する気持ちは突然やって来るのに相手は全く見向きもしてくれないノーマルな存在だったら悲しいでしょう。

如月さんはきっと……、そういうことがあったと思いますよ」


「なるほどねー、同性を好きになる奴ってほぼ、まず、恋愛対象として見てもらえないからな。僕も如月見てそういう感情は全く湧いてこない。初めから苦労が多いわけだ」


だから、もう少し優しくしてあげて。紫がそう言ってくるが、無理なものは無理。と、若店長は心の中で呟いていた。



五階の長い廊下を歩いて行くと ナースステーションの横を通り過ぎる。中にいる何人かが二人に注目してくる。さすがにその時には手は繋いでいないが、

(視線がキツイ……)

紫はそう思いながら足早に通り過ぎた。


516号室——、四人部屋だった。好都合。


カーテンを開けると久しぶりに見る新田がベッドの上で眠っていた。若店長と紫は顔を見合わせる。


(どうしよう?声かける?)


(いや…………、帰ろうか)


こそこそと二人は話す。


すると人の気配に気付いたのか新田裕介が目を覚ました。意識がまだはっきりしないのだろう。二人を見ても反応がない。


「新田さん……」


若店長がそっと声を掛ける。やがて数週間前に聞いたあの優しい低い声が返ってくる。


「やあ、画家の花屋の店長さんでしたか。………紫ちゃんも………そう………」


新田の瞼が再び閉じる。

また、眠ってしまったのだろうかと思うほどたっぷりと間があく。新田の体は薬物と放射線の治療で相当酷い副作用が出ているようだった。

まどろみの中から意識が戻り新田は目を覚まし、また二人を認識した。


「冬哉………、如月はどうしてますか?」


か細い声でいきなりそんな事を聞いてくる。

若店長は指を小刻みに動かしてしまう。


(イライラする。この人の心の中にいるのは、排除しなくてはならない人だ。

もし、譫言ででも如月冬哉の名を口走って妻に聴かれでもしたらどうする気だ)


若店長は心底新田の心配をしているというのに、如月の事のが気になるとは情け無い思いだった。

とは言え新田にわざわざ会いに来る理由はあのバラの事と如月冬哉の様子を伝えに来ているのだから、自分達は同じ穴のムジナ。一連托生になりつつあるのを感じずにはいられない。


(全く嫌な事に首を突っ込んじまった。それでもやるしかないな……)


新田は横になったまま、若店長と紫の取り留めない話を聞いていたが、時々胸の辺りが苦しくなるのか唸り声を上げて身をよじった。

心配になって紫は若店長の横顔を見上げる。


(大丈夫……、なのかな?)


紫が目で問いかける。

若店長は紫には優しく大丈夫だよと声をかけるが、新田を見つめるその眼はとても厳しいものだった。


手短に話を終え、若店長は持って来たテーブルアレンジの花束をそっと机に置くと紫の背中を押して出ようと促す。


「新田さん、早く元気になってね」


紫がカーテンを閉めながら手を振るのに新田も手を振って答えた。



ちょうど病室を出る時一人の女性とすれ違う。

三十歳過ぎの背の低い中太りの女性。若店長はその人を凝視して見送り、新田のいるカーテンの向こうに消えて行くのを確認した。初めて見る新田の妻だった。


「ママー」


その女性を追い駆けるように八歳位の女の子が足元を駆けて行く。新田の娘だ。

髪をショートカットにした目のまん丸い子だった。


「しーっ、しーっ、カナエちゃん、病院では大きな声を出しちゃダメよ。パパ起きちゃうでしょ」


「はーい。でも、カナエは起きてるパパに会いたいな……」


二人はカーテンの向こうに消えて行く。紫も彼女達を見守り若店長に目で確認した。


もし……、と紫は思う。


(もし、私が如月さんなら新田さんの妻と子供を前にして彼に会いになど到底出来ない事だと思う。

怖い。

大切な人の家族を壊そうとしている自分が一番怖い。

悪魔のような存在になってしまっている自分が、哀れでしかないだろう。たった今逃げだすのが最善の方法だと思える。

大切な人だから嫌われる前に……

そして、忘れてしまう事だと。

 でも、もし新田さんが死んでしまったら——さよならも言えなかったら——後悔してもしきれない。

それでもやっぱり会いには行けない人。辛い恋をした如月さん……)


紫は自分の事のように如月の辛い恋を悲しんでいた。



若店長はナースステーションに寄りテーブルアレンジの花束を二つ置いて行く。

八名ほどいる看護士の目が一斉に振り返り興味深げに見守って来た。


「えっ、これくれるの?」


顔見知りのベテラン看護士が嬉しそうに微笑む。


「ええ、どこかに置いてやって下さい」


「いつもありがとう。可愛いわねー、とりあえずはここに置かしてもらうわ」


「ありがとうございます。また持ってきます。もうすぐクリスマスだし、いつも生けてる花もクリスマス風に変えようと考えている所です。

楽しみにしてて下さいね」


「へぇー、自信満々ね。期待してるわよ、若店長」


「それじゃあ」


若店長は看護士達に向かってとびきりの笑顔で一礼する。本人としては単なる営業スマイルなのだが、元々ルックスがいいだけに女性には意味有りげな優しい微笑みに見えてしまう。

これが勘違いの素になる。

看護士の全員が勘違いしている前で紫も丁寧に頭を下げてから若店長の後を追った。止まっていた看護士が一斉にかしましくさえずり出した。


「何——、嫌みな子ー」

「可愛い子ねー」

「目ぇキラキラの子だったー。可愛いい!」

「バイト? 本当に? バイト以上になってるわよねー。もう、ひっついちゃった?」

「若店長ロスきた——。泣き———」


がやがや騒いでいるそこへ新田の妻、新田ユイが若店長達が置いて行ったテーブルアレンジの花束を持って現れた。


「あら、新田さんどうされましたか?」


「あのぉー、これ………、うちのベットサイドの上に置いてあったんですけど……」


「あっ、それ、新田さんも貰われたんですかね?

いつも来る花屋さんのですよ。ほら、私達もたった今二つも貰っちゃいました」


ナースステーションの受付台の上には赤を基調としてバラやカーネーション、スイトピー、カスミ草が可憐に舞う妖精のような花束が置いてあった。

新田ユイが持って来たものと合わせて同じ物が三つ。


「こうやってサービスで時々置いていかれるんですよ。よかったら貰っちゃって下さい」


「でも………、見ず知らずの花屋さんから何の理由もなく貰うのは………」


「だーいじょうぶ、大丈夫。あげるって言うものは遠慮なく貰っとけばいいんですよ。

サービスなんだから。ダダ、ダダ! ははははははは」


「はぁ……」


新田ユイはナースステーションに置かれた二つの花束と、たった今理由もわからず自分の所に置いてあった花束を見比べる。不審がっているのだろう。ベテラン看護士が気を効かせて言ってみる。


「大丈夫ですよ。病院に出入りのある公認の花屋さんが作られた物ですから。時々サービスでそこかしこに置いて行かれるんです。

病人の方に少しでも元気になって貰いたいって………。

安心して受け取って下さい」


なかなか貴徳な花屋が今時あるものだなとユイは感心してしまう。


「そうですか。では、遠慮なく頂きます」


納得したのか彼女は花束を持ち帰った。


ベットでは新田裕介がその花束を見るなり安心したように呟いた。


「よかった、捨てられてしまったかと思ったよ」


「捨てなんかしませんよ。ただ誰から貰ったかわからないから気持ちが悪かっただけよ。花束を貰うのは歓迎だけど、花束見て元気になるんだったら医者なんか要らないわよ。ねぇ」


「………、そうでもないよ」


新田が哀しそうに妻の顔を見上げ、机に置かれた花束をじっと見つめた。


「とても綺麗だ」


新田はそれだけ言うとまた深い眠りに落ちていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る