第20話 今日が最後

やがて空がオレンジ色に染まり始めた五時前。


ちょうどいつも新田が来店する時間に、当の新田が若店長と共に戻ってきた。

首を長くして二人の帰りを待っていた紫と百合が声を揃えて「お帰りなさい」と叫ぶ。


「ああ」と若店長がいつになく仏頂面で答える。


(何かあった? しかも悪い方?)


毎日若店長に付き合う母百合と紫は速攻で若店長の異変を嗅ぎとる。


「店番ご苦労様、紫ちゃん」


新田がそう声を掛けてくる。


「あ、お母様にも、若店長をお借りして申し訳なかったです」


「いえいえ、いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます。

ウチの子が少しでも役にたてば何よりですわ」


コロコロと百合は笑う。


「ええ、僕としても願ってもない事です。たった今店長とも話して来ましたが、まだ当分こちらにはご面倒をおかけすることになりました。

今まで通り如月にバラの花を届けてもらえるようにお願いしてきました。

どうか今しばらく僕のワガママにお付き合い下さい」


そう言って新田は紫と百合に深々と頭を下げる。慌てて止める百合。

一緒に帰ってきた若店長が紫と目を合わせるとコクリとうなづいてきた。若店長は全く笑っていなかった。

その顔を見て紫はますます嫌な予感しかしない。


新田はその日もバラを一本、今日は——赤色の映える情熱という品種——を選んだ。紫が素早くラッピングする。


「上手いもんだね、紫ちゃん。君に頼んで良かった。仕事がとても綺麗で丁寧だ」


「ありがとうございます」


こうして時々新田は紫を誉めてくれた。三か月ほど顔を合わせ、数分間だけ言葉を交わしただけなのに、紫には新田の優しい人柄が伝わっていた。

如月との秘密の儀式の事は何も話してはくれないが、紫達を信用してくれていると思えた。

若店長の言葉が思い出される。


(花屋は花を届ける人の裏方だから、決してお客様のプライバシーに介入してはならない)


それが功を奏しているのだろう。何も詮索してこない店側にあえて秘密を打ち明ける必要はないのだ。


「いつもありがとうございます。今日も如月さま……」


そう言った時だ。


まだ五時前だというのに走ってきたのだろう、息を弾ませたままの如月冬哉が店先に現れた。

店にいた全員が「あっ」と驚いて固まってしまう。

そして一番驚いていたのは新田裕介だった。


「冬哉……」


驚いた新田に反して如月は紫たちが見たこともないような満面の笑みを見せていた。


「ごめん、新田。もうあの約束から三か月経つし、今日なら会えるかと思って……、会わないって約束したけど……ごめん……」


そう言いながらまだ入口に立っている。

新田は如月を唖然と見つめている。

如月もしっかり見返す。


「すいません、今日は……」


そう言うと新田はいつものバラを持って如月に駆け寄る。如月が新田の首に腕をからめ抱きついていく。二人は人目もはばからず唇を重ね出した。

激しいキス。

幾度も幾度も唇を重ね抱きしめ合う二人。

紫は思わずくるりと身を背ける。


(こんな激しいの………恥ずかしくて見てられない)


そんな紫を見て若店長は紫の頭をポンと軽く小突く。


「紫ちゃんにはまだ早いかな?」


そうからかってくる。


紫がきぼうの白いバラのように穢れを知らない無垢な存在なのは明らかだった。


「早くないもん」


そう言いながらも紫はもう顔を上げようとはしない。


紫が見ていたのは如月冬哉の外見だけだ。内面を見たら根本的に生理的に紫には理解出来ないだろう。

彼の恋は特殊なのだ。

紫は自分が何も理解しないまま如月を好奇心だけで見ていた事を反省する。何も見ていなかった………。それを改めて感じた紫だった。



新田と如月は店先で紫たちに軽く一礼すると、二人並んで店を後にした。

長身の新田が、少し背の低い如月を見下ろすように話しかけている。


元気な新田と如月が二人揃って歩くのを見たのは、その日が最初で最後だった。

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