第14話 百万本

午後の病院は診察もひと段落し、予約の患者がポツリ、ポツリと広い廊下を行き交っている。

ちょうど紫が三階のエスカレーターを降りようとしていた時だった。


「紫ちゃん」


そう声をかけてきたのは他でもない新田裕介だった。紫はビックリして慌てて挨拶を返す。


「こんにちは」


思いっきり腰をおる。


「珍しいね、紫ちゃんが花の交換をしてるなんて。今日は店長はお休みですか?」


新田は気軽に紫に話しかけてくる。『画家の花屋』以外で会うことはないし、今まで会話もそれほどなかった。紫は少し緊張してしまう。


「店長は今日はお休みです。……と言いたい所ですが、花屋の展示会に参加しに首都圏まで行ってます」


「ほぉー、そんなのがあるんだ。そういうのにわざわざ行くとは、彼は勉強熱心だね」


「はい。とても素晴らしい方です。

店長はあのお店の三代目なんですが、三代目は生き残る為に時代遅れになったらダメなんだそうです。革新していかないといけないって言ってました」


「立派だよ。そういう前向きな姿勢は。彼はまだまだ成長してお店も繁盛しそうだね」


「はい」


紫はとびきりの笑顔を新田に返す。若店長を誉めてくれる人は、それだけで神様だと思える。


二人は一緒にエスカレーターに乗り一階まで降りた。病院の総合受け付けを横目に通り過ぎると玄関はすぐそこだ。


(もっと話していたいな。バラの贈り物の事、如月さんの事、あっ、これはお客様のプライバシーだから聞いちゃダメなんだったっけ。

それじゃあ……)


「新田さんが病院ってどうかされましたか?」


そう聞いてみる。これもプライベートだけど……


「ああ、ちょっと検査があってね。少し前から続けて行ってるのさ」


「そうなんですか」


続きを聞くのがためらわれた。一介の花屋の店員がお客様のプライバシーをどこまで聞いていいのか? それとも、新田は親しい友人だろうか? 友人なら、もっともっと図々しく聞けるのだろうか? 紫には分からない。


「今日は少し早いけど、お店に寄って行こうかな」


玄関を出ると新田がそう言ってきた。


「わぁ、ありがとうございます。たまには長居していって下さい。百合さんが喜びますから。新田さんって百合さんの亡くなられた旦那さんに背中が似てるって、よく言うんですよ」


「背中がですか?」


「そう、背中が」


二人はなんとなく笑う。


「顔はもう忘れちゃったんだそうです。写真見ないと思い出せないって。現実の世界にはいい男がいっぱいいるから、そっちを見るのが忙しいからだって……」


新田は声をあげて笑っている。


「面白いお母様なんだね」


「はい、面白い方です。雨森家の人はみんな面白いんですよ。若店長も冗談ばっかり言うし。でも、とっても優しい人です。私にも花束くれましたし……」


紫はあの庭での花束を思い出す。途端に顔が紅潮してくる。まだあの花束の意味を若店長に確認したわけでもないのに。勘違いだったら本当、自分、恥ずかしい。


「あっ、余りもので作ってくれるんですけど、ね」


慌ててこの間の説教の後にくれたカップ・アレンジの花束の事を思い出して取り繕う。


「いや、それでもそういう事がさりげなく出来る彼は素敵だね」


「ちょっと気障っぽいですけど」


「いや、いや、紳士的なんだよ。女性を大切にする心得を知っている。信頼出来る人だ。僕が見込んだだけの事はある。だてに『画家の花屋』を受け渡し場所に選んだ訳じゃないからね」


紫はどうしても、新田がなぜこんな秘密の儀式のような事をするのか聞いてみたくなる。

如月に毎日、毎日、バラの花束を一輪。

不倫の仲だから隠れるように。

バラの花に「愛してる」の気持ちをこめて。

毎日来店するのは、決して楽な事ではない。

今なら聞けるような気がした。


(若店長に怒られても……)


「あのっ……」


「百万本……」


「えっ?」


「僕が如月に送るバラは一日一輪。毎日、毎日、長く、長く、愛してるの気持ちをこめて送っている。

でもね、冬哉はその何倍も僕を愛していると言ってくれた。だから、送るバラを何倍にもして返してやるって、それこそ、百万本のバラにして返してやるって言ってくれた。

それが、こんなバラの贈り物をするきっかけだったかな。

おかしな事をする人達だと、ずっと思ってただろうね。だから、今話しとくよ」


「いえ、そんな事ないです」


ちらりと若店長の言葉が頭をよぎる。


(花屋は主役に関わる存在じゃない。花を褒めてもらえたら、僕は最高だけどね)


「バラも喜んでいます。こんな素敵な使い方をしてもらって」


そう返してみる。


「薄々気付いてると思うけど如月と僕とは不倫の関係だけど、バラはそう言ってくれるかな?」


「はい。好きなものは好きでいいと思います。泥沼になっても、好きな気持ちは止めようがないから。会って言葉で伝えられないならバラはその代わりをしてくれます。きっと……」


「ありがとう」


新田は優しく微笑んだ。彼の目尻に笑いシワがよる。ステキだな、と紫は思った。


「いらっしゃいませ。画家の花屋へ」


ちょうど店に着く。


店番をしていた百合が一緒に入ってきた二人を見て驚いていた。




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