第32話ようじょと初めてのワイン会 in フレンチレストラン!【締め!:チーズとワイン】
「おっ、”ロックフォール”じゃん」
「”ロックフォール”とはフランス産のブルーチーズで、日本では”三大青カビ系チーズの一つ”と云われております。これにはちみつをかけて食べますと非常に美味でして、貴腐ワインに置き換えると更に」
羊子さんの反応を、梶原さんが丁寧に説明してくれた。
そう言われては試さないわけにはいかない。
寧子は早速、皿に盛られた青い斑点が浮かぶチーズへフォークを向かわせる。
多分少しだけが良いんだろうと思って、ほんの一欠けらフォークですくい口へ運んだ。
ほんの少しでも強烈なツンとした香りと、かなり強めの塩気を感じる。
だけどそれ以上に旨みが口いっぱいに広がってゆく。
どちらかといえばこういう味わいは、好きな方だと寧子は思った。
そうして、梶原さんのおすすめ通り、貴腐ワインを小さな口へ流し込む。
「はわぁ~……ふぅ~……!」
思わず頬が緩んで、自然と喜びのため息が漏れた。
ブルーチーズ独特のツンとした香りと、貴腐ワインの豊潤な甘い香りが絶妙に混じり合った。
強い塩気がワインの甘さで軽減され、代わりにチーズの深い味わいが口いっぱいに広がってゆく。
この感覚が心底心地よく、一口、もう一口とチーズとワインを交互に運び続てしまう。
(ワインといえばチーズ……こういうことだったのですか!!)
そういえば前に無作為にワインのことを調べた時、『コース料理で最後の辺りに出て来るチーズは最良のワインと合わせた方が良い』と書いてあった。
今日のワインの中でも、きっと希少性の高い”貴腐ワイン”は値段・味共に最良のものといって過言ではなかった。
さすがはフレンチレストラン。
ここに来て、きちんと大事なワインと、真正面から向き合えて本当によかった。
そう思う寧子なのだった。
「こんばんは」
心地よい響きと鋭さを併せ持った声が響いて、寧子はチーズとワインから顔を上げる。
何故か部屋の中にはビストロ グリ モワルのシェフ:影山 景昭さんが現われていたのだった。
いわゆるアレか。”シェフを呼べ!”というやつか?
「今夜の料理はいかがでしたでしょうか? 宜しければお声を聞かせていただきたく思いまして」
「また腕を上げたね、影山さん?」
真っ先に感想を述べたのは、この面の中でたぶん一番グルメなのだろう御城羊子さんだった。
「ありがとうございます。御城様にそう仰っていただけて光栄です」
「オードブルのカルパッチョは面白かったね。あれだったらソアヴェとか、グリューナー・ヴェルトリーナーなんかと合わせても良いね」
「いえ――あれは甲州ワイン専用料理でございます」
どことなく影山さんの語気が強いように見えた。
心なしか、羊子さんのことを睨んでいるようにも見える。
すると、羊子さんはにやりと笑みを浮かべた。
「いやいや、それはないでしょ。あれだけ懐の深い料理だったら、甲州ワインよりも――うん、やっぱグリューナーあたりの方が良いよ、きっと」
「ご意見痛みいります。しかしでしたら私は、いや! 俺はわざわざ甲斐サーモンを使っていません。ノルウェー産などを使います」
「あっ、ピノグリージョあたりもいいかも!」
「俺の話を聞けーぇっ!」
影山さんが咆えるが、洋子さんは全く動じない。
「俺は今甲州ワインだったからこそ、山梨をリスペクトし、甲斐サーモンを選んだ! あの料理の相棒は甲州ワイン以外ありえん!」
「ステンレスタンクで仕込んだシャルドネでも良いかもね。やっぱさ、海外のワインと合わせてみようよ」
「断固拒否する!」
「えー、いいじゃん。うちのワインとやってみようよ?」
「その提案は駆逐、破壊、殲滅!」
一触初発のような空気が立ち込める。だけど、ソムリエの松方さんも、梶原さんも特に気にした様子は無かった。
「あ、あの、喧嘩してますですよね……?」
「あはー。あれじゃれ合いだから気にしなくていいよ」
と、寧子の脇にいた松方さんが答えてくれた。
「景昭と羊子さんって調理師学校時代の先輩後輩で、いつもあんな風に卒業までいちゃいちゃしてたんだって」
「社長は中退、ですけどね」
梶原さんと松方さんは喧嘩のように意見をぶつけ合う、影山シェフと羊子さんをほのぼのと見つめている。
だけど喧嘩というか言い争いの内容は、専らワインのことで、よく分からない専門用語が連呼され続けている。
「そ、そうなんだ!……」
沙都子は羊子さんと影山さんの言い争いに感心しつつ、必死にスマートフォンでメモを取り、
「満足ネ……くぅ~、かぁ~……」
お酒にあんまり強くないクロエは既に机に突っ伏して鼾をかいている。
立派フレンチレストランでのてんやわんや。
だけどこういう雰囲気も嫌いじゃない。
そう思う、お腹も心もすっかり満たされた寧子なのだった。
●●●
「随分気前良かったじゃない。チーズをサービスするだなんて。これはどういうことかしら」
営業を終えたビストロ グリ モワルのホールに、黒髪のウェイター:智さんの声が響く。
テーブルクロスを畳んでいた松方さんは、踵を返して、
「もしかして焼いてる?」
「ば、ばっかじゃないの! そ、そんなこと……」
「まぁ、確かに石黒さん、智みたいにネコっぽかったし、好みっちゃ好みだなぁ」
「そ、そ、そうなんだ。ふーん……」
「でもまぁ、智が一番だから。俺、智のこと大好きだから!」
「なっ……! な、何言ってんのよ、いきなり……」
智さんは嬉し恥ずかしと言った具合に顔を赤く染めて、そっぽを向く。
そんな態度は素直じゃないけど、気持ちはまっすぐな智さんのことが、松方さんは大好きだった。
「まっ、サービスした理由は二つ。一つ目はあのラフィさんが”敢えてここ”を紹介したからだよ」
「確かに。あの子達ってラフィさんのお店の子達よね? だったらあっちのお店でワイン会をすれば良かったわよね?」
「たぶんさ、ラフィさん、あの子達に違った経験をさせたかったんだと思うよ。よりワインを深く知って貰いって想いでね」
「なるほど。じゃあ二つ目は?」
智さんがそう聞くと、松方さんは少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「二つ目は……楽しみながらもっとワインを好きになって貰いたかったからかな。俺みたいにワインを始めたばっかのころ、色んな人にメタメタにされて、その悔しさでソムリエになった……なんてならないようにさ」
「……そっか」
「そうそう。お酒は楽しく、料理も美味しく! 学びはその後からでも。飲んで知って、知って飲んで、もっともっと好きになって、人生を豊かにする。よき料理とよきワインがあればこの世は天国、だからさ!」
「また、それ言ってる」
智さんは演説みたいにそう語る松方さんを見てクスクス笑う。
彼女も、そんな松方さんが大好きだった。
「なんか今日は気分が良いや! 一杯付き合ってくれる? サンプルでもらった良いカルヴァドスがあるんだ」
「ええ、勿論。せっかくだからみんなで飲みましょうか?」
「二人きりじゃなくて良いの?」
「い、良いわよ、今日ぐらいは……もうバカミッキーさっさと片付け終わらせなさいよ!」
素直じゃない智さんはずかずか松方さんを横切ってゆく。
ビストロ グリ モワル。
なんだか魔導書みたいだけど、素敵なスタッフのいる暖かいフレンチレストラン。そこは今日も明日も明後日も、一人でもたくさんの人に美味しいワインと料理を提供できるよう元気いっぱいで営業し続けるのだった。
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