天使のキス。

 白い花びらよりもややくすんだ布をギリシャ神話に出てくる様な着方で身に纏い、胸元は大きく開かれて厚く逞しい胸板が半分近く露出している。真っ白な翼は引き締まった身体に添えられる様に折り畳まれ、ベッドで横になって頬杖を付いているさまは、少女漫画でよく見る朝チュンのよう。バクバク。と脈打つ鼓動は、イケメンの天使に対してなのか。はたまた驚いた事に対してなのか……多分後者だろう。


「夢じゃない……?」

「そ。正確に言えば、あの世とこの世の狭間……かな」

「狭間……」


 改めて周囲に目を向ける。何の花かは分からないが、真っ白な花弁を目一杯に開き、青白い空に向かって咲かせている。それが地平線まで続いていた。ラノベや漫画で良く目にする台詞、『花畑が見えた』って実在したんだ。と感動すると共に、オヤ待てよ。と首をひねる。


「……って事は、私死んだの?!」

「そうだね」


 ぶっきらぼうに返答したイケメン天使。ベッドの上で胡座をかいて座り直すと、胸元から何処にあったんだそんなもん。と思える程に分厚い本を取り出した。


「ええっと……あ、あったあった。鮎沢加奈、早慶大学の三年生。享年二十歳だね。死因は……」


 ゴクリ。と唾を飲み込む。


「急性アルコール中毒」

「きゅっ?!」


 ああ……思い出した。ついさっきまで飲み会に参加してたんだ。酔いが回って良く覚えてないが、勧められるがままに飲んでいた気がする……そんなんで死んだのか私。


「ん? どうかしたのかい?」


 真っ白なお花畑で四つん這いになる私の後頭部に、イケメン天使から声が掛けられる。


「なんでも……何でもありません……」


 我ながら何という死因なのだろうか……


「それじゃあ、貴方は私を迎えに来たんですね?」

「うんそう。聞き分けが良くて助かるよ」


 中には死んだ事を認めずにゴネる人も居るのだとか。大切な人を遺してきたのなら気持ちは分かる。だが、ゲームが途中だからとかそんな理由はどうなのよ。


 かくいう私は……短い人生だったな。と思うくらいか。高校時代から付き合っていた彼とはつい最近別れ、新しい恋を模索している所だった。強いて言うなら、この美貌が勿体無い。自分で言うのもなんだが……


「あ、あれ……」


 ポタリ、ポタリ。知らずに零れ落ちた水滴が、白い花弁を揺らした。


 違う。聞き分けが良いんじゃない。私だって本当は生き返りたい。どんな些細な理由をつけても生き返りたい。だって二十歳、まだ二十歳だよ? 花で例えるなら、花開く寸前の蕾。色鮮やかな花を咲かせて、錦を飾るつもりだったのに……


 目を瞑れば、パパとママの優しい顔が思い浮かぶ。裕福な家庭に生まれ、何不自由無く育った私。パパは何かにつけて私の側に居たがった。『パパ、ウザい』って言ってやったらションボリしてたっけ。ママはいつも私の味方についてくれた。おっとりしてて料理が上手で、私の目標だった。すぐにハグしてくるのが難点だったけど。


 そっか、もう会えないんだね……


「その気持ち。良く分かるよ」


 カサリ、カサリ。と花を踏み締め私の側でしゃがむと、イケメン天使は私の頭に手を置いた。


「だから、キミにチャンスをあげよう」

「グスッ……え? チャンス……?」

「そう、チャンスだ。今キミには二つの選択肢が与えられている」


 そう言ってVサインを出すイケメン天使。選択肢……えっ、ええっ!? それってまさかっ!


「一つは、このままじご──天国へ行く」


 オイマテ。今地獄って言い掛けなかったか?


「そして二つ目は……」

「ふ、二つ目は……?」

「二つ目は──」


 何なのよこの天使ひと。クイズ番組並みに引っ張るわね……


「──異世界に転生出来る」

「…………は?」


 異世界? 転生? 一体何を言っているの?!


「い、異世界……?」

「そ、異なる世界と書いて異世界」


 分かっとるわ。


「血湧き肉躍る、剣と魔法のファンタジー世界さ」


 五月蝿い黙れ。


「な、何で異世界?! ソコは普通、元通りに生き返れるとかじゃないの!?」

「んー、その辺を説明させて貰うとだね。既に炭化した人が生き返ったら、みんな驚くでしょ?」


 おおいっ、言い方っ!


「そ、そんなの、神様なんだから時間を巻き戻して──とか出来ないの!?」

「いやあ、出来なくはないんだろうけど、お忙しい方だからね。流石にそんな面倒くさ……時間を取らせる訳にはいかないのさ」


 面倒くさいってアンタ……


「神様ってそんなに忙しいの?」

「ああ忙しい。毎日書類の山に埋もれているよ。確か……自宅に帰ったのは、二億年前って言ってたな」


 それは働き過ぎのレベルじゃないっ、休ませてあげてよっ! 天界って超ブラック企業なのっ!?


「どうかな? 天国か異世界か。二つに一つ」

「でも異世界ってアレでしょ、モンスターとかが居る世界よね」

「うん、居るね」

「ソレって人を襲うよね?」

「うん、特に女の子のお肉が柔らかくて美味しいらしいよ」


 そんな追加情報は要りませんて。


「折角生き返っても、モンスターに殺される危険がある訳でしょう?」


 モンスターもそうだけど、種族間とか悪の親玉とかと戦争している様な世界じゃ、平和な地球で生まれ育った私なんか、あっという間に殺されるに決まってる。


「まあ、転生を望むのなら、『不死』を与えても良いそうだよ」

「そんな竹の膨らみを貰った所で、何が出来るっていうの?」

「その節じゃない。殺されても死なないって事」


 ああ、そっちのフシね……やだ、バカ丸出しじゃない私。


「これがあればモンスターなんか恐るるに足らずさ。ついでにボクの権限で『不老』も付けて、『不老不死』にしてあげるよ」

「いいの? そんな勝手な事をして」

「まあ、事後承諾させるさ」


 その言い方、これじゃどっちが神様なのか分からないな。


「どうかな……? 今のキミのままで転生。『不老不死』によって死ぬ事もないし、その美貌もそのままだ。悪い条件では無いと思うけど?」


 確かに悪い条件じゃ無さそう。だけど気になる点が一つ。


「どうして、そうまでして異世界に行かせたがるの? 私に何かして欲しい事でも……? 例えば、悪の親玉と戦え、とか?」


 私の言葉にイケメン天使は、キョトンとした表情で応える。


「いやいや、キミが今から行く世界は平和そのもの。悪の親玉──つまり、魔王と呼ばれた存在はもう居ない。だけど、キミが言った様にモンスターが跋扈ばっこする世界には戻りたがらない人が多くてね、こっちも困っているんだ。だからキミが行ってくれるのなら非常に助かる」


 そりゃそうか。モンスターに殺された人が、また殺されるかもしれないけど戻って。と言われて頷く人はまず居ないわな。


「本当に何もしなくて良いのね?」

「ああ。魔物と戦う道を選ぶも、のんべんだらりと過ごすのでも構わない。そこはキミの自由だ」


 言葉にトゲがあるように思えるのだけど? のんべんだらりって……


「だから、安心して第二の人生を謳歌してくれ。それだけで、あちらの世界は安泰する」


 現世とは違う剣と魔法の世界。悪の親玉は居ないけど、魔物が跋扈し命の危険が伴う世界。正直言って怖い。だけど、『不老不死』があれば、それも気にしないで済む、かな。


「もう一つ聞いて良いですか?」

「ん、何かな……?」

「私がもし天国行きを望んだら、転生はいつ頃になるんですか?」

「え……? えーっと……キミの転生は今から約五百年後。転生先は──」


 て、転生先は……?


「ゴキブリだね」

「異世界に行きますっ!」


 Gになるくらいなら、Gになるくらいならっ、異世界こっちの方がマシだっ!


「まあ、そうだろうね。では、手続きを始めよう」

「きゃっ、ンンッ?!」


 腕を腰に回され、逞しい胸板に引き寄せられる。そして、重ねられた唇。閉じた口を強引に押し開けて、ナニカが私の中に入り込む。どれくらいの時間が経ったのだろう? いい加減頭がクラクラし始めた頃、私の中を蹂躙していたイケメン天使の口が漸く離れた。


「ふわぁっ……。な、何をするんですかいきなり!」

「旅立つキミへ、ボクからのささやかなプレゼントさ。あっちに行っても困らないように、ね」

「だ、だからって舌まで入れる必要はあったんですかっ?!」


 イケメン天使を直視出来ない。耳まで微熱を感じる。多分私の顔は、熟れたトマトの様に真っ赤になっていると思う。


「キスってそういうモノだよ?」


 そうだけどっ。フレンチキスとかあるでしょうっ!? よりにもよってディープしなくても……


 ついさっきの事を思い返し、顔から益々熱を発していると、真っ青な空から輝く光が浴びせられた。所々に真っ白な羽根が舞っている。


「どうやら準備が整ったようだ。これでお別れだね。それでは、良いセカンドライフを」


 まるでアブダクションの様に、光の柱を昇ってゆく私を見上げて微笑みながらそう言った。

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