第9話 ハシカ

中谷が爺さんから龍の話をされてから半年が過ぎた。


「最近中谷さん、少しおかしくないっすか」

「うん、俺もそう思うよ。なにしろ、話しかけても口きいてくんないのよ。どうしちゃったの」

「それに、やたらに怒りっぽくなっちゃってさ。この間も俺、誤配したら

『給金半分だ』なんて怒鳴るし」


「男のメンスじゃないの。最近、学会で発表されたらしいよ。

やっぱりあるんだって、男にも」

「馬鹿言え。お前だけだよ、あるのは」


中谷の言動の変化が、皆の噂になるようになってから店の雰囲気も妙に息苦しくなり、配達員同士の間にもちょっとしたことで角が立つことが多くなった。


ある日、中谷が所長に呼ばれた。


「お前、ここんとこよう頑張ってるらしいけど、店長になりたいんと違うか。

今度、来年もう一店舗オープンするさかい、そこは大森に任せてこの営業所で店長やってみるか」

「、、、、、、」

「でも、あまり他の配達員に厳しすぎるのは良くないでー。

頑張ってもらうのは有難いことやけど、いいのが辞めていってしもたら困るやんけ。

そこんとこうまくやってや。ええな」


関西出身の所長は、業界のすご腕で、どんな荒馬も使いこなしてきたことで多くの人間から一目置かれているが、中谷の変化をあまり快く思っていなかった。



中谷はこの半年間、自分の体の中に宿っている龍について考えない日は、一日もなかった。

自分は十七年の間、一体何をしてきたのだろう。今、こんなことをしていてもいいのだろうか。

始めのうちは、ガン箱に両足突っ込んだ爺さんに言われたことなど無視しようとしたが、一度体内に感じてしまった龍は、そう簡単には居なくなりそうもない。


バイクに乗って風を切るときも、背中にしょった龍が、中谷をそのまま天に連れ去ってしまうような錯覚を起こし、赤信号を何度か見逃したほどである。


「俺は選ばれた人間として、人生をもう一度出直す必要があるのかもしれない。

それも、この世の中のために。

でも、俺は一体、何をしたらいいんだ」


中谷はイライラした日々を送った。



或る休刊日の午後、久しく立ち寄らなかった本屋にふらっと入ってみた。

何気なく、ビジネス書のコーナーにある本を手に取ってみた。

企業人や政治家の立身伝をパラパラめくっているうちに、それらの何冊かを買ってみることにした。


「俺はこの人たちのようになるなるべき人間なのかもしれない。

なのに、何で俺は、新聞配達なんかしてるんだ」

夜中、新聞が到着する時間になると自然に目が覚めて、いつの間にか新聞を配っている自分にハタと気が付くと、自分の情けなさに腹が立った。


中谷は焦った。

仕事も日増しに荒っぽくなっていった。新米に対する朝刊の後の不着の指摘など、とうの昔に忘れてしまっている。

言われなくなった方も全然気づいていないほどそれは自然なものではあったが。


「ベテランの中谷さんが、最近、誤配、遅配、不着はするし、集金もどん尻なんですよ。どうなってんですか、所長」

事務員の中年女性が訝し気に尋ねた。


「あいつ、ハシカにかかったんや。ホームページおけ」

署長は吐き捨てるように言った。


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