005『大天使ヒメエル』

 放課後、俺はノ割に続いて部室に向かって歩いている。休み時間に、先程の文芸部の話しを聞こうとしたが、「後でね」とはぐらかされてしまった。

 ノ割は教室––––というか、人目のある場所ではYouTubeの話題を避ける傾向があるのが分かった。

 例の「街を歩けなくなる」が関係しているのだろう。

 街を歩けなくなる––––意味合いとしては、プライベートが無くなる的な事なのだろうか。

 買い物をしたり、映画を見に行ったり、ご飯を食べたり。

 そんな事をするたびに、写真を撮られ、話しかけられ、有名税を払う事になる。

 目立ちたがりからすれば、羨ましい限りだが、有名人が眼鏡をかけて、マスクを付けて、帽子を被っている事から察するに、おそらくプライベートが無いというのは、相当厄介な代物なのだろう。


「俺も伊達眼鏡買った方がいいかな、変装用に」


「必要ないでしょ」


 あっさりと否定された。そりゃそうだ、チャンネル登録者三人だし。溜息が漏れる。


「溜息なんてついてないで、早く入りなさい」


「はいはい」


 ノ割が部室の扉を開き、俺もそれに続いて入室した。

 部室には相変わらず人は居ない。幽霊部員は居ないとノ割は言っていたが、現状から察するに、それは間違いだ。


「なぁ、他の部員は来ないのか?」


「そのうち来るわよ」


 曖昧な返答である。気が向いたら行く並みに曖昧である。


「あっ、そうだ」


 ノ割は何かを思い出したように、一台のパソコンを指差した。


「ハルにあげるわ」


 いつの間にか、コイツからもあだ名で呼ばれていた。別に嫌でもないし、文句があるわけでもないので、その事には触れずに、要件を伺う。


「あげるって、何を?」


「これよ、これ」


 ノ割はパソコンのモニター上部をツンツンと突いてみせた。


「まさか、そのパソコン一台くれるのか?」


「編集するのに必要でしょ、自由に使ってもいいわよ。あ、エロサイトとかは見ないように」


「見ねーよ!!」


 何はともかく、この部室はYouTuberとして活動するならば、最適な機材が揃っている。絶対に高そうなカメラ、日焼けしそうなほど眩しい証明、前に大物YouTuberが「百万くらいしました!」と、言っていたような気もする見覚えのあるパソコン。

 学校の設備としては、出来過ぎである。


「なぁ、ノ割、ここの設備って––––」


「そこの冷蔵庫の中身以外は、好きに使っていいわよ」


 質問を遮られ、冷蔵庫を指差された。中を開けると、マヨネーズが入っていた。


「マヨネーズ?」


「姫先輩が好きなの」


 俺は「姫先輩?」と首を傾げた。


「ここにあるのも、全部姫先輩が購入したものだそうよ」


「姫先輩ぱねぇ!」


「それと、聴きたい事があるんじゃないの?」


「そうだった」


「あたしの髪の色のことね」


 全然違う––––全然違うのだが、ノ割は勝手に話し始めた。


「あたしの家、美容室なの」


「だから、そんなシュークリームの中身みたいな色してるのか」


「せめてクリーム色といいなさい」


 ちなみにこの学校は頭髪の色にうるさく無い。校則が緩い。クラスでも黒髪ではない生徒を、何人かは確認出来た。

 まぁ、大体は茶髪で派手髪なのはノ割だけなんだけども。

 そんな派手髪さんはパソコンに続き、今度は俺の頭頂部を指差した。


「ハルも染めたら? YouTuberはやっぱり派手髪よ」


「いやだよ」


「今ならあたしがタダで染めてあげるわよ、ちょうどオレンジの染料が余ってるのよねぇ」


「余り物の処分をしたいからって、人の髪をオレンジにするなよ!」


 だいぶ話が逸れてしまった。俺は「そうじゃなくて」と、先程山口が話していた内容をノ割に聞いた。

 文芸部に入部するのが、難しい件だ。


「あぁ、それね。このユーチュー部は、実は他の生徒には秘密の部活なの」


「なんでまた……」


「姫先輩よ」


 また姫先輩である。


「その人がどう関係してるんだ?」


「彼女がね、あんまり、人を入部させたがらないの」


「…………俺は?」


「あたしがお願いしてあげのよ」


 ノ割は姫先輩なる人物と面識があるご様子だ。


「なぁ、ノ割も昨日入学したばっかりだよな」


 ノ割は眼鏡を外し、レンズを拭きながら「そうね」と短く答える。


「なら、なんでその部活の事とか、先輩の事とか知ってるんだ?」


「あたしは入学前から、部室には来てたのよ。そもそも、この高校に入ったのだって、ユーチュー部があるって、知ってたからよ」


「どこで知ったんだ?」


「姫先輩に声をかけられたの」


 またまた姫先輩である。


「なら、姫先輩っていう人もYouTuberなのか?」


「分からないの? あの超大物YouTuberの『姫ちゃんねる』の姫ちゃんよ」


「なんだって––––––––––––––––!?」


「声がデカ過ぎよ」


 驚きのあまり大声を出してしまった。それも無理はない。『姫ちゃん』はチャンネル登録者数三百万人を超える、超大物YouTuberである。天使のように愛らしい顔に、大きなバストを合わせ持つ、ミス銀河系に選ばれてもおかしくない美少女YouTuberだ。

 まぁ、可愛いと言っても、どちらかと言うとお姉さん系の綺麗と言った方がしっくりくる外見なのだが、それでもやっぱり可愛い。美人で、綺麗で、可愛い。

 女性に対して言われるポジティブな表現が、全て当てはまる––––そんな感じだ。


 ネットでも「大天使ヒメエル」だとか、「戦争をも終わらせる可愛さ」だとか、「この惑星の最高傑作」とか言われていたりする。

 動画内容もパンにマヨネーズをかけてそれを食べるだけで、再生回数五百万を軽く超える。

 一言も喋らずに、ただただパンにマヨネーズをかけて、食べるだけ。

 可愛い––––ただそれだけの理由で、これだけの再生数を稼ぎ出す。『姫ちゃんねる』の『姫ちゃん』は、正真正銘の本物である。


「姫ちゃんはもしかして、この学校の生徒なのか?」


「三年の先輩よ」


「……って事は、姫ちゃんに会えるの⁉︎」


「そのうち来ると思うわ」


 ノ割は素っ気なく先程と殆ど同じような台詞を言いながら、PCを立ち上げてヘッドホンを装着した。ゲームでもするのだろうか。

 バーチャルYouTuber『いちの』はゲームが上手い事で評判だしな。

 俺は邪魔をしないように、そのゲーム画面を後ろから眺めながらはやる気持ちを抑え、考えを巡らせる。


 姫ちゃんがこの学校に居るのは分かった。だが、入学前にそんな話は聞いたことがない。

 姫ちゃんほどのYouTuberであれば、多少は話題になる筈だ。ただでさえ、可愛いから目立つしな。


「………………分かんね」


 どうやら俺には推理力があんまり無いらしい。

 答えは全く出ない。答えを知ってそうなノ割は、ゲームに熱中しており、邪魔をするのもどうかと思ったので、俺は暇つぶしも兼ねて、再び推理に戻ることにした。意外と考えるのは好きらしい。


 だが、俺のシンキングタイムは唐突に終わりを告げる。いや、答えに辿り着いたから終わったのではなく、外的要因に気を取られて強制終了したのだ。

 部室の扉が開いた。ガチャリと、音を立てて。

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