〈ゴースト・セクサロイド〉 - 16P

  彼女は、ふっと自然に湧いて出たようにおぼろげに、けれどあまりにも軽薄にそれを言葉にした。ぼくは自分の耳を疑いそうになった。


「死にたいと云ったのか」

《はい》


 ぼくはすぐにその理由を聞けなかった。あまりにも突拍子すぎて、なんと返せばいいのかわからなかった。

 同時に、頭のなかでは驚きと好奇心のようなものが芽生えていた。情報集合体が自死を願うなんていうことなんてありえるのかと――と。


《一麻くんはパフォーマーを持っていないんですよね》


 困惑するぼくの口はかろうじて「うん」と答えた。


《だったらどうでしょう、しばらくはあたしが一麻くんのパフォーマーの代わりになるというのは》


 そんなことができるのか。なんて云うよりも早く、彼女は通話を終了した。その手際のよさ、相手の都合を考慮しないさまがやけに不気味だった。機械的でいて、怪異的でもあった。これじゃまるで〈メリーさんの電話〉だ。


 ふう、とため息をついてベッドに横になる。今度はこちらから、おりょうさんに通話を申請する。


《このアカウントは存在しません》


 ぼくは思わず息を飲んだ。額に冷や汗が滲み出る。おりょうさんのアカウントは消失……。先ほどまで会話をしていた、あの女性の存在を示すものがネットから完全になくなってしまった。これはいよいよ本当に幽霊じみてきた。


 時刻は午前一時。額の汗を拭う。不気味な女だ。到底、このまま眠れそうにない。不安を誤魔化す方法を考えるけれど、再びインディーズゲームを漁るような気にはなれなかった。


 仕方ない。ぼくはパフォーマーの生成を始めることにした。夢のなかに入るまでの、この無為な時間で分身を作るためのコミュニケーションを済ませる。その会話が続くうちに気持ちも落ち着いてくるだろう。さっき見たことは明日、安藤さんたちに話す。それまではなるべく思い出したくない。正直にいうと怖いのだ。


 申請完了。まだ可視化されていないぼくの分身から「好きな人はいないのか」という最初の問いかけが始まる。ぼくと同じ声で。そのあとは「昨日なにした」「それでどう思った」など、子アバターからの様々な質問、自問自答が重なっていく。


 やがて青白い粒子が宙に舞う。親アバターの情報を基に、それらが集合してぼくのかたちを作っていく。これが情報が情報集合体となる光景だ。裸眼では視えない。点眼ナノマシンを差し、網膜ディスプレイを介すことでようやく姿を捉えることのできる妖精。ここのところアバターを作り直すたびに観ているが、ぼくはこの光景が嫌いではなかった。完全にパフォーマー化されるまで、ぼくのかたちをした子アバターはこの青白い輝きを保つ。実に幻想的な姿だ。


《好きな人はいないんですか》

「いない」


 先ほどと同じ質問だ。パフォーマー化するためのコミュニケーションのなかで、同じ内容を話すのはこれが初めてだった。ぼくは分身を見る。


「同じ質問だけど、なにかおかしいことでもあったかい」

《好きな人はいないんですね》


 ぼくは口を閉じた。子アバターから聞いたぼくの声は敬語だった。


「どうして敬語を使う。さっきから同じ質問だぞ、おい」

《ちょっとからかっただけです》


 突然、帯刀田一麻のかたちをした子アバターから、青白い粒子が飛沫のようにはじけ飛んだ。ぼくは反射的に短い悲鳴を上げる。目を閉じるのと同時に、点眼ナノがオフになる。その一瞬の間に、自分の姿をした子アバターがぐにゃりと歪んだような気がした。こんなことは初めてだった。


《ふふ、驚かせてすみません》


 ぼくはゆっくりと瞼を開き、アバターを見た。その声はぼくのものではなかった。


「おりょうさん」


 腰まで伸びた紫色の髪を弾ませながら、その人はゆらゆらと宙を漂っていた。その肌はあまりにも白く、血の循環を感じさせるに至らないほどだった。ぼくの眼の前にいるのは、間違いなく幽霊だと思った。ぼくは憑りつかれてしまったのだ。それは予感ではなく、確信めいた感情だった。けれど胸のうちにあった不安や恐怖はすぐに消えていた。理由はもちろん、わかっている。


 それは彼女があまりにも美しかったからだ。

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