〈ゴースト・セクサロイド〉 - 7P ゴースト

《次に東京都内の試験都市シブ・シティの大型情報集合体、マム・シリーズの一基である〈シロ〉が支配者としての職務を放棄。市内の仮想空間にいた猫型情報集合体と融合したのち、市外へ逃亡。伊ヶ出市のマム〈プラウダー〉の感知に引っかかり、現在は市内の仮想空間に潜伏中と考えられています》

(――大型情報集合体の逃亡?)


 前代未聞の状況じゃないか。よく落ち着いていられるものだ。


《ええ。シブ・シティは国の法律が適用されない事実上の無法都市ですから、統治するものがない場所では支配者であるマムもきわめて自由な性格です。私も〈シロ〉と話をすることはあってもカウンセリングをしたことはありません。会った回数も少ない。ですがそのような性格が災いして、こんなことになってしまった》


 どうやら自分たちが思っているよりもこの社会構造は問題だらけのようだ。市民たちの与り知らぬところで情報を統治する存在が休暇に出たという。役割を放り投げて。ぼくのなかで大型情報集合体と呼ばれる支配階級に抱いていた評価が、怠惰を理由にバイトをサボる出来損ないの学生と同等にまで下落した。

 それがぼくになんの関係があるのか。その説明は後回しのようだった。


《三つ目は独身男性の持っていたある性行為補助用情報集合体が、所有者の手を離れて野良アバター化したことです。これにより仮想世界で分身の童貞を喪失する男性が相次いでいます》

(――意味がわからない、と云いたくなるような話ばかりですね)


 特に三番目。

 その手の話に詳しいクラスメイトの西田から、クリスマス・ファシストに耐えかねた寂しい男性たちが聖なる夜を仮想世界に捧げ、意識だけでアダルティックな情報集合体と交わるという噂を聞いたことがある。クリスマスまであと数か月あるわけだが、まさか日常的に情報集合体に劣情を処理させている男がいるとは!


 嘆かわしい! 実に嘆かわしい! このような社会になる以前、ネットでは年齢制限のあるコンテンツを本人の意思で強行突破できたと聞く! それがアバター社会になってからは閲覧するのにも一苦労になったと! エロに厳しい世の中に憤りを感じる! ぼくのおちんちんも怒ってそそり立っている! 「春画規制反対!文化への冒涜である!」このようにムクムクと抗議の声を上げている! たしかにぼくはまだ十八歳ではないから、社会が認めていないことには手を出せない! それはいいとして、資産のある大人だけが仮想空間でエッチな思いをしているというのには納得がいかないぞ!


《まあ、思春期ですね》

 マナミ・ウタミヤは呆れた声で云った。ぼくは途端に恥ずかしくなった。今の思考もいくつか漏れてしまっていたのだろう。


《まずシブ・シティのマム〈シロ〉について。スターバックスで煤木理論を使った者がもし反アバター的な危険思考を持つ人物であれば、このマムを標的にしないとも限らない。ですから我々は彼女を最優先で確保したい》

(――蒐集家連中も〈シロ〉を狙うと思いますか?)

《狙うでしょうね。ですが、そちらに関しては心配していません。〈シロ〉は大型情報集合体ですから、並大抵のパフォーマーで太刀打ちできるものではない。仮想世界においては我々より高度な文明……、というより高次元の存在ですから。人工知性であるというだけで死に導ける煤木理論のほうが遥かに厄介です》

(――蒐集家が煤木理論を使っているという可能性もあるのでは)

《ひとまず彼らとは別人と考えています。彼らの目的はあくまで他者の分身を生きたまま蒐集することです。自死に追いやるというのは、それとは相反する行為ですから。

 次に野良化した性行為補助用情報集合体。通称〈ゴースト・セクサロイド〉の危険性について説明します。

 帯刀田さんは未成年者であるわけですが、「年齢」を持たない情報集合体もあなたのパフォーマーである間は性行為補助といったアダルト制限のある情報集合体に接触することを禁じられています。ですが、分身が何らかの理由で所有者から離れて野良アバターになった場合――あるいは意識だけが残留してネット・ゴースト化した場合もそうですが――「年齢」を持たない以上、情報集合体には自由にそれらを利用する権限が与えられます。それはどうしてかわかりますね》


(――アダルトコンテンツに対する制限が、人間の側に設けられたものだから?)

《仰る通りです。なので通常、パフォーマー内のアプリケーションやアバター機能に設定された年齢制限というのは、所有者の情報を読み取って施錠される仕組みになっています。そしてこのようなアダルト機能を内蔵した情報集合体の場合、その鍵は、人間側ではなく、相手となる情報集合体が持っている。例え成人してもその鍵が自動的に解除さないように、あくまで情報集合体も相手が成人しているかどうかを判断して、鍵を外すのです》


 本人の意思でアダルトコンテンツを自由に閲覧できるわけではなく、アダルトコンテンツ側がそれを外す鍵を持っている。例えもし未成年がラブドールを手に入れても、ラブドールは使用されるのを断れる。人間はエロと共に前に進んでいた気がするけど、もしそれが本当なら時代の流れは行き止まりを迎えたようだ。

 エロサイトに制限を設けても未成年の側に選択肢があれば容易にアクセスできてしまう。だから今の社会ではコンテンツ側に権限を持たせた……そんな感じだろう。なんだよもう。ぼくは憤った。そういうところは前時代のままでよい。


《ではもし、その性行為補助用情報集合体そのものが野良アバターになってしまった場合どうなるか?》


 フムン。ぼくは少しだけ間を置いて答える。


(――よほど貞操観念の強い相手以外は、その鍵を自由に外して回ることができる。ましてやそのターゲットは性に関して未成熟のままのガキだ。例え相手が仮想空間にしか存在しなくたって、エッチな恰好のお姉さんに迫られて断る少年はいませんからね。ですがそれがどうだというのです。たしかに悪影響かもしれないが、そういう青春もありだと思いますよ。今の時代の大人たちだって、世の中がこうなる前は親にバレずにエロサイトを見て育ったわけですし)


 今度は彼女が黙った。

 演壇の上のマナミ・ウタミヤは学生たちに機械服の補足をしている。


《マジレスするとパフォーマーが所持者より先に童貞を卒業した場合、ほぼ間違いなく所持者男性が反アバター主義に徹します》

「わかる」


 思わず声に出してしまったではないか。たしかに。


《眞甲斐さんの情報によれば、今〈好う候〉はこのゴースト・セクサロイドを血眼になって探している》

(――あいつらにとっては同志を量産するための切り札というわけだ。性欲を利用して信者を集めようだなんて、毛包を持って生まれた者としての誇りはないのか。その陰毛はなんのためにあるのか)


 ぼくは膝を叩いた。暴走したアダルトコンテンツ、麻痺した貞操観念が招いた思わぬ政治的戦略作戦。皮肉にもアバター文化は自らの作り上げたエロ知性によって崩壊の道を歩んでいる。このままでは反アバター派による革命が始まってしまうだろう。マナミ・ウタミヤをはじめとするアバター技術者たちにとっては由々しき事態だ。


(――これはまったく私利私欲とは関係のない極めて理知的な欲求によって知識として生じたものであり与えられて然るべき情報だと判断したうえで後学の参考ならばと身を引き締めて問いただしたい疑問なのであって決して邪な考えに基づくものではなくあくまであなたの発言から想起する自身の協力への姿勢でありその貢献をわたくし帯刀田一麻は絶対に揺るぎないものと信じてかつ下衆な劣情を唾棄こそすれど断じて卑猥な妄想など一切しない所存でありますがお聞かせ願いたい)

《早口ですね、思考通話なのに》

(――ずばり、パフォーマーと感覚共有だとかした状態でそのゴースト・セクサロイドに会えば?)

《現実と同じ快楽を得られます》


 ぼくは思わず身震いした。


「へ、へぇぇ……、ふぅぅん……。そうなんだ……、ふーんエッチじゃん? まあぼくには、一ミリも興味ありませんけれど? 頭の隅にでも置いておこうかなあ」

「オメー、なにぶつくさ云ッてンの……?」


 隣の彰人が信じられない阿呆を見る眼で訊く。


「まさか欲情してるのか……? パワードスーツに……?」


 ええい黙れ。お前たちの前では機械服のパレードが起きているのだろうが、ぼくは今それどころではない。けれどその勘違いは絶対にあとで正さなくてはならない。こいつは口が軽いから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る