〈ゴースト・セクサロイド〉 - 3P

 時刻は午後五時を過ぎていた。もうすぐ陽が沈む。

 校庭では運動部がトレーニングをしている。前時代的な野球やサッカーはまだ人気で、ああいったスポーツに青春を捧げる者たちは女子にもモテるのだろう。いそいそとトンボを引く彼らの姿を目にしながら、ぼくはオカルトマニアたちの遺産のことを考えていた。彼らはかつて、まだパフォーマーやマムといったものが世の中に芽吹いていなかったころから、日の目を見ずに〈改奇倶楽部〉の活動を続けていたのだろうか。


 校庭の隅に何人かの女子生徒が歩いている。電子競技戦に出場する部活に所属している女子たちだった。パフォーマーを用いてスポーツをする彼女らもまた、運動部同様に自身の肉体を鍛える必要があるという。そのなかでひときわ小さな少女。安藤さんの姿を見つけた。しばらくして、彼女を目で追う自分に気恥ずかしさを覚えてしまい、急ぎ足で校門を出た。


 彼女とはあれから一度だけ話した。今日の昼休み。ぼくが中庭のベンチに腰掛けて彰人や和長といっしょにお弁当を食べていたときのことだ。何人かの生徒が〈アンブレイカブル〉として注目されているぼくに話しかけてくるなか、彰人は逮捕のことについてなにも云わずバツの悪そうな顔をしていた。そんなあいつをフォローしてやろうと思っていると、「タテワキくん」とぼくを呼ぶ声がした。


「やあ」

 一言だけ返した。彰人と和長のふたりは黙っていた。〈墓石男〉の一件で、ふたりも安藤さんには痛い目に遭わされたからだ。いっぽう、その件でぼくと安藤さんの間にあった気まずさは完全に解消されていた。あのような出来事を前にすれば当然か。そういえば、ぼくはあの日、しっかり安藤さんをかばったのだなあ。


「すっかり人気者ですね」

 白々しい態度で彼女は云った。このような嫌味こそ彼女には相応しい。

 よってぼくはこのように返す。「きみのほうは泣き止んだのか?」


 安藤さんは眉間を寄せて「ぐぬぬ」と唸った。はは、気分がいいぜ。

「なあ。安藤さん」

「はい」

「きみはあの映画、観たことはあったのかい?」

 一瞬なんのことかわからなかったようで、彼女は指を口元にあてる。正直その動作はちょっと抜けているというか、賢しい物言いとは妙にギャップがあり、ありていに云ってしまえば萌えた。可愛かった。


「ありますよ、キングスマン。ていうか好きです」

 彼女はそう答えた。意外と趣味が合うらしい。安藤さんを映画に誘ったら、それはとても有意義な体験ができるかもしれない。そんなことを考える間もなく、彼女は「ではまた」と云って校舎に戻っていった。特に用事はなかったらしい。それとも、ぼくの様子が気になっていた、とか。

 安藤さんを見送るぼくを、和長と彰人は呆然としながら見つめていた。そのあと和長のやつがよそよそしく「付き合ってるのか?」と聞いたのが愉快だった。


 校門を出てから少し振り返る。もう校庭にいる彼女らの姿は見えない。ぼくはほかの生徒より頭ひとつぶん身長が大きいから、遠くにいても目立つと云われたことがある。安藤さんはぼくに気づいてくれただろうか。どうしてか、そんなことがやけに気になった。


「なにニヤニヤ笑ってるのよ」

 不意に、多々良田さんの声が背後から聞こえてゾッとした。

「気色悪……」

「やあ多々良田さん。相変わらずキビシイなあ」


 沈黙しながら、ぼくらは並んで帰路についた。口を紡いでいるときの多々良田さんの表情からは読み取れるものが一切ない。ぼくはといえば、自分自身がなにを話していいのかわからなかった。


『彰人が逮捕されたけど、きみのせいか?』

『あの日、なにを発見したんだ』

『きみは本当はなにをしたかったんだ』


 そんなことを聞きたくて仕方がなかったけれど、もし仮にとぼけられたとして、ぼくは彼女から情報を引き出せるほどの交渉材料をなにも持っていない。

 ただ、あるのは同級生が逮捕されたという事実だけだった。それを理由に彼女に問い詰めることができるほどの情熱があれば、今ごろ校庭で汗を流して、気安く安藤さんに挨拶するような青春を送れていたのかもしれない。


「なにも云わないのね」

 多々良田さんは静かにそう云った。


「彰人のことで――」

「……」

「ぼくが怒っていると思っていたなら、半分は当たりかもしれない。けれど、きみがあの件にどう関わっていたとしても、部室を貸したのはぼくなんだ」

 彼女は歩を止めた。


「自分にも責任があるから、なにも云わないの?」

 ぼくも立ち止まり、

「改奇倶楽部」

 まずその単語を口に出して、そして振り返った。多々良田さんは、やっぱりなにも顔には出さず、じっとぼくを見つめていた。


「そう書かれた看板があったと聞いている。きみの話のなかで唯一、ぼくが嘘だったと確信できるのはそれだけだ。『登山部が燃やした』と聞いていた。なのに〈改奇倶楽部〉の看板はあの日、写真部にあったんだ。そして今日は、なかった」


 またしばらく、ぼくらは沈黙した。互いに目を合わせて。

 沈む夕日を背に、飛び立ったカラスが鳴いていた。


「わたしが焼いたわ」

 そう答える多々良田さんの眼には、なにかに対する悔いの感情がこもっていた。


「スチレンボードもだ。看板のほかにいくつも出て来たらしいじゃないか。彰人が逮捕されたのは、そのボードが原因じゃないのか」

「それも焼いた。部誌もすべてね。わたしが焼いた……」

「どうしてだ」

「燃やされるべきものを燃やしたまでよ」

「それは……」

 答えになってない。そう云えるだけの、彼女を責めるだけの理由をぼくは頭のなかで探していた。けれどまだなにも見えて来ない。浮かぶのは疑問符。不可解に対する苛立ちだけだ。


「〈アンブレイカブル〉……そう呼ばれているそうね」

 ぼくは頷いた。


「タテワキくん。あなたはもしかしてあの日、スターバックスでパフォーマーたちが集団自殺したあのとき、あなたは――」

 ほんの少しためらってから、彼女は訊いた。


「〈煤木理論〉を認識したの?」

 一瞬、聞き間違いだと思った。けれどそうでないことをすぐに理解した。

 その一言で、彼女がそれまで装っていた冷静を嘘に変えてしまったからだ。膝が、肩が、ほんの少しだけ震えていた。多々良田さんがなにかに怯えているのは一目でわかった。その恐怖の原因は恐らく、彼女の脳裏に浮かんでいるのは、恐らく。


――その〈煤木理論〉に関係することだ。


 そして彼女は、あのスターバックスの惨劇に恐怖の文法が使われたという考えに思い至った。その理由もまだ不明だけれど、彼女の胸のうちにはぼくにそう訊けるだけの確証がある。


「わからない。ぼくのパフォーマーが云うにはそうだ」

「その分身をわたしにも見せて」

「無理だ」

「どうして」

「……それは云えない。ぼくはもうパフォーマーを持っていない」


 これは事実だった。あの日以来、ぼくはパフォーマーを所持していない。

 多々良田さんは静かに「そう」と云って俯いた。


「鷹木くんを逮捕させてしまったのは、わたしよ。あのとき解析アプリでスキャンしてしまった。だから鷹木くんのパフォーマーは読んでしまったの」


 日が沈み、夜が訪れる。深い闇のなかに、ぼくらは自ら浸っていくように思えた。あるいは深淵に。あるいは泥沼に。そうして気が付いたころには首もとまで飲まれていくのだろう。そのような予感が、どうしてか頭から消えなかった。


 ぼんやりとした薄闇のなかで生きたかつての〈改奇倶楽部〉は、ぼくらに凝縮した闇とも呼べる『遺産』を残していった。


「わたしが燃やしたのは、煤木理論の原本よ」


 多々良田さんは、それを元の場所へ返しただけかもしれない。

 闇のなかへ――。

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