第一幕 ◆1◆ 「降霊屋と鎧契約」

「やあやあ、降りてきましたね? あは、まだ意識がはっきりしませんか? 大丈夫ですよぅ、すぐに固定してあげますからねー」

 頭上から女性の声がする。

 甲高いが、少女特有の幼さはない声音。少し変わった声質をしていて、急に低くなったり高くなったりと安定していない。パッと頭に浮かんだイメージは「母親ガエル」である。

 喋り方からするとまだ若いんだろうに、節回しも何だかおばさんみたいだ、と失礼なことを光治郎は思った。

 しばらく、ぶつぶつと良く分からない言葉の羅列が続き、時折、女性の吐息が混じる。声もおばさんみたいなら、肺活量の方もあまり無いらしい。

 (ダメだぞ。そんなんじゃ舞台には上がれないな。基礎体力を付けて、ちゃんと発声練習もやらなきゃ。毎朝のジョギングは基本だな。そういや、最近やってなかったな。俺も人のことは言えた義理じゃないか……)

 そこまで考えたところで、あてども無く漂い始めた光治郎の意識は、現実に引き戻された。

「はぁい、起きてください。ゆっくりと目を開けて。ほらほら、もういいですよ~。起きて起きて! 朝ですよ~」 

 パンパン、と手を叩く音がすぐ近くで聞こえる。

 目覚まし時計で強制的に起こされた時のような不快感と共に、光治郎は目を覚ます。半覚醒状態なのか、意識に靄がかかっているような感覚だ。

 ──ああ、このまま二度寝したい。

 光治郎は再び目を閉じる。

「ああ、ダメですよ、ダメダメ! 寝ちゃったら形が安定しませんから! もうちょっとだけ頑張って目を開けててくださいよぅ~」

 焦ったような女性の声。光治郎の身体がガクガク揺さぶられる。

「わ、分かったよ……起きる、起きるから……ふぁあ……」

 気だるい身体に力を込めると、光治郎は今度こそ覚醒する。欠伸と共に眠気の雲が取り払われ、視界がクリアになった。


 まず目に入ったのは、大写しになった女性の顔。光治郎を起こそうとしているのはこの人であろう。光治郎が覚醒したことでホッとしたのか、身体を離すと、居住まいを正した。

 暗い色の、丈の長いローブを羽織り、首元にはマフラー。基本的に厚着ではあるのだが下はミニスカートであり、そこから覗くコーヒー色の肌が眩しい。ニーソックスに包まれた脚がスラリと長い。

 彼女の拘りなのであろうか、全体的に地味な色でまとめられている中、唯一ベストだけが明るい色で染め上げられていた。頭には複雑な意匠の入った布を巻いており、そこからは角のようなものが生えている。

 (まだ夏の暑さも残っているっていうのに、ずいぶんと厚着だな……)

 光治郎は目を瞬かせ、ぼうっとローブ姿の女性を見つめていた。いくつも灯された蝋燭の淡い光が、彼女の顔を照らし出している。その顔はやはりと言うべきか、声に比して随分と若いものであった。「幼い」と評してもいいくらいだ。しかし、何よりも特徴的なのが、

 ──耳が、長い。

 横に長く伸びた耳。それはファンタジー系のゲームや漫画で、光治郎も見たことがあるものだった。


 これは、何だ? 映画か何かの撮影だろうか。それともドッキリか。劇団の連中が仕組んだ悪戯だろうか? しかし、こんな芝居は聞いたことがない。

 ふと、彼女の背後に視線を移す。この場所を示すヒントがあるかもしれない、と期待したが、そこには暗闇しか見えなかった。ここは室内のようだが、窓は見当たらない。蝋燭の明かりはこちら側の狭い範囲しか照らしておらず、光治郎には今が朝か昼かも分からなかった。

「はーい。これで魂の固定は完了ですよー。私はヴァイオラ──ここらで降霊屋なんぞを営んでおりますの。<要塞都市アンヴリル>へようこそ、魔王さま」

 そう言ってヴァイオラは笑顔を見せる。にんまり、という形容がぴったりとくる、何かを企んでいるかのような表情。明かりが下から当たっていることもあって、より凶悪な面相になっていた。

 それよりも、彼女は今……何と、言っただろうか。そう、ごく自然な発音で、最後に付け足された言葉。何か聞き捨てならないものだったような。まさか自分のことを指しているのであるまい。そう思いながら光治郎は目を瞬かせ、ヴァイオラの顔を見つめる。そして日常生活ではおよそ聞くことがない、その単語をおそるおそる口に出してみた。

「……ま、まおう、さ、ま?」

 (馬鹿な。何を言ってるんだ、俺は。そもそも例のオーディションはとっくの昔に落ちたじゃないか……)

 嫌なことを思い出してしまった。光治郎は顔をくしゃりと歪める。

「はいぃ♪ 魔王さま。あなた様を冥府の彼方からお呼び申し上げたのは、私。ヴァイオラでございます。あなた様の魂は無事、現世に固着されました。どうです、ご気分は?」

「いや、気分と言われたって、一体ここは……」

 そう言いながら身体を起こそうとしたところで、光治郎はおかしなことに気が付いた。

 自分はベッドか何かに寝かされているのだろう、と思っていたのだが、どうも違う。光治郎が目を覚ました時から目線はヴァイオラの方を向いており、高さはちょうど彼女の腰の辺り。自分が座った状態で目覚めたのかと思ったが、どうもそうではない。身体の下に、机か何か、硬い感触がする。ということは、自分の身体が小人のごとく縮んだのか。あるいは、

 ──生首だけの状態なのか。

 光治郎は、軽く身震いをすると頭を振って、不穏な妄想を振り払う。慌てて自分の身体を確認した。

 すると、


「な、」


「な、なっ、」



「何だ、こりゃあああああああああああああああああっ!!」



 狭い部屋の中に光治郎の悲鳴が響き渡る。

 そう。ヴァイオラの降霊術により光治郎の魂が降ろされたのは、人体ではなく、動物でもなく、もちろん生首でもなく。

 

 ──ただの胸部鎧ブレストアーマーであった。


                ◇◆◆◆◇


 ひとまず、パニック状態になった光治郎が落ち着くのを待ったあと、ヴァイオラによる状況説明が行われていた。これも降霊屋の業務の一環であるらしい。


「──と、いうわけでしてぇ。さまよえる魂であったあなた様は、私の降霊術によって現世に再び呼び戻されたのでございます♪ 魔導鎧にその魂を閉じ込め──あ、いえ。繋ぎ止めるという形で」

 えへへ、とヴァイオラがごまかすように笑う。

「そうか」

 光治郎は、オカルト的なことはよく分からなかったし興味もなかったので、適当に相槌を打っておいた。降霊の技術体系や歴史的価値、社会的な意義などを長々と聞かされてうんざりしていたのだ。

 目覚めた当初の驚きは消え、光治郎は「いつになったらこの状況から解放されるんだろうか」ということばかり考えていた。

 ヴァイオラの話はさらに熱が入って行く。光治郎が聞いたことも無い神々の名を挙げ、降霊屋の社会的立場と宗教論を交えてさらに話の規模は広がり、いつのまにか体制批判へと突入している。

 まだまだ続きそうなヴァイオラの説明を聞き流しながら、光治郎は周囲をぼんやりと眺めていた。降霊の儀式自体は終わったらしく、今は部屋に明かりが灯されている。思ったよりも狭い。光治郎が置かれていたテーブルには水晶玉やら、妙な形をした大小の壷やら、カビの生えた本などが乱雑に積まれている。周りは石造りの壁であり、ところどころ塗装が剥げているのが見えた。梁には蜘蛛の巣が張っており、相当に古い建物のようだ。

 天井に近い位置に明り取りの窓──今は遮光カーテンが開けられ、薄い光が差し込んでいる──があり、ここが地下室なのだということが分かった。

「なあ、ちょっといいか?」

 ヴァイオラの演説が、「この国の労働者が受け取る最低賃金と高騰する物価、それに関係する政治家の汚職」に差し掛かった辺りで、光治郎は口を挟んだ。

 劇団にいた頃に鍛えた声量と自慢のバリトンボイス──幼馴染や友人連中からは「おっさんみたいな声」と評される──により、立て板に水のごとく喋り続けていたヴァイオラは黙った。

 ちょっと威圧的だっただろうか、と一瞬思ったが、相手は素性の分からぬ初対面の女性だし、自分は鎧だし、常識が通用しないこの状況で細かいことを気にするのはやめることにした。

「一つ聞きたいんだが……」 

 自分の身体が鎧になってしまった、というショッキングな事件があった為に聞きそびれていた、重大な疑問。光治郎はそれを口にした。

「俺は、その、死んだ……のか?」

「ですねぇ」


 あっさりだった。


                ◇◆◆◆◇


 光治郎は落ち込んでいた。

 俳優になるという夢──結局挫折してしまったわけだけれど──が永久に潰えてしまったのだ。もしかしたら、数年後、何かのチャンスが巡ってきて偶然ハリウッドにスカウトされる、などという──万に一つあるかも、ないかもしれない──可能性だってあったかもしれないのだ。生きてさえいれば。

 「死」という現実、人類社会からの永続的な断絶、退場という事実を突きつけられ、光治郎は絶望した。

 生前、オーディションで何度も落とされ、団長や舞台監督に俳優としての価値を否定されたことで光治郎は退団した。日々を無気力に、生きているのだか死んでいるのだか分からないような生活を送っていた。自虐的な笑みを浮かべ、「所詮夢なんて叶わないものさ。一部の才能がある人たちを除いてね」などと一人ごちながら、自暴自棄に日々を過ごしていた。

 俳優という夢を断たれた自分に、生きている意味なんかあるのだろうか。自分は、その辺の動物や虫や草木のように「ただ、生きているだけ」だ。いっそ、自らこの無意味な人生を終わらせてしまった方が良いのではないだろうか、そう考えていた。

 そう。自分では本気で人生に絶望していた、と。そう、思っていたのだ。


 だが、今思えばあんなのはただ子供が拗ねていたのと変わらない。本物の、自らの死を前にして、光治郎は自分がいかに甘かったかを思い知った。

「まあまあ、いいじゃありませんかぁ」

 ヴァイオラがなだめる。

「亡くなった、とは言ってもそれは前の人生での話! あなた様は再びこの世に甦ったのです♪ <鎧装着者>と手に手を携え、契約の完遂を目指すのですよぅ! そうすれば、あなた様の願いもきっと叶えられるでしょう。 魔王様としての知識や経験を生かして二度目の人生を有意義な物にして下さることを切に願っております、はい♪」

 いくつか聞き捨てならない言葉があったことに光治郎は気づいた。

「お、おい! 今なんて言った!? 俺の願いが……どうすれば俺の願いが叶うって!?」

「えぇ。そのぅ、何と申しますか……降霊の儀式で使役され……あ、違った、言い間違えました。その、『召喚』された魂に与えられる祝福と言いますか。ご褒美、みたいなものですかねぇ」

 ヴァイオラは小首をかしげると、頬に手を当てて「召喚です。ええ、召喚」と、強調するように──私は何も間違ったことは言っておりませんよ、と言った顔をしながら──再度繰り返した。

 そして、指を一本立てると、教師が生徒に教えるように、順序だてて解説を始める。

「まず、この<鎧契約>というのは、鎧に封じ込められた魂と、その鎧を着て戦う者──<鎧装着者>との契約です。この契約を結んだ相手には、達成すべき目標があるのですよぅ」

 指をもう一本立てる。

「そして、鎧側は、生前の知識や能力を存分に使って<鎧装着者>を助けるのです。契約時に取り決めた、目標が達せられるその日まで。これが、鎧側が履行すべき債務になります」

 さらにもう一本。

「そして目標達成の暁には、<鎧装着者>側の債務が履行される……分かりやすくいうと、見返りが貰えるということですねぇ。これが、『ご褒美』とか『祝福』とよばれる物です」


 光治郎の心中に一条の光が差した。それは、希望の光。

「つ、つまり……その、何だ。俺が、その<鎧装着者>を助ければ、生き返れるということか!?」

「ですねぇ。魔王さまの心からの願いが『生き返りたい』ということであれば。その場合、あなた様の本来死ぬべきであった運命から、死の原因が一つ取り除かれます。時を遡って、『その時は死ななかった』ことになるのです」

「何だそりゃ。一回だけ死を回避できるってことか?」

「まあ、そういうことですねぇ。『その時は死ななかった』ように過去が改変されるようです。つまり、この世──<アン・ダスフィアーナ>でのことは綺麗さっぱり忘れますねぇ。死んだ事実が『無かったこと』になるわけですから。どういう理屈かは分かりません。まあ、神々のなさることですからねぇ。我々の知恵が及ぶところではございませんよ」


 光治郎は安堵した。

 夢へ繋がる道が永久に断たれてしまったのかと思っていたが、そうではなかったのだ。

 死というものを現実として突きつけられ、さまざまな想いが心を過ぎった。それは、生前考えていたようなもの──諦観や自殺願望──ではなかった。

 

 それは、生への執着。

 

 大きな挫折を経験した光治郎は、まさか自分がここまで「生きたい」と願うとは思っていなかった。

 これが、神だか超自然的な高次存在だかの仕業かどうか知らないが、ともかく自分に与えられたチャンスなのだ。

 光治郎は心の中で、誓う。

 もうあの頃の、生ける屍のような生活には戻らない。今度の人生はちゃんと生きよう。自分のやりたいことを、ちゃんとやろう。生きていさえすれば、何だってできるのだ。

 そして──今度こそ、夢を叶えよう。


「ただ、この<鎧契約>にはですね。一つだけ──注意しなければならない点があるのですよ」


 ちょっと困ったような顔をして、ヴァイオラは続ける。額に手を当て、こちらを憐れむような目をしているのが、光治郎は気になった。

「な、なんだよ。お、脅かすなよ……」

 先ほどまでの希望に満ちた状態から一転、ざわざわとした不安感が胸中を満たしてゆく。

 よくよく考えてみれば降霊の儀式というのは、いかにも邪法というか、自然の理に反したものであろう。つまり、「願いが叶う」という大きなリターンがあるからには、相応のリスクもあると考えるべきである。

 ──悪魔との契約

 そんな不穏当な言葉が脳内を駆け巡る。


「いえいえ、そんな難しい顔をなさらなくとも大丈夫ですよぅ。ただちょっと……」

 目の前で手をヒラヒラさせながら、ヴァイオラはこともなげに──




「<鎧装着者>が死亡したら、あなたも死ぬ。それだけでのことですよぅ」

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