Ⅱ 潜入①



 背中に手を回してティルザにしがみつき、アルメリアはじっと目を閉じていた。

 くっつけたひたいから、ほんのりとぬくもりが伝わってくる。

 ――生きてる……。

 自分は生きており、ティルザもまた生きている。そのことを確かめるように、何度も何度もきしめた腕に力を込める。

「準備できたか?」

 ノックもなしに入室してきたイーディスを見て、ティルザは苦笑気味にうでを離した。アルメリアは思いっきり顔をしかめる。

邪魔じゃま。入ってこないで」

 イーディスはアルメリアの姿に目をみはると、愉快ゆかいげに口笛くちぶえを吹いた。

「へえ、大したもんだな。肖像画しょうぞうがのとおりだ」

 アルメリアの本来の容姿は消えせ、そこにいたのは深窓しんそう令嬢れいじょうという言葉がぴったりの美少女だった。

 きとおるような翡翠ひすい色のかみひとみが、白磁はくじはだえている。つつましやかな鼻梁びりょう薄桃うすもも色のくちびる優雅ゆうがえがいたまゆ侍女勤じじょづとめのため、動きやすい質素しっそな黒い服を着ているが、それが余計に彼女の清楚せいそな美しさを引き立てていた。

 怪我けがが治るまでの約二週間。シルヴィアという人物に成りすますに当たって、誕生日から家族構成まで詳細しょうさいな設定が与えられたが、容姿についてはさらに徹底てっていされていた。イーディスから肖像画を見せられ、後宮に上がる際はこの姿を完璧かんぺきに再現しろとめいじられたのである。

「もう一度聞くが、お前の《まじない》は、本名を呼ばれるか自分で言うまでは半永久的に効果が続く。そうだな?」

「ええ、そのとおりよ」

 答えると、イーディスはじっとアルメリアの顔を見つめてくる。

「……何?」

 怪訝けげんな顔で問いかけると、イーディスは「いや」とふくみ笑いで応じた。

「これで俺とお前も晴れて結婚けっこんできると思ってな」

「はあ?」

「自分の《まじない》を明かすときは結婚するとき。おじょうさんなら知ってるだろ」

「何を言い出すかと思えば……今どき、そんなしきたりだれが守るのよ」

 アルメリアは心底あきれた顔で言う。そこへティルザがやんわりと割って入った。

「イーディスさん。出立前に姉と会わせてくださって、ありがとうございました」

「どういたしまして。弟君は、お嬢さんの百倍いい子だな」

「お礼なんて言う必要ないわよ、ティルザ」

 アルメリアは刺々とげとげしい口調くちょうで言い、イーディスをにわみつける。

「お前は本当、可愛かわいくないやつだな」

「可愛くなくて結構。もういいから出てってくれる?」

 イーディスは要求を聞き流し、いやみっぽい口調で述べた。

「ま、さすがは元国務大臣のむすめらしく、礼儀れいぎ作法は完璧だったらしいな。どこに出してもずかしくないお嬢さんだと、ブリジットが太鼓判たいこばんを押してたぞ」

 言い返そうとするが、イーディスは懐中かいちゅう時計に目を落として言った。

「時間だ。行くぞ」

 手を引かれ、「待って」とアルメリアは抵抗ていこうした。

 だが、イーディスにひょいと持ち上げられ、荷物のように背中にかつぎ上げられる。

「待って。ティルザ!」

「大丈夫だよ。姉さん、どうか気をつけて」

 ティルザはけ寄ってくると、何かをこらえるような笑顔で言った。

「必ず戻るからね。それまでの辛抱しんぼうよ」

 アルメリアがさけぶと同時に、絶望的な音がひびいてとびらが閉ざされる。

 涙が出そうだった。

 あの日から、一日たりとも離れたことはなかった。アルメリアの世界にはティルザしかおらず、ティルザさえいればそれでよかった。

 ――ずっとこのままでいられると思ってたのに。

「泣くなよ。化粧けしょうくずれるからな」

 イーディスは淡々たんたんと言って歩き続ける。

 その背中の振動しんどうを感じながら、アルメリアはきつく唇をみしめた。

 ――絶対に任務を成しげてティルザを助け出し、この男に目にもの見せてやる。



 馬車にられながら、アルメリアは久しぶりにじっくりと街並みをながめていた。

 ローランシアは紡錘形ぼうすいけいをした小さな島国で、国土の北西側三分の一は不毛の山脈におおわれている。その裾野すそのに森が広がっていて、炭鉱たんこうゆるやかな丘陵きゅうりょう地帯ちたいがあり、農作に適した土壌どじょうは南東部のごくわずかな地域だ。島の北東部には港町みなとまちガウシアがあり、漁業ぎょぎょうさかんである。他にもいくつか農村と漁村があるが、人々はおおむね島の東側に固まって暮らしていた。

 国内最大の都市が首都アスケラで、総人口の約七十%が生活している。綺麗きれいな円形をした街の周囲には高いへいがそびえ立ち、東西南北にそれぞれ門があり、王国騎士団アスオラルナイツ騎士きしが門衛として常駐じょうちゅうしている。首都の中央にあるのが王宮で、近くには政庁と貴族街がある。その外周を取り巻くのが商業地区、歓楽街かんらくがい、学術地区、住宅街である。

 商業地区は『女王のお膝元ひざもと』と呼ばれ、首都の南側の大部分をめていた。食料品から衣類、日用品、武具、装飾品そうしょくひんまで何でも買いそろえることができる。商家の看板かんばんきざまれた紋章もんしょうはその家の生業なりわいを示すもので、右上すみには必ずガリア商会所属を意味するGのかざり文字が記されている。また市場マーケットと呼ばれる定期市もさかんで、果物や肉や魚をあつかう屋台が出るなど、活気にあふれていた。

「……ティルザがいたら、何でも買ってあげたのに」

 にくらしいほど晴れ上がった青空を見上げ、アルメリアはつぶやいた。こんなに天気のいい日は、目に映るはずのない魔導結界アルス・マグナさえ見える気がする。

 首都が国土の中央に置かれているのは、魔導結界アルス・マグナ魔力まりょく供給きょうきゅうするためだ。アスケラ自体が巨大な魔法陣まほうじんになっており、王宮では王族が魔導結界アルス・マグナに力をそそぐための場所が存在する。魔導結界アルス・マグナは七千メルほど離れた島の周囲を円柱状におおっており、気流と海流を乱して竜巻たつまきを起こすことで外界と国土をへだてている。

 だが、その魔導結界アルス・マグナ自体は不可視の結界けっかいで、目をらしても、遠くに渦巻うずまく海と気流の壁が存在するだけである。ゆえに今日こんにちでは、日常生活において魔導結界アルス・マグナを意識することはほとんどなかった。

 馬車を走らせること十分ほどで、壮麗そうれいたる白亜はくあの宮殿が見えてくる。

 アルメリアはごくりとつばを飲み、ひざの上で手をにぎりしめた。

 ――ここが……王宮。

 女王が治める国の、その中枢ちゅうすう。遠くて近い場所、おそれながらもあこがれていた場所。かつて父が手腕しゅわん発揮はっきした舞台ぶたいに、今、全く別の形で立とうとしている。

 門の前で許可証を確認されると、アルメリアは女官にょかんの先導で女官長の部屋へと案内された。廊下ろうかはおそろしく長く、足が沈み込むほどふかふかの絨毯じゅうたんかれている。王宮の中は美しい柱廊ちゅうろう精緻せいち紋様もんようをほどこした欄干らんかん幾重いくえにも広がり、目もくらむような豪華ごうかさだった。

「女官長様。新しく入った侍女じじょがご挨拶あいさつに参りました」

 執務室しつむしつの机に向かい、女性が熱心に書き物をしている。女官が声をかけても気づかないのか、しばらく返答はなかった。

 アルメリアはみずから進み出ると、はきはきした口調くちょうで言った。

「シルヴィア・モンテミリオンと申します。侍女として少しでもお役に立てるようはげみますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」

 そこでようやく、女官長と呼ばれた女性は顔を上げる。

 アルメリアが膝をかがめて優雅ゆうがに一礼すると、女性は黒縁眼鏡くろぶちめがねの奥の厳格なひとみを向けて言った。

「女官長のヴァネッサ・アーネストです。後宮における庶務しょむと人事の一切はわたくしが取り仕切っています。あなたも本日から、わたくしの指揮下しきかに入っていただきます」

「はい、女官長様」

 折り目正しくアルメリアはうなずく。

 後宮で働くためには、必ず身分ある者に推薦状すいせんじょうを書いてもらい、後見人を立てなければならない。また、階級に応じて入宮した際の身分が変わる。

 女性の場合、下女、侍女、女官、女官長という順に身分は上がっていく。表向きは能力と功績こうせきに応じて昇格しょうかくが可能とされているが、平民階級は下女にしかなれず、資本家階級は侍女からのスタートであり、女官になれる者はごくわずかだ。最初から女官として入宮が許され、女官長の地位につけるのは貴族階級のむすめのみだった。

 シルヴィア・モンテミリオンは資本家階級の娘という設定だから、ここでは下から二つ目の身分である侍女となる。仕事内容はおもに下働きや、女官の小間使いだと聞いていた。

 アルメリアは女官長ヴァネッサの指示を待っていたが、彼女がかすかにくちびるを半開きにして、食い入るような目で見つめてくるのでたじろいだ。

 ――まさか、正体がばれた?

 背筋がひやりとする。

 だが、アルメリアの心配をよそに、ヴァネッサはややぎこちなく言葉を続けた。

「いいですか。王宮や後宮には、さまざまな立場の方が出入りなさいます。くれぐれも他人の身分や素性すじょう詮索せんさくしないように。また、あなた自身も出自や後見人の名は伏せなさい。そして最後に、これが最も重要ですが、ここで見聞きしたことは全て他言無用です。ほんの一部でも外部にらすことを固く禁じます」

承知しょうちいたしました、女官長様」

「後宮とわたくしたち使用人は信頼関係で成り立っています。軽はずみな言動であなたが信用を失えば、それはあなたの推薦者や後見人の名誉めいよそこなうことにつながります。よく覚えておきなさい」

御意ぎょいにございます」

 真っすぐな瞳でヴァネッサを見つめ、アルメリアは頭を下げる。すると彼女は別の女官を呼び、そのまま持ち場に向かうことになった。

 女官長の執務室を出てようやく、ほっとむねでおろす。

 ――よかった……何とかうまく潜り込めたみたい。

 だが、問題はこれからだ。

 なるべく早く王子と接触せっしょくし、魔法陣まほうじんを起動する機会を作らなければ。

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