第18話




「……」

「……」


(気まずい……)


 場を支配するのは沈黙だった。周囲からは賑やかな華やかしい声が聞こえてくるのに、僕と彼女の周囲だけは静かだった。

 握る手がじわじわと熱くなってきていて、手汗だったりが不安。彼女の機嫌を損ねるだけで学校の7割くらいが敵に回ると考えると、末恐ろしい未来が想像できる。


 これは単なるデートじゃなかった。繰り返す、これは究極難易度の任務ミッションだ。


「ね、ねぇ……」

「ッ! ……は、はい、何ですか?」


 思わずびくついてしまった。不覚、というよりも羞恥が凄い。まるで女々しいのは僕の方みたいで、男の尊厳と誰もが憧れる今の状況を損する気分。

 さて、如何なる理由を以てして僕を呼び止めたのやら。


「こっち、確実に、カップルの多い方じゃないかな~……って」

「……」


 今の心境を一言で表す最適な日本語がある。


(あ……)


 素晴らしい、一文字でこの言葉に出来ない程膨大な感情の数々が抽象的に伝えられるのだから。


 っと、そんな現実逃避をしている暇も無く、足は止まっていた。つられるように、彼女も隣で止まる。当然と言えば当然だが、彼女と手を繋いでいるのだから止まるのは当たり前だった。


「……戻りますか」

「そうね。私も流石にまだ踏み込めないよ」


 幾分か調子を取り戻しつつある彼女に対して、僕は未だに凍ったまま。思考回路の半分くらいが真っ白。残りの半分も現実逃避しか浮かばないなんて、日頃の勉学がまったく役に立たない。


 ”まだ”の一言が印象的に脳内をループして駆け回る。


 まぁ、学校で習ったことが恋愛で活かされることの方が少ないとは思うけど。


 歩調を合わせながら、来た道を戻る。彼女から余裕の雰囲気が漂い始める頃には、僕も水槽の中を見るくらいは出来るようになってきていた。

 少しの進歩、天才と凡才の差を見せつけられたみたいだ。


「ふふっ」

「ど、どうしたんですか?」

「不思議ね、君はさっきから百面相でもやってるみたいよ? 今は少し拗ねたみたいな顔をしているし……」

「最後の方、聞こえなかったんですけど」

「わざと。それよりも、さっきまでは全然楽しめなかったし、これから楽しませてくれるのよね?」

「うっ……」


 にやりと笑って問い掛けてくる。腰を屈めて上目遣いになられると、中々どうして。僕が女だったとしても惚れそうな愛らしさだ。

 いつもは凛としているのに、背と雰囲気が相まって見せる可愛さ。キュンとしちゃうから止めてほしい。


「頑張ります……」

「頑張ってね」


 その無邪気な応援が既に辛い。無力な僕には確証の無い不安過ぎる返答を返すほか無く、やむなく彼女をどうにかして楽しませなければいけなくなった。

 さっき究極難易度なんて言ったけど、あれは嘘だ。


 レベル1でラスボスに挑む気分……で、伝わるだろうか。まあそんな感じだ。


「今度は悩まし気な顔ね。一体こんな素敵なシチュエーションで、何に困っているの?」


(……君がここまで小悪魔的だったのは、良い経験になりますね)


 思わずそう皮肉を返したいけれど、楽しませると言った手前、機嫌は損ねられない。頬が少し赤いかもしれないけど、それは慣れない場所で酔っているのだと思い込んで、誤魔化す。


 ついでにそんな僕を見て笑う彼女を横目で見てしまって頬が真っ赤になったのも酔っているのだと思い込むことにした。


 辺りを見渡すと、先ほどよりも子供の数が多くなり、明るめの大きな魚が多くなってきた。やっぱり、子供たちには迫力のある魚が楽しいのだろう。

 やっと、彼女以外にも周りを見れる余裕が出来てきたとほっとするのと同時に、先ほどまで彼女のことしか頭に無かったと気付いて、やっぱり頬が赤くなった。


(風邪でも引きましたかね……)


 僕には、今の状態を正確に名付けられる知識が無かった。

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