第2話 研究室

異世界から帰還してはや一週間。日本政府や特安内での処理・調整を経て、正式に特安所属となった。ただ、調整が完了したのは政府・特安内のみであり、対外的、特に協定を結ぶ組織らとの折衝は未だ難航したままだ。


特安としては勇者の所有権を保持しつつ、協定内全体でプロセス達成を目指しているが、勇者を欲するのは他も同じ。厄介なのが、天蒐院であり、日本国内において大きな権威を持つことから利害や個人個人で結んでいる密約が複雑に絡み合い、別の方面で面倒なことになっているとのこと。


それに比べれば同じく利害の衝突が発生しているものの、拠点が海外であり、宗教組織であるTHOFはましな方だ。彼らが掲げる「救済のための聖戦」という教義は、魔物が出るようなこの時代、そこら中に存在する。日本における多数派の教義は古来より根付く神道を基にしており、かの正教を祖とするTHOFとは道が違うのだ。宗教において、目指すものが同じであってもプロセスが異り争いが発生した事例はそこら中に存在する。日本においてTHOFの影響力が少ないのもその典型例故だ。


意外だったのはヴァルキリア。独占の批判と所有権の主張は行うものの、押しは天蒐院、THOFより微弱であり、政府及び特安を驚かせていた。稲村など「普段からこの調子なら、もっとやりやすいのだが」と愚痴にも似たものを漏らしていたほどだ。


そんな感じで一週間は瞬く間に過ぎ、今日にいたる。


今日の予定としては、間野さんに研究室の紹介をしてもらった後、渚と出かける約束がある。ここ数日は忙しく、渚とは話すどころか、顔を見る事さえなかった。約束も間野さん経由のものである。


「ようやく、か」


無意識のうち、ポツリとこぼれてしまう。


ようやくなのだ。異世界から帰還する前は、まさかここまでの事態に巻き込まれるとは思っていなかった。自らの記憶に関する何らかの騒動が起こる可能性は考えていたが、それとて、こちらから踏み込まなければ問題ないのではないかとさえ。


いや、さすがに楽観的過ぎるか。しかし、こうなると分かっていたならば、もう少し準備をしてから帰還するべきだったのではと思ってしまう。全ては結果論だし、渚がこんな状況であると分かれば、直ぐにでも帰還するだろうが。


。三か月以内に一度異世界に戻ることを前提として考えていた帰還なのだ。渚との対話も踏まえて、一度優先順位を整理する必要があるだろう。


先の見えない事態にため息を零しつつも、改めて思い返せばいつもの事だと苦笑を一つ。思考を変換し、意識を切り替える。


「さて」


約束の時間まであと二十分程。十分前から待機することを考えればちょうどいいころ合いだろう。


割り当てられた部屋に設置されたベットから腰を上げ、簡単に身支度を整え直す。既に準備はおわっているのだから、時間は一分もかからない。


俺は部屋を出発した。






「おー、ごめんなさーい。待たせちゃったねー」


「大丈夫です。俺がちょっと早めに来てただけなので」


指定された集合時刻を少し過ぎた頃、間野さんは小走りで到着した。一週間特安本部で過ごしてきて、間野さんが多忙であることを知っている。研究主任でありながら、時間があればその聡明な頭脳を生かして、局長補佐みたいなこともしているのだ。遅れたことを責めるどころか、寧ろ、時間を作ってくれたことに感謝するべきだろう。


「いやー、前の仕事でちょっとしたハプニングがあってねー。応急処置だけして駆けつけてきたんだけどー」


「えっ、それ大丈夫なんですか?そちらを優先してもらっても――」


言いかけて、間野さんに片手で制される。


「だいじょーぶ。というか、ここ一か月の予定を考えると今日ぐらいしか都合つかないんだよねー。君の為にも、早く正式な研究室の貸与をしないといけないしー」


その言葉に、改めてありがたみと申し訳なさを感じつつ、それならばと、彼女の申し出を受け入れる。


「では、よろしくお願いします」


「オーケー。じゃ、早く行こうかー」






間野さんに連れてこられた場所は、特安本部地下二階。同一の扉が建ち並ぶ廊下の奥地、同じ階にある研究室からは少し離れた場所に位置する扉の前。


彼女が壁に設置された機器に数字を入力し、持っていたケースから取り出したカードキーを差し込むと何らかの電子音と共に、ガチャリとロックが解除される。


「こんな風に二重ロックになってるからねー。暗証番号は後で登録してもらうとして取り合えずの仮番号とカードキー」


「ありがとうございます」


カードキーと番号の書かれた付箋を手渡される。


「番号の変更に関しての連絡は必要ないよー。登録した時点でシステムの方にアップロードされるからねー。勿論、適切な取り扱いをするから問題なーし」


「別にそこは気にしてませんよ。セキュリティ上、当然です」


情報社会である今、個人情報を他者が閲覧することはもはや所与の前提と化している。それが、一定の信頼がおける組織により有効活用されるならば全然許容範囲内だ。何より、この研究室を貸し与えられる立場なのだから、意見を挟むつもりはない。


「じゃ、細かい話は後回しにしてーお待ちかねの研究室紹介だー」


一人、おーっと片腕を突き上げつつ、間野さんは扉を押し開ける。


その先にあったものは―――


「意外と一般的な居住区みたいですね」


部屋はおおよそ二十五平米程。複数のモニターが設置されたデスクや様々かつ多量に存在する本棚や戸棚、そして冷蔵庫。ほかゴミ箱と言った細かいものを含めれば、使用できる広さは三分の二程度か。左手の壁にはクローゼットの戸が見受けられ、右手には二つの扉がある。まさしく広めのマンションの一室といえる。


「まー特安における研究室は寝泊まりすることを前提に作られているからねー。研究を進めていくうちに、いちいち部屋の戻るのがめんどくさいって言う研究者が多かったから、その要望に応えって感じかなー。仕事とプライベートはきちんと区別したいって、毎日部屋や本部外にある自宅から通う人も少なくないけどねー」


「なるほど。ただ、それを抜きにしても研究室には見えないような・・・」


「それはまだ機材の搬入をしてないからだよー。一般であれば、研究部門ごとの振り分けになるから、専門の機材を導入しておけるけど、秋君の場合は研究目標は分かるけど、その過程は詳しく知らないからねー。地理的にも知識的にも、この世界と君がいた異世界での研究方法は違うだろうしー。一先ずは、受注制をとることにして、研究と言う大枠において必要であろう物資を揃えたってわけだよー」


考えてみれば当然である。この世界における研究が科学的、あるいは異能とのハイブリットであるのに対し、異世界での研究は魔法単体によるものだ。極端なことを言えば、既に設置してあるpcも必要が無い。そもそもの基盤が異なるのだ。


だが、特安に来て多くの技術を見聞きしたこともあり、これまでとは別種の研究方法もいくつか思いついている。研究環境が確保できるのは非常にありがたい。


「繰り返しになりますが、ありがとうございます」


「いやいやー、こっちからしたら君が特安にいてくれるだけで得してるんだからー。なぎちゃんのことも含めてこれぐらい――って、ん?」


突然、軽やかなメロディーが流れだす。どうやら間野さんのスマホからのようだ。彼女はこちらに少し待ってと、手振りしつつ、スマホを耳に近づける。


「はいもしもしー。さっきの件ですかー、それなら実働部隊に対応させるように申請指示出しておきましたけど。え、無関係ではないが少し違う?じゃーどういう・・・わかりましたー、至急そちらへ向かいますねー」


「どうしましたか」


勇者になったからなのか、強化されている聴力によって、話自体は聞こえていたのだが、如何せん何が起こっているかは把握できない。・・・プライバシー云々に関しては、こちらに聞こえるように話していたあたり、間野さんも承知の上だろう。前回の襲撃の様に唐突に巻き込まれるのはごめんだ。


「あー、後で話す予定だったんだけどー。さっき仕事中にとある地域で魔物の集団襲撃が発生したって報告があってねー。通常なら対応すべき部署が処理する事案なんだけどー」


「緊急事態、ハプニングが起こったんですか」


「まーね。魔物の習性は君も知ってると思うんだけど、集団で行動する場合はどんな場合であっても、群れのリーダー的存在が居るんだー」


魔物は未だ未解明の箇所が多い生き物だ。彼らとは二年間戦い続けてきたが、彼らの肉体が死後即座に消滅してしまう事も相まって、明確な性質にはたどり着いていない。


とはいえ、長い間戦い続けていれば、ある程度分かってくることもある。その一つが、間野さんの言った『魔物の群れには必ずリーダー格が存在する』。これは、同一種のみの群れであっても、混合であっても変わらない。リーダーたる魔物が、群れの指揮を執る。故に、異世界での魔物討伐においては、このリーダー格を排除することにより、混乱した魔物らをより効率よく討伐できるというものが、一つの手法として確立していた。


「その魔物のリーダー格がどうしたんですか」


問いかけながら、いくつかの可能性を探る。リーダー格は群れを指揮すると共に、群れにおける最強格としても君臨している。同一種のみの群れであれば、より体が大きかったり力が強いと言った、身体的理由が多い。これに対し、混合の群れを指揮するリーダー格は、様々な種を支配する立場であるためか、通常の個体とは一線を画す、所謂『変異種』が多い。彼らは様々な異能を有しており、時に天候と言った大規模な影響を及ぼす個体も現れる。確かにそのような個体が現れれば、まさしく緊急事態ではあるが。


「人だったんだよねー」


「人、ですか」


「うん。しかも、THOFの幹部クラス」


「幹部クラスって、それは組織間の抗争・・・もはや、テロそのものじゃないですか」


衝撃の事実に混乱しつつも、間野さんが対応したという事態に合点がいく。現在、THOFとは俺の身柄についていろいろと揉めている組織だ。そこの幹部が魔物を率いて襲撃。実地の被害もそうだが、何より、交渉における何らかのサインと言う可能性が浮上したのだろう。襲撃対応の課では判断が難しく、最終的に局長補佐的ポジションについていた間野さんに回ってきたのだろう。基本激務である上層部のなかで、俺に研究室の紹介をする都合上、ある程度予定を開けていたのも要因として考えられる。


「突然のことだったからねー。何のアクションかすぐに判別は出来なかったし、幹部であるってゆーのも、彼らのつけてる紋章だよりで不確定。そんなことより、現地の対応を優先すべきだから、即時対応を推奨したんだけどー」


「呼び出しがかかったんですね。って、すいません、引き留めてしまって」


「だいじょーぶ。どうせまた君にも巻き込まれてもらう事になるんだろーしー。ま、後のことは君が帰ってきてからにしようかなー」


「それこそ大丈夫なんですか。ここで外出なんてしても」


事態の対応に遅れてしまうのではとの懸念。だが、間野さんは気にするなと手をひらひらさせながら、にんまりと笑う。


「今日のお出かけは君にとってもなぎちゃんにとっても大事なことなんだからさー。行ってきなよー。と言うかー、たとえ問題が起こるとしてもそれはおそらくー」


「おそらく?」


「何でもなし、じゃーまた後でー」


そのまま、ぼさぼさの灰色髪を揺らしながら、間野さんは走り去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る