第5話 部下になる

「入るぞ」

「どうぞー」

 室内からのやる気のない声が響き、ヴェルムはドアを開く。

 中にいた少女は、ベッドに寝そべったまま、彼を迎えた。

「どうしたのー? あ、今日の朝食、もっとガーリックを多めにしなさいよ。私は味の濃いのが好みだって前から言ってるでしょ?」

「お前の好みになど、もう興味はないし、知る必要もない」

「…………?」

 いつもと違うヴェルムの態度に、少女、メイフィが不審に思い起き上がる。

銀の神狼シルバーフェンリルに融資した金の返済期限を過ぎたにもかかわらず、返済はなかった。おそらく踏み倒したものと思われる」

「あー……そっか」

「この意味が分かるな?」

 メイフィは盗賊団の人質として預けられている。

 だから、これまではお客様の担保として丁重に扱ってきたが、担保の所有権がリクシーナに移行した以上、どう扱ってもいい物になった。

「分かってるわよ。どうにでもすれば?」

 諦めたように、力を抜くメイフィ。

「分かっているなら話が早い。お前は盗賊団親分の娘として──」

「娘じゃないわよ?」

「……何だって?」

 これから自分がどうなるのか、それを理解しているであろうメイフィ。

 彼女が開き直った態度で笑う。

「私はただの団員よ。親分に娘の代わりに人質になれって言われただけなのよ」

 残念だったわね、という嘲笑めいた笑いを浮かべるメイフィ。

「……しまった!」

 完全に騙された。

 親分は最初から踏み倒すつもりで、メイフィを自分の娘だと偽り、置いて行ったのだ。

「ま、別にいいでしょ? 私を売り払えば元は取れるんでしょ?」

 若い娘が売り払われるということがどのような意味を持つのか理解していない無邪気さか、全てを理解した上で、考えることをやめた開き直りか、メイフィはやはり、笑っている。

「お前が親分の娘でないというなら、融資しただけの価値はない……くそっ! やられた」

「な、何よ? 私、これでも結構可愛いつもりなんだけど。私くらいだったら高く売れるんじゃないの?」

「可愛さの価値など高か知れている。そんなものよりも立場の方がより高く売れる」

 冷たくそう言うと、ヴェルムは座敷牢を後に──。

「ま、待って!」

 置いて行かれそうになったメイフィが、ヴェルムにしがみつく。

「何だ、私は忙しい。後のことはいつもの奴に任せるから──」

「私を売って、そのお金で何とかならないの? どんな所でもいいから!」

「お前にそこまでの価値はない。ライバルの盗賊団に売る予定でいたのだ! ただの団員にそこまでの価値があるか?」

 ヴェルムはメイフィを振りほどく。

「待ってってば!」

 だが、再びしがみついてくる。

「や、やめろ! 離せっ!」

 メイフィも人質だ。

 莫大な借金と等価に出来るほどの価格では売れない程度の存在ではあるが、それでも美少女という点では否定は出来ない。

 そして、ヴェルムは顔もいいのだが、女という不合理の塊のような存在に費用コストをかけるようなことはしない。

 だから、逆に言えば免疫もない。

 メイフィは必死なのか、自分の身体がヴェルムに密着していることなど気にも留めていなかった。

 殺意のある者に刃を突き付けられても表情を変えることのないヴェルムですら、多少動揺するのも無理はない。

「お願い! 私を売って! それで許して!」

「分かった! まずは話を聞くから離れろ!」

「う、うん……」

 言われて、やっと離れるメイフィ。

 ヴェルムは動揺している自分に初めて気づき、驚く。

 こんな小娘に抱き着かれたくらいで自分は動揺してしまうのか。

 これが誰かに、特にシャムレナにでもバレたら、会う度に抱きつかれそうだ。

 おそらくそれだけで良好な関係が築けるだろうが、勘弁してほしい。

「さて、お前は盗賊団に騙されたわけではないようだな。だが、別にお前が盗賊団を守る必要はあるまい。分かっていると思うが、我々が売ろうとした先で、お前はまともな人生が送れることは絶対にない。それをさせた輩を、どうしてそこまで庇う必要がある?」

「別にあんな団どうでもいいわよ……でも、家族を人質に取られてるのよ」

「ふむ……」

 その一言で、大体の状況は掴めた。

 詳しく聞いてみると、メイフィは盗賊団に憧れて、家族の反対を押し切って銀の神狼シルバーフェンリルに入ったらしい。

 そこでしばらく活動していたところ、ある日親分に呼ばれた。

 親分の娘とメイフィの年齢が近いため、人質になれと命じられた。

 人質の意味を理解していたメイフィは拒否するが、そうすると彼女の家族全員が引き立てられてきた。

 「拒否をする度に一人殺す」と言われ、人質になるしかなかった。

 家族には迷惑はかけられない。

 もちろん裏切られることは分かっていたが、拒否は出来なかったのだ。

「だから、お願い! 私の家族を助けると思って! 私を売って、それで何とかしてくれない?」

 メイフィの懇願。

 もちろん、彼女の家族など知ったことではない。

 いや、それ以前の問題だ。

 その年にしてはこの世を理解しているようだが、メイフィはまだまだ考えが甘い。

 だから、まずはその現実を突きつけてやる必要があるだろう。

「お前の言葉から俺の推測することを言ってもいいか?」

「え? う、うん……」

 この馬鹿にも分かりやすく教えてやらなければならない。

 でなければまたしがみつかれても困る。

「お前は、もう二度と家族に会えない。そして、盗賊団とも会うことはない。これは分かるな?」

「……うん、分かってる。でも、私一人が犠牲になれば──」

「二度と会わないお前のために、盗賊団が家族を生かしておくと思うか?」

 メイフィの驚愕、そして、その表情のまま動きが停止する。

「う、嘘よ、そんなわけないじゃないの……」

 否定、いや、受け入れの拒否。

「確かにそれは私には分からない。だが、借金を踏み倒すために、家族を使って脅すような奴が、家族にまともな扱いをすると思うか?」

「……やめて」

 ヴェルムの正論は、今のメイフィにはただの暴力だ。

「家族を帰せば、確実にお前を探すだろう。そこで我々に行き着き、我々に何らかの情報を喋らないとも限らない。そうなる前に──」

「やめてって言ってるでしょ!」

 メイフィが、叫ぶ。

 怒りなのか悲痛なのか、おそらく本人にも分からないだろう。

「事実ではない。それが本当かどうかは、私には分からない」

「…………」

 メイフィはヴェルムの言葉が正論であることは分かっている。

 そして、その可能性を拒否していたのも事実だ。

 彼女にとってそんなことはありえない、という、根拠のない拠り所に縋りついていたかったのだ。

「では、私は行く。盗賊団を捕まえたら、お前の家族の行方くらいは──」

「ま、待って!」

 メイフィが三度止める。

「何だ? 別にお前はもう用がない。どこかへ行ってもいいし、ここで待っていてもいい」

「違う! 私も盗賊団まで連れてって!」

「私は忙しい、連れて行ってもらうなら誰か別の者に頼め」

 ヴェルムはそれを振り切ろうとするが、メイフィが力強く掴んでいるため、簡単には振りほどけない。

「そうじゃない! 私もあなたたちの仲間として、銀の神狼シルバーフェンリルを追いかけるのを手伝わせてって言ってるの!」

「お前を協力者にする理由がない」

「私は、そこそこ強いわよ? それに、団の事も詳しいわ!」

 自分と組むことの利点を主張するメイフィ。

 だが、彼女の利点は、リクシーナ金融社としては大した利益でもない。

「社にはラクシルという諜報部隊がいる。多分お前よりも銀の神狼シルバーフェンリルに詳しいだろう。」

「で、でも……!」

「それに、社には同様に、リュークスという兵装部隊もいる。だから武力もお前の必要など──」

 いや、だが、あのシャムレナが、次長になるからと言って彼の言う事を聞くだろうか?

 来月から次長になるという内示は、全社に広まっていて、もちろんシャムレナも聞いているだろう。

 それを面白いとは思っていないことは容易に想像できる。

 だが、今回の場合、兵装課リュークスの力必須と言ってもいい。

 メイフィがもしも達人級に強かったとしても、銀の神狼シルバーフェンリル全員に敵うわけがない。

 それに、万一家族が生きていて人質に取られれば、こいつはあっさり裏切るだろう。

 要は、使いようだ。

 ヴェルムの命では動いてはくれないシャムレナ、状況によっては裏切る可能性もあるメイフィ。

 この二人を引き合わせればいいのだ。

「分かった、お前は盗賊団銀の神狼シルバーフェンリルに返済させるまでは一緒に連れて行ってやる。だが、その間は俺の部下だ。俺の言う事に従え、いいな?」

「分かった!」

「では、来い」

 ヴェルムは速足で座敷牢を後にし、メイフィはそれに続く。

「まずは、諜報課ラクシルに向かう」

「うんっ!」

 メイフィはそこが何なのかよく分かってはいないが、ただ、ついて行った。

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