53

「婿養子ぃ!?」


 聖子の、すっとんきょうな声がプライベートルームに響いた。


「何、誰が婿養子?」


 陸ちゃんがギター弾きながら問いかけると。


「神さん、知花んちの婿養子になるんだって…」


 聖子が目を丸くしたまま答えた。


「ああっ!?」


 その聖子の言葉に、陸ちゃんとセンが立ち上がる。


「神さんが!?」


「…そうなの。あたしも、驚いちゃった…」



 ――夕べ。

 うちにやって来た千里は、みんなで楽しい食事をしている最中。


「突然ですが、俺を婿養子にしてくれませんか」


 って、爆弾発言をした。

 しばらく、みんな呆然としちゃって。


「…婿養子って…知花と結婚して…桐生院の婿養子になる…ってことですか?」


 って、おばあちゃまが、そのままのことを言った。


「はい。できれば、ここで一緒に暮らしたいんですけど」


「えっ!?」


 みんなの慌てぶりとは裏腹に、千里は冷静にそう言いながら、食事をすすめる。


「なっ何言ってんの…そんな、急に…」


「神家の方には話してあるんだ。次に結婚する時は、婿養子に行くって」


「…それって、うちだと反対されない?」


「なんで」


「だって…一度離婚してるのに…」


「させねえよ。もし、反対されても説得するさ」


「でも…神千里って名前、随分売れてるのに…」


「芸名神千里。本名桐生院千里。かっこいいじゃねえか」


「そ…」


 い…いいのかな…こんなに簡単に…


「…どうして、婿養子に?」


 父さんが遠慮がちに問いかけると。


「ここは、あったかいですから」


 千里はなんとも言えない笑顔をした。

 その笑顔を見たら、何も言えなくなってしまった。


「俺、家族に優しくしたことなんかない。けど、したいとは想ってる。でも、その方法がわからなくて」


「……」


「ここにいたら、優しくなれる気がする。たくさん、いろんなことを分けてもらえる気がする」


「千里…」


 我慢する間もなく、涙が溢れてしまった。

 あたしはみんなの前だと言うのに…感極まって千里の肩に頭を乗せる。


「ありがとう…千里さん。よろしく、お願いします」


 そう言ってくれたのは、おばあちゃまだった。


「おめでとう、知花」


 涙目の母さんに頭を撫でられて…もう、あたしには涙を止める事が出来なかった。



 さらにその後。


「何で。一緒に寝ようぜ」


 中の間に千里の布団を用意したら…この言葉。

 しかも、おばあちゃまも母さんもいる前で。


「だっだって…」


「華音も咲華も父さんと寝たいよなー」


「しゃく、とうしゃんとねゆよー!!」


「ろんも~!!」


 千里は、早速子供たちを味方につけてる。

 あたしは、まだ…この『甘えっ子な千里』に戸惑ってたりして…



「いいじゃない、知花。別に、のぞきに行ったりしないから」


「母さん」


「きーまり。さ、寝ようぜ」


 千里は、さっさと子供たちを連れて中の間に向かった。


「……」


 あたしは、照れくさくて…意地になってるわけじゃないけど、大部屋に留まった。

 千里が中の間に行って、かれこれ一時間ぐらいして。


「いいじゃないですか。千里さん、素直にああおっしゃったんだから。一緒に寝れば」


 おばあちゃまが、お茶をすすりながら言った。


「…だって…」


「何」


「素直すぎて、気持ち悪い…」


 あたしがそう言うと、しばらく間を開けて。

 おばあちゃまと母さんは、爆笑した。


「もう私は休みますよ」


「あ、あたしも。知花も早く寝なきゃ」


「…うん…」


 おやすみ、と二人が大部屋を出て行って…あたしは一人、小さく溜息を吐く。


 …中の間に行くと、千里と華音と咲華がいる。

 考えただけで…また涙がこぼれそう。


 だって…

 まだ夢みたいなんだもん。

 千里があたしのために歌ってくれて…婿養子になって桐生院で暮らすって言ってくれて…子供達とはすっかり親子してて…

 …ねえ、これって本当に夢じゃない?

 中の間に行ったら、誰もいないとか…


 あたしはギュッと頬を掴んでみる。


「…痛い…」


 その痛みに後押しされて、あたしは立ち上がる。


 ゆっくりと中の間の前に立って、そっと襖開けると…そこにはちゃんと千里と、華音と咲華がいて。

 …寝てる。

 薄明りの中、静かに千里の横に入り込む。


 …千里の寝顔…

 こんな日が、訪れるなんて…



 いつ間のにか、眠ってしまってて。

 朝、目が覚めると、あたしは千里に…しっかり抱きしめられてた。





「あー、もう。あたし、夕べは興奮しちゃって眠れなかったのよー」


 聖子が大きな声で言った。


「あ、僕も」


 …まこちゃんまで。


「だって、神さんたら…きゃー」


「す…すみません…すみません…」


 思い出すと嬉しいけど照れくさくて…あたしは小声で謝りながらルームを出る。

『謝りながら出てったけど!!』って笑い声が聞こえて、熱くなってる頬を押さえてると…


「お、昨日すごかったな」


 通路を歩いて来た高原さんに捕まってしまった。


「あはは…ですよね…もう、今日はずっとからかわれちゃって…」


「ふっ。しばらくは仕方ないだろうな。あんな千里、語り草にならないわけがない」


 た…確かに…


「ところで、時間あいてるか?」


「あ、はい…」


「飯でも行こう。千里も誘って」


 あたしは聖子に出かけることを告げて、高原さんと千里を迎えに行く。


「良かったな」


 エレベーターの中。

 高原さんは、あたしの頭を撫でた。


「…ありがとうございます」


 実の父…。

 高原さんから血液型を聞かれた時点で、あたしの父親が桐生院貴司じゃない事はバレた。

 あたしは勝手に、それで親子としての確認は出来たものだ…と思ってる。


 …高原さんとの間に、ハッキリとした会話はないものの…

 レコーディングに関わってくれた事、本当はすごく嬉しかった。



「千里ー、時間いいか?」


 F'sのプライベートルームに高原さんが顔をのぞかせて言うと。


「いいっすよ…知花も?」


 高原さんの後ろにあたしを見つけた千里は、嬉しそうな顔。

 つい、あたしも笑顔になる。


「どこ行くんすか」


香津こうづはどうだ?」


「おー、いいっすね」


 あたしは、二人の背中を見ながら歩いて。

 何だか…不思議な気持ちになっていた。




 * * *



「もう入籍したのか?」


「今朝早速」


 高原さんが、笑う。

 本当に、千里はせっかちというか…


「俺、先に仕事行くから」


 って、桐生院を出たかと思うと…


「忘れてた。これ書け」


 って…婚姻届けを持って帰って来て。

 華音と咲華、おばあちゃまと母さんが見守る中、あたしがそれを書くと…


「出しとく」


 そう言って、さっさと市役所に提出してしまった…らしい。



「ま、でも知花が幸せそうで、何よりだ」


「…ありがとうございます」


 高原さんが連れて来てくれたのは、『香津こうづ』という和食店。

 好き嫌いが多かった頃の千里なら、絶対来れなかったはず。


 二人は昼間だと言うのに、ビールで乾杯した。



「…千里に、一つ聞きたいことがあったんだ」


「何すか」


「さくらに、会いに来たことがあっただろ?」


「ええ」


「あれは、さくらが知花の母親だって確信があって来たのか?」


「あ…あたしも聞きたい…」


 美味しそうに、お刺身食べてる千里に問いかける。



「あー、ありましたよ」


「どうして」


「高原さんが、さくらさんって人と暮らしてるのは知ってたし」


「ああ、千里には言ったことがあるんだ」


 高原さんが、あたしに言った。


「さくらさんが知花の母親だって確信したのは、高原さんが知花の父親だってわかったからですよ」


「…あ?」


「…どうして…?」


 あたしと高原さんは、千里を見つめる。


「壮行会の時、高原さん…歌ったじゃないすか」


「…ああ…」


 あ。


「あれ、知花も歌ってたから」


「…え?」


 高原さんが、驚いた顔で、あたしを見る。


「こいつ、前から言ってたんすよ。信じられないかもしれないけど、母親の腹ん中いる時に、母親が歌ってくれてた曲を覚えてるって」


「…それが、あの歌だったのか?」


「人前で歌うの初めてだったんでしょ?知花、ワンコーラスめのサビからは最後まで歌ってたよな」


「…見てたの?」


「見えたんだよ」


「……」


 あたしと高原さんは黙ってしまったんだけど…

 千里は一人、お吸い物をすすって…話を続けた。


「歌ってるのが見えた時は、ちょっと驚いた。感じ似てるなとは思ってたけど。まさか、本当に親子とは」


「……」


「そしたら、あとはトントン拍子。さくらさんに会って…」


 千里って…


「…千里」


「はい」


「…娘を、よろしくな…」


「…はい」


 高原さんの言葉に、胸がいっぱいになってしまった。


 堂々と親子と名乗る事は出来ないかもしれない。

 高原さんには、立場がある。

 だけど…

 あたしの大切な人の前で、『娘』と呼んでくれた。

 もう…これ以上の事は望まない…。



「さ、知花。たくさん食べろよ」


「…はい」


「その酢の物うまかったぜ」


 ずっと食べっぱなしだった千里が、あれこれ言ってくれたけど。

 なんだか胸がいっぱいで。

 この幸せが、ずっと続きますように…って…

 小さく祈ったのよ…。

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