48

「あーあー…何だかボロボロだねえ…光史」


 なかなか録りがうまくいかない光史を見て、聖子がつぶやいた。


「……」


「何かあったの?光史と」


「…えっ?」


「だって、あんたたち、顔も見ないんだもん」


「……」


 あたしは無言でスタジオを出る。


 …このままじゃ、いけない…

 わかってる…けど…



「よ。」


 声をかけられて長椅子に目をやると…千里。

 突然の事に、少し身構えてしまった。


「……」


「話があんだけどな」


 自分の隣をトントンと叩く千里。

 …座れってこと…?


 あたしは少しだけためらって…少し距離を開けて座る。



「昨日さ」


「……」


「朝霧に告白されちまった」


「え…っ?」


 思わず、うつむいてた顔をあげる。


「俺が好きだから、知花を好きになったって…それでケンカしたって?」


「……」


「俺から言わせると、全然おかしくないと思うけどな」


「…どうして?光史は、今でもあたしより…」


 何…あたし。

 何正直に答えようとしてるの?


 自分でも分からない苛立ち。

 光史は…あたしに八つ当たりされただけだ…。



「おまえ、何に腹たててんだ?」


「…?」


「あいつが、おまえより俺を好きだからか?それとも、俺を好きだからおまえを好きになったことか?」


「そんな…そんなこと、わかんない」


「おまえは、あいつに対してどうなんだよ」


「……」


「あいつと一緒にいて、俺のことは全然考えなかったのか?」


「か…」


 考えなかった。

 そう…言おうとしたのに…


「…つまんねーことで、意地はんなよな」


 千里はそう言って立ち上がると。


「あーあ、俺って損な奴。ライバルの肩持っちまった」


 って…だるそうに伸びをした。


「…どうして…こんなこと…?」


「ケンカしたままじゃ録りも上手くいかねーだろうし…あいつのことで頭ん中いっぱいになってそうだし。どっかで割り込まねえとな」


「……」


 なんだか…胸がいっぱいになってしまった。

 千里って、こんな人だった…?


「じゃあな」


「あ…」


「?」


「あの…頑張って…」


「…いいのかよ、んなこと言って」


「?」


「俺が頑張ったら、おまえは朝霧とは結ばれないぜ」


「……」


 千里の言葉が意外だったのと、少し…嬉しかったのとで。

 あたしは小さく笑ってみせる。


「ちぇっ」


 苦笑いの千里が手を挙げて歩いて行く姿を見送って。

 あたしは…考える。


 あたしと光史と…千里…

 あたしは…。



 * * *



「…そんなことが…」


「…うん…」


 光史だけか、あたしまでがボロボロで。

 うまくいかない録音は、急遽二日間オフになった。

 そこであたしは母さんに、すべてを打ち明けた。


 常にあたし達家族を観察してるらしい母さんは…ここ数日、あたしが浮かない顔をしてる事を、ずっと気に掛けてくれてたらしい。



「精神面の弱さがプレイに出るなんて…あたしも光史もダメだよね…」


 朝霧さんからオフ決定を言い渡された時、みんなは何も言わなかったけど…

 あたしはプロ失格だ。と、内心打ちひしがれた。

 それはきっと光史も同じ。



「かあしゃーん」


「はあい」


 満面の笑みの華音が、あたしの胸に飛び込んで来た。

 ふふっ…可愛い。

 子供達と一緒にいる時は…何もかも忘れていられる。


「…あれ?こんなおもちゃ、あったっけ?」


 あたしは、華音が持ってる電話のおもちゃを手にする。


「ああ…貴司さんが…」


「もう、いいのに。なんだか最近おもちゃも服も増えすぎ」


「いいじゃない、まだあたしがもう一人産むし」


「本当に産む気なの?」


「産む気よー。まだ若いんだから」


「…父さん、大丈夫かな」


「大丈夫に決まってるじゃない」


 母さんは、あたしの肩をバチンって叩いた。


「華音、咲華は?」


 あたしの問いかけに、華音は母さんによって『大部屋』と呼ばれ始めたリビングを指差す。


「じゃ、咲華も呼んで来て。一緒にお庭見ようって」


「ああーい」


 廊下を走って行く華音を眺めてると。


「さっきの続きだけどさ」


 母さんは、目の前のおもちゃを手にしながら言った。


「知花が何に腹立ててるか、教えてあげようか」


「わかるの?あたしにもわかんないのに」


「わかるよ」


 あたし自身…光史に対して、どうして腹がたってるかわかんない。


「知花はね」


「……」


「千里さんを忘れさせてくれるはずだった朝霧君に、裏切られた!!って気持ちでいっぱいなんだよね」


「……」


 母さんの言葉に、あたしはハッとした。

 裏切られた気持ち…


「朝霧君が千里さんを好きなことは気付いてたんでしょ?」


「…うん」


「じゃあ、それについては腹立てる事はないでしょ?」


「……」


 そうだよ…なのにあたし、千里から『あいつが、おまえより俺を好きだからか?それとも、俺を好きだからおまえを好きになったことか?』って聞かれて…

 その二択だけが…頭の中で渦巻いてしまってた。

 そして…答えは出るはずはなかった。



 …裏切られた気持ち…


 そっか…

 確かにそうかも…

 あたし、光史なら千里を忘れさせてくれる。って…忘れさせて欲しいって。

 勝手にそんな気持ちを押し付けてた。


 …バカだ…



「どうして、そんなに忘れたがるの?少しずつ前に進むって言ってたくせに」


「……」


 どうして?

 それは…


「もう…あんな想いしたくないの…」


「あんな想い?」


「千里を信じられなかったり…それで不安になったり…いつも千里のこと考えると怖くなってた」


「……」


「あたしだけが、いっぱい彼のこと好きで…嫉妬して…自分を見失って…」



 若かった…って思う。

 自分の立ち位置さえ分からなくなるぐらい…千里に恋をした。

 …だけど、それだけじゃない。

 周りも…巻き込んだ。


 あんなに多くの心配や迷惑をかけておいて、今更…堂々と千里に歩み寄るなんて…できないよ。



「いい恋じゃない」


「…え?」


「ドキドキしたり、ハラハラしたり。安全な恋よりずっと素敵じゃないかな」


「……」


「彼も、知花のこと、いっぱい好きだと思うよ?」


「……」


「あたしね、愛にはいろんな形があると思う」


「…いろんな形…」


「千里さんは、本当に知花のことを好きだから突き放したのよ?」


「……」


「だけど、それがまさか知花をここまで苦しめたなんて…って…」


「え?」


「……あ。」


 母さんは、慌てて。


「お…お茶にしよっかー」


 なんて立ち上がったけど。


「母さん」


 あたしは、母さんの手を取る。


「どういうこと?」


「……」


「座って」


「…はい」


「どういうこと?千里に会ったの?」


 あたしが厳しい口調で問いかけると、母さんは唇を尖らせて。


「…うん」


 って…


 もしかして…だから…事務所に…?


「どうして?どうして、そんなこと…」


「だって、あたしがこんなに幸せになれたのも、彼のおかげなのよ?」


「千里のおかげ?」


「あたしに、気力を戻すキッカケをくれたわ。娘が生きてる。素晴らしいシンガーになってるって」


「……」


「だから、彼にも、知花にも…幸せになってほしいの」


「だからって…」


「千里さん、言ってた」


「……」


「あんなに知花を苦しめて今更って思われるかもしれないけど、これから自分がやりなおしていくには、知花が必要だって」


 あんなに知花を苦しめて…


 違う。

 あたしは…勝手に苦しんでただけ…



「これからの、彼を見ていてあげて?」


 あたしは母さんを見つめる。

 母さんはあたしの手を取って。


「これは、知花にとっても…大切なことなのよ?」


 って…目を伏せたのよ…。

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