月呼び

「月を見に行きましょう」

 幾日も曇りが続き、旅人たちは今晩、月を探して夜に発つ。こんなにも会いたくなるものだとは思わなかった。厚い雲の向こうで、月は今も空で輝いているはずだ。月を雲から釣り上げろ。うっすらと漏れる灯りを頼りに進め。今夜一緒に月を見よう。

「きみたちとならば空までも」

 リピアが夜空の地図を歌った。閉ざされている月への道筋。抜け道を探す。迂回や困難の果てに、きっと辿り着く。月とはそこにあるものだから。

 宇宙。遠い空は宇宙と呼ぶんだって。踏むことの叶わない大地が、空に広がっているんだって。宇宙が見える夜は寂しい。雨が降っている日みたいに。

「高い空の名を知らず、今いる星の名も知らず」

「尋ねてみようか」

 スイが立ち止まり、耳を澄ませた。シェミネとリピアもそれに倣う。ぽつり、ぽつりと星の囁きが降る。物音を立てないように努めると、本降りになり、三人は光の雫を垂らしている。

「異界の理に、釣り糸を垂らす旅路もまた良し」

 木々を伝い、体を伝い落ちる雫は、足元に水溜りを作る。小さな水溜りは広がり、他を呑み込みながら、やがて円かな池になる。

「これぞ月」

 ここで月見をしようかと、なお降る雨に濡れながら、光る水面を覗き込む。金平糖の星たちが溶けていく。シェミネがあまりに体を傾けるので、落ちるよとスイが声をかける前に、とぷんと池に身を落とす。シェミネは雨夜の月に消えていった。ずぶ濡れの月見も良いが、きっともっと近い場所で会えるはずだ。二人も池に身を滑らせた。旅人飛び込む水の音。


 光る水の中を遊泳する。暗い宇宙とは程遠いが、目が慣れると眩しさも感じなくなる。星が散らばっている。目の前にあるようで、遥かに遠い幻想の蛍。手を伸ばしても触れない。

「月の手を取りダンスを踊るの」

「ウサギのステップを真似よう」

 月を呼ぶ。幻の光の中から探し出せ。夜空に月を連れ戻すのだ。

「おーい」

 返事は無い。月はいつも同じ距離を保ち空に浮かび、捕まえられない。歩こうと、駆けようと、泳ごうと。振り返っても、そこにはいない。踊るように、光の羽衣を翻す。水鏡に映した月を掬い上げることは出来ない。捕まえられずとも、隠れてしまった月を呼ぶ声を上げよう。

「踊ろうよ、お月様」

 星粒の波を掻き分ける。波に揉まれて流されそうになるリピアの手を掴む。リピアは風が起きる方へ行こうと指差す。泳ぐ星の流れに逆らう。放射状に差す光の簾をくぐって泳ぐ。魚になる。時空を超える。月に会うためならば。

 星を掻き分けていく。しっとりとした手応えがあり、掘り進めると、暗くなっていく。星は暗がりを隠そうと群れる。三人がかりで一点を掘る。黒い砂を撒き散らす。闇が深まったところに、月がいた。久遠の宇宙から、戻っておいで。

 三人は、闇を囲んでぷかりと漂い、しばし月見を楽しんだ。彼らが満足して星の池から上がれば、月も後を追うことだろう。

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