逃げる魚、鋼

 川のせせらぎを断ち切る音があった。静止する長剣が鈍く光る。魚は恐れて尾を揺らし、木々は小枝を反らし身を引き、川は沈黙した。音はそれきりだったが緊張が解けない。かざされた剣が主に従順に、ぴたりと動きを止めている。動けるものはみな動いて、長剣の主に場の中心を譲った。真っ直ぐな鋼だけが動かない。

「一度この手に持った剣を、俺は置くことが出来るだろうか」

 独白。今、この場には誰もいない。

 彼は長い剣を持っている。旅の仲間も知る事ではあるが、さて彼は長剣を用いた争いをするのだろうか。そこまでは知らない。何故腰の飾りになっているのか、その部分だけが陰。出会って名前を交わしてから三人は知り合いとなった。それからのスイは、少なくとも長剣を抜く意思を見せなかった。何故かとは聞かなかった。

 空気が張り詰めて、その中心にいる人物を別人に見せる。スイは剣の中に一人、自分を持っている。誰かといるときの。敵に向かうときの。休息の中の。ひとりきりのときの姿。対象があるとき、向かい合う自分は対するものに形作られる。鏡か実像かはさておき、自分が相手の認識の中にあるのと同様、長剣がスイの戦う者の顔を作る。どのようにしてその顔を得たのかと問うのは無粋だ。無意識と過去に問いを投げ掛けても、求めるような答えは引き出せない。微細な雪が積もって形となった。現在の自分が説明出来るのは、せいぜい足元に見える範囲。


 似ている誰かは、見た事のある人、のはずである。

「今居る場所に剣は必要無い。しかし戦場に出たなら、俺はまた剣を持つ」

 見間違えられては、少し、悲しいなと思う。

「刃を研ぎ続けているんだ。すぐにでも抜ける」

 抜いた瞬間に違う者になろうとも。ただ、戦場に彼女らを引き入れはしない。今はなるべく抜かない。

「……上手く、説明出来るだろうか」

 いつか、長剣が抜かれる時が来る。

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