見つける

 水仙なる伊賀者──と彼らは決めつけていた──を追い、東へ。まず、新九郎が行き当たった漁師町を探るのがよかろう。

 だが、相手は伊賀者、迂闊な探り方をしてしまえば、藪から蛇が出ぬとも限らぬ。ここは、暗い世のことに慣れた三蔵が先に立つのがまず上策である。

 道を案内しながら歩く新九郎の前に、知らずと三蔵は立っていた。そしてその漁師町が近づくにつれ、彼は肌をぴりぴりとしたものが刺すのを感じた。

「まったく、嫌なもんだねえ」

 なにが、とは言わない。この天下の大府である江戸の一角で、堂々と伊賀者が漁師に身をやつして暮らしているということを指すのかもしれず、それが近づくにつれて道ゆく農民や漁師や行商人のうちに伊賀者が混じっていることを見て取ったのかもしれぬ。

 伊賀者は先に触れたようにもともと山間の出だが、これくらいまで時代が降るとそもそも伊賀という地に実際に行ったことのないような者も現れていて、したがってそのような者は、それがどのような場所であるのか先人や仲間から伝え聞くことでしか知らぬ。このあたらしい種類の伊賀者は、先祖の故地への憧憬と共に語られるであろう切り立った山々とそれをくり抜いたように存在するあの土地にこだわることはないが、それがかえって彼らにとって「伊賀」という出身地を指すだけの意味を超えた、なにか概念的なものを抱かせることに繋がっている。

 彼らは、あの土地に戻って帰農しようにも、そもそも戻るべき土地がない。だから、水仙のように誰かに雇われて働く必要があった。

 山間の農民から興った忍びの血を引く水仙が今、縁もゆかりもない漁師の娘の姿でここに潜んでいるのには、そういう背景がある。


「新九郎よ。お前さんは、ここらで待っている方がいい」

 先に立ってのっそりと歩く三蔵が、ふいに言った。道脇には、古びたお堂がある。

「なぜです。私も──」

 新九郎はあの漁師町に乗り込んで水仙を見つけ出し、唯の居所を吐かせてそれを救うと息巻いていたわけであるから、当然、承服しない。三蔵はその申し立てを遮り、

の方法じゃ、何も得られず、死体がふたつ、江戸前の魚の餌になるだけさ」

 と言い、少し笑った。

 要は、足手まといだということである。一人で探りに行く方が、動きやすいということであろう。

 何事かを言おうとする新九郎を捨て置いて、三蔵はさっさと漁師町の方へと足を進めていってしまった。


 じろじろと視線が刺さってくるようなことはない。しかし、明らかに異質なものがあった。ぴりぴりとしたものが、濃い。三蔵は、かつて闇に潜んでいた頃の感覚を思い出していた。

 べつに、おかしなことはない。漁具が収蔵しまわれているらしい小屋、日に焼けた顔をした男、薄汚れて擦り切れた着物の女。どこにでもある漁師町である。

 このうちの何人が、伊賀者なのであろう。いや、あるいは、江戸からわずかに南に外れただけの地域にぽつんとある、このうらぶれた漁師町が、丸ごと伊賀者の巣であるのか。

 ふと気付き、三蔵はひとつの小屋の前で足を止めた。

「お前さん、どこから来た」

 いかにも漁師らしい風態の男が、声をかけてきた。三蔵は、振り返らない。

「なあに、すぐそこだ。御府内からさ」

「こんなところに、何か用かい。魚を買い付けに来たようには、見えねえな」

「ここには、新島のでも仕舞われているのかね」

 声をかけてきた男は、黙った。

 三蔵が、ゆっくりと振り向く。

「――ああ。お上に献上する品だ。この蔵を開くわけには、いかねえ」

 全くの余談であるが、この時代にも既にはあった。伊豆諸島の新島が発祥とされるこの妙な加工品は、米の代わりに年貢として幕府に塩を納めていた伊豆諸島の人々が江戸前まで船で魚を運ぶとき、保存のために塩漬けにしたことがはじまりであると考えられている。

 年貢とはたいへん厳しいものであるから、彼らは保存に適切なだけの量を塩漬けに用いることができず、干物を塩水に浸すことで保存をしようと考えた。無論、それで十分な防腐効果が得られるはずもなく、半分腐敗したような状態のものが出来上がった。それは恐ろしいまでの異臭を放っていたが、焼いて食ってみれば美味であったことから、時間をかけて特産品となり、江戸を中心に珍味として重宝がられ、この頃から少しずつ献上品として用いられはじめている。

 筆者は内陸の京都生まれ京都育ちであるから、その臭気を体感したことはないが、臭いの主な成分がトリメチルアミン(魚の生臭さの正体はこの物質である)とアンモニア、さらに酪酸と短鎖脂肪酸であることを知ったときには既に鼻が曲がる思いで、自ら好んでそれを食おうとはどうしても思えぬ。


 余談が過ぎたが、三蔵が今背にした蔵からは、わずかに死臭が漂っていたのだ。それを、三蔵は、さあらぬ体で、くさやでも入っているのか、と問うたのだ。

「そうかい。昔、一度だけ食ったことがあるが、食えたもんじゃあなかった。お前さんは、好きかい」

「べつに、好きでも嫌いでもねえ」

「ほう。食ったのか。贅沢なもんだ」

 くさやとはこの時代にはまだ流通量が少なく、希少であった。お上に献上するか、魚河岸でごく一部の物好き向けにわりあい高値で提供されるくらいであったから、いかにそれを商っていたとしてもいっかいの漁民がそれを口にしたことがあるというのは不自然である。

 しかし、三蔵はそれを指摘したりはせぬ。下手に刺激すれば、ひどいことになるのが分かっているからだ。

 伊賀者ならば、殺しをしたとき、その死体はその場に残さぬ。誰かへの示威行為としてあえて残すことはあるが、原則として、彼らは自分達の存在の証となるようなものを好まぬ。たいていは海に捨てるか山に埋めるかだろうが、それが間に合わぬほどの量の死体が出ているものと思われる。

 きっと、この蔵を開けば、そこにはくさやなどはなく、蔵いっぱいの死体が詰まっているのだろう。

 仲間の死体だろう、と三蔵は目当てを付けた。仲間の死体を残せば、そこからどのような足がつくか分からず、彼らは特にそれを嫌った。多くはにして土に埋めるか、時間をかけて酢などに漬けて誰なのか分からぬようにしてから海に放り込み、魚の餌にしたりした。

 要するに、殺しの的の死体よりも、仲間の死体の始末の方が、手間がかかるのである。この蔵は、その処理を待つものをとりあえず押し込めておくのに使われているに違いない。

 仲間の死体。

 竜が、それを多く作った。この数日で、何人を斬ったことか。新九郎からそのことを聞いていた三蔵は、いよいよ、ここが江戸における伊賀者の一派の根城で間違いないと見た。

 それだけ分かれば、もうよい。あとはこの男を刺激せぬようにしてここを立ち去り、水仙と唯の居所を突き止めるのみ。

 蔵の中のを諦めた風を装い、立ち去った三蔵の背を、男は見送っていた。それが、誰にともなく、

 ――あの爺を、殺せ。

 と言ったのを、三蔵が聞いていたか、どうか。


 新九郎は、三蔵が待てと言った堂の、抜けかけた床板に腰かけ、鳥が鳴くのを聞いていた。

 ――もう、春なのだ。

 海からの風はまだ春のそれには遠いが、たしかに、空の具合などは僅かに春であった。

 漁師町に至る道は、魚河岸へと魚を運ぶ荷車などがたまに通るほか、人通りはない。そこからは、守り手が絶えたのか道脇に置き忘れられたようにして朽ちるに任せているこの堂は、伸び放題の木の枝が遮っていて見えづらい。三蔵がここを指定したのは、合流するための目印にしやすいことと、新九郎が伊賀者に発見されづらくするためであろう。

 剣が、もう少しでも上手ければ。新九郎は、歯を噛む思いであった。

 剣が、もう少しでも上手ければ、竜に唯を奪われることもなく、伊賀者のような連中と関わり合いになることもなかった。

 今さら、己の未熟を悔いても、どうにもならぬ。新九郎にできることと言えば、三蔵の帰りを大人しく待つことしかないのだ。

 そう思ってふと漏らしたため息に、別の声が混じって聞こえた。

 鳥の声とも、また違う。ん、ん、と呻くような声である。

「唯どの?」

 弾かれたように立ち上がり、背後の傾きかけた戸を開いた。

 そこには、後ろ手に縛られて柱に繋がれた唯の姿があった。

「唯どの!」

 その瞬間、背後の枯れかけた林や草むらが、ざ、ざと鳴った。

 咄嗟に刀の柄に手をかけ、振り返る。

「おや。三蔵の旦那かと思えば。だね」

「――貴様」

 水仙である。何人もの男を従え、得意げに唇を歪めている。

「この小娘を使って三蔵の旦那を利八に差し出してやれば、方々からの頼みごとが一度に終わると思ったのにさ」

 言いながら、脇差を抜いた。

「唯どの。長らく、待たせてしまった。この詫びは、あとでいくらでも」

 新九郎は顧みて強張った笑みを唯の前にこぼし、鯉口を切る。

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