第56話 飛行実験を開始します

 未冬は目眩のような感覚に眉をしかめた。

(なんだっけ。そうだ、空間制御エンジン。その効果なのかな)

 周囲が少し歪んで見える。はっきり言って、気持ち悪い。


「落ち着け、未冬」

 教授の声が聞こえた。飛ぶことに集中するのだ。

 エマとフュアリ、マリーンが息をのんで見詰めている。


 『私と飛んだ時の感覚を忘れないで』


 ユミ・ドルニエの言葉を思い出した。

 未冬は自分の身体に装着した戦闘姫ワルキューレシステムを見下ろした。この根幹は彼女の遺伝子なのだ。


 感じていた装具の重さが消えた。同時に、床に触れる足裏の感触も。

「……!」

 浮いた。

 10cm、20cm。

 タブレットを確認していたウェルスが大きく頷いた。

「大丈夫、安定している」

 自信たっぷりな、静かな声。何故だかその声で未冬は安心する。


「徐々に上げていけ」

 教授の指示で1メートル程上昇する。周囲に風が巻き起こった。歪められた空間に、空気が流れ込んだのだ。

 未冬のスカートがふわっとまくれ上がった。


 そこから一気に高さ30メートルほどの天井近くまで急上昇する。

「うほーっ」

 見ているフュアリとマリーンが歓声をあげた。エマは青い顔で固まっていた。


 未冬は上昇と降下を繰り返し、手足の補助装置で姿勢制御を試みる。ほぼ思い通りに動かせているのではないだろうか。

「やったよ。飛んでるよ、わたし。気持ちいい!」

 うるっ、と込み上げるものがあった。


「良さそうだな。どうだウェルス」

 しかしウェルスは眉をしかめた。

「第二エンジン側の出力が上がってきていない。一旦下ろしましょう」

「そうか、調子良さそうだが?」


 天井付近を飛行していた未冬の姿勢が急に乱れた。

「ひゃーっっ!」

 悲鳴と一緒に、部屋の半ばまで落下した。そこで安定を取り戻す。

「降りろ、未冬っ!」

 ウェルスが叫ぶ。

「わ、分かったよ。ウェルスくん……うわっ」

 糸が切れたように未冬が降下し始めた。全くコントロール出来ていないのは明らかだった。部屋中に悲鳴があがった。


 固く目を閉じた未冬。もう床に激突する瞬間を待つしかなかった。

「痛いよ、痛いよー」

 落ちる前から叫んでいる。


 その身体が空中で受け止められた。

「えっ?」

 よく知ってる匂い。未冬は恐る恐る目を開けた。また天井近くまで上昇している。そして彼女を抱きしめているのは。

「エマちゃん!」

 だけど、エマは確か高所恐怖症のはず。


「助けて貰っておいて失礼かもしれないけど、エマちゃん、飛んでるよ?」

「言うな。その事は考えたくない」

 あはは。未冬もエマの身体を抱きしめた。


「ねえ、エマちゃん。どこに落ちたい?」

「それは『サイボーグ009』の台詞だろ。しかも最終回の」

 でも、それからもシリーズは続いているけどね。


 そんな話しをしていたらいつの間にか床に降り立っていた。エマはそのまま座り込んだ。よかったよー、と泣き顔になったエマに、未冬は何度もキスした。

 

「もう大丈夫だから、足を離してもらえませんか」

 マリーンがメガネを直しながらフュアリに文句を言う。未冬を助けようと飛び上がったところを、フュアリに足首を掴まれ、引きずり下ろされたのだ。


「へへ。恋人達の邪魔をしようとするからだよ」

「だって、エマさんが飛ぶとは思いませんでした」

 ぶつけて赤くなった顎を撫でている。

「そこは愛の力だねぇ」

 

 二人は本格的なディープキスに移行していた。美しい光景ではあるのだが。

「そろそろめたほうがいいのでしょうか」

 心配そうにマリーンが言った。

「いいんじゃないの。面白いからもう少し見てようよ」

 さすがに、服を脱ぎだしたら止めるけどね。フュアリは笑った。


 ♡


「よし、もう一度挑戦だ」

 勢い込む教授をウェルスが止めた。

「無理ですね、教授。補助エンジン制御の14番回路が焼け切れてる」

「何だと。そうか、過負荷保護装置の範囲外だな。うむむ、14番とは」

「空間偏位を補正するレギュレーターの還元率が、想定を上回ったんだ」

「これは、入力回路の設定をやり直さねばならんな」


 ちんぷんかんぷん、とはこの事だ。

 口を開けたままの4人は教授とウェルスの会話を聞いて、そう思った。


「あの、教授。つまりこれは失敗ですか」

 教授は驚いたように未冬を見た。

「何を言う。安定して飛行を続けるために必要な修正事項を発見したのだぞ。成功に決まっておろう」

「そう言うことだな。安心しろ、未冬」

 ウェルスまで一緒に胸を張る。


 まったく、技術者ってやつは。女子4人は哄笑する二人の技術者バカを呆れた顔で見ていた。

 

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