十四.守護獣との再戦[中]


 いっさいの危険から保護することが幸せにつながると、なぜ大人たちは信じるのか。

 もう、無理だった。

 泣きやまぬ少女に胸を貸すのも、保護者にかばわれ大切な人の悲鳴を聞き流すのも。


「ルティちゃん」


 腕を解き、立ち上がる。そばに立つリトが怪訝けげんそうに見ているが、構わない。


「ルベルは行きます。ルティちゃんは、ここから弓で援護してください」

「……え?」


 怯えたように瞳を揺らす、狐の少女。彼女があのグリフォンをこれだけ怖がるのには、きっと何か理由があるのだろう。

 それでも迷う間に現実はここまで追いつき、今まさに最愛の人を奪おうとしている。

 それを黙って見ている、理由が解らなかった。


「ルベルちゃん、危険ですよ」

「解ってます、セロアさん。でも、このままじゃパパが死んじゃう」


 不安を口にした途端、泣き出したいほどの恐怖がり上がる。

 傍らに立つ黒い魔族ジェマ、彼はルティリスと自分を守ろうとここにいるのだろうけど、そしてそれを彼女が望んでいるのなら、仕方ないのかもしれないけど。


「心配ないだろう。ロッシェは強いようだし」


 違う、と思う。

 彼にそう思わせたのは父自身だとはいえ、自分は気づいてしまったからもう、黙っていることなんてできない。


「パパが鍵を預かったのは、自信があるからじゃなく、おとりになるためです」


 驚いたように目をみはるリトと、ルティリス。それだけ確認すると、ルベルは身をひるがえす。自分がどれだけの危険に飛び込もうとしているか解らないわけではないが、セロアは止めないという確信があった。


 父親の愛を疑ったことなど一度もない。ロッシェが自分を愛し大切に想っていることは、痛いほどに解っている。

 でも、想いだけでは現実に届かないから。


 灌木かんぼくの向こう、木々の間に見える金の巨体を目印に、回り込む。

 鋭いくちばしに腕を噛み裂かれ、痛みに表情を歪めながら獣に捕まっている父の姿を見た途端、怒りか悲しさか解らないごちゃ混ぜの感情が突きあがって涙がにじみそうになるのを、こらえて叫んだ。


「パパっ。ルベルが加勢するから、そのひとの弱点を教えてください!」

「ルベル、駄目だッ」


 思わぬ声掛けに驚いたのだろう、ロッシェが目をみはる。

 金羽の獣と力比べをしながら返された答えに、さらに怒りが込み上げた。剣を砕かれ身体を押さえ込まれ、これ以上どうやってみんなを守るつもりなのだろう。


「ルベルは、怒ってるんです」


 魔術杖ウィザードロッド代わりのショートスピアを掲げ、ルベルは眉をつり上げる。

 ふわりと身体を満たす魔力が、赤い燐光に変じて舞い散った。


「ルベルはパパにまもってほしくて、パパを迎えに行ったんじゃないです」


 あの時、四日前。待ち合わせの場所で時間を過ぎてもロッシェは現れなかった。

 心配よりもショックが先立ったのは事実で、もう二度と返ってこないかもしれないという想像に傷ついたのも真実だ。

 セロアが、何か事件に巻き込まれたのかも知れない、と言ってくれたけど、すぐに捜しに行く気にはなれなかった。それでも、もう一度迎えに行く決意ができたのは、奪われる怖さが確かめる怖さを凌駕りょうがしたからだ。


 守られるだけの子どもでいるつもりはない。

 奪われないために選んで得た魔法という力は、まだまだ未熟で、現実には丈が届いていないけれど。


「一緒に戦います!」


 独りで頑張るわけじゃない。力を合わせれば、かなうかもしれないもの。






雷獣ライレット、召雷っ」


 ルベルの術具でもあるスピアの穂先に雷光がまとい、そこから電撃がほとばしってグリフォンを貫く。

 不意打ちの攻撃に獣は弾かれたように頭を上げ、視界にルベルを認めると一気に跳躍した。大きな前足が小さな身体をとらえて地面に叩きつけ、鋭い爪が食い込む痛みに小さく悲鳴をあげる。


「ルベル! ッ、畜生」


 唐突に解放されたロッシェは、立ち上がろうとして腕の痛みにうめいた。娘の小さな身体は獣の体躯たいくさえぎられ、視認することができない。


『娘、何故なぜ邪魔をする』


 きんいろの目が怒りに燃えて少女を睨む。

 それをまっすぐ睨み返し、ルベルは言った。


光精ウィスプ、閃光っ」


 途端、強烈な真白い輝きがルベルから発される。それにひるんで一瞬力を抜いた獣の前足から転がるように抜け出し、そして少女は叫んだ。


「リトくんっ、パパを治癒してください!」

小賢こざかしい! 娘、覚悟しろ』


 至近で閃光を直視したため目がくらんだグリフォンが、怒りもあらわに、ルベルを捕らえようと闇雲やみくもに前足を振り下ろす。

 避けきれず腕をかすめた爪の痛みに悲鳴をあげつつも、ルベルは再び槍を掲げて息を吸い込んだ。


幻精スプライト隠伏カメレオンっ」


 少女の姿がゆらり揺らめき、かき消える。視界から目標を見失いグリフォンは周囲を見回すが、鷲の嗅覚で隠伏いんぷくした相手を見つけ出すことはできないようだ。


『おのれ、どこへ隠れた』


 恨みがましくうなる獣を視界に捕らえつつ、ロッシェはようやく身体を起こす。

 視認できないのは同じだが、剣士である彼にはルベルの位置がなんとなく解った。その気配が、少しずつ自分へと向かっていることをも。

 今声を上げれば獣の注意を引いてしまう。娘が全力で作ってくれたわずかな余裕をどう生かせばいいだろう。

 骨に達する程までえぐられた腕の痛みで、思考がまとまらない。震える息をゆっくり吐き出しながら、刃の砕けた剣の柄をつかむ。


雲鯨クラウディアっ!」


 ふいに耳もとで響いた娘の声に、ロッシェははっと顔を上げてそちらを凝視ぎょうしした。

 いつの間に辿たどりついたのだろう、自分の前に槍を掲げてすっくと立ち、グリフォンを睨むルベルの姿。

 心臓がざわりとわななき、痛みによるのではない汗が背中を伝う。

 獣王フェリオヴァードが、片翼を水平に広げて前身を低くした。空気をはぜさす熱気をかき混ぜるように、冷たい湿気が渦を巻いて密度を増していく。

 じりじりと歩を進め近づいてくるグリフォンとの、残された距離はわずか数歩。


「ルベル、駄目だっ……逃げてくれ」


 すでに懇願こんがんと変わらない。万が一にも彼女を失ってしまったら、自分が生きていく意味などないのだ。

 精霊使いエレメンタルマスターであるルベルの魔法は獣に対し確かに有効であるけれど、致命的な決定打にはならない。

 だから、――悔しさと苦しさに細めた両眼から、涙がこぼれた。


「お願いだ、逃げてくれ……!」


 オレンジのツインテールが揺れ、ルベルが一瞬だけロッシェを振り返った。その瞳に輝く強い光は、まるで何かを確信しているような。

 ざぁと急に土砂降どしゃぶりの雨が降りだして、視界を奪われる。グリフォンの甲高いいななきと雨の音に混じり、どこかで聞いた足音が耳に届く。


「用意周到な割に情けない結果だな、ロッシェ」


 黒衣をまとい、片刃剣ファルシオンを持った黒髪黒目の魔族ジェマ。そういえば、彼に一番最初に出逢ったときもこんな風に大怪我で地に伏せ、雨に打たれていたような気がする。

 短く唱えられた魔法語ルーンに銀光が散り、ロッシェの傷がわずかにふさがって痛みが軽くなった。


「……情けなくて、すみませんね」


 うなるように応答し、無理やり身体を起こして立ち上がる。そして息を飲んだ。

 槍を魔術杖ウィザードロッドのごとく水平に構え、前方をまっすぐ見据える少女の前には、白とねずみ色で彩られた小型のクジラが浮かんでいた。

 どうやら、グリフォンはそれに阻まれて立ち往生おうじょうしているようだ。


「ルベル、君にとって水は反属性だろうに……なぜ【降雨レインコール】が使えるんだい?」


 リトの興味はロッシェの怪我より、ルベルの召喚した精霊らしい。ロッシェも知っている、このクジラはクラウディアと呼ばれる水の中位精霊で、雲にまぎれて空中を浮遊し時々雨を降らすのだ。

 フェリオヴァードと同程度、あるいは上回る水の魔力を持ち合わせているため、獣は近づけずにいるのだろう。

 ほぅ、とため息のように深呼吸をし、ルベルがあごを上げて言い放つ。


雲鯨クラウディアによる信託! 凍姫フラウ、氷剣っ!」


 白銀にきらめく風がクジラからリトとロッシェへ、そしてもう一つの筋を描いて広がり、剣を包み込む。

 クジラがふわり、くるりと回転し、ロッシェとリトの方へ向き直った。


『ワシゃ娘の呼びぬ応じたン違いのぅ。解っておれルがのぅ』


 解っているだろうと言われても、解るはずがない。

 ロッシェはクジラには答えずその下をくぐり抜け、フェリオヴァードに討ち掛かる。刃が失せた剣と赤銅色のくちばしがぶつかり、銀の結晶が散って消えた。獣が鋭い爪の前足でなぎ払い、ロッシェはそれをかわしてさらに踏み込む。

 その隣に、黒い影が滑り込んだ。


「その得物えもので勝てるつもりか?」


 笑うようなリトの声。瞳だけ動かし、傍らにて片刃剣ファルシオンを構えた魔族ジェマの姿を確認する。長い剣身はルベルの魔法を受け、霜がついたように白く輝いていた。


「素手よりは、マシでしょう?」

「確かにな」


 笑える余裕のある状況ではない。

 けれど彼の笑みにどこかで安心感を覚える自分がいるのは、なぜなのか。





 新手の参戦にフェリオヴァードの動きが一瞬鈍ったが、リトの技量がそれほどでもないのを察したらしく、すぐに猛然とくちばしで突きかかる。間に滑り込んだロッシェがそれを折れた剣で打ち返し、リトは剣で獣の前足をなぎ払った。

 甲高い鷲の声と、飛び散る獣毛。


「弱点を!」


 跳躍しようと前傾になる獣の前に立ちはだかり、切迫した声でロッシェが叫ぶ。その意味に気づいたリトが、闇魔法【弱点看破ウィーク・ペニトレイション】を唱えた。

 闇色の影シェードが踊るように獣へまとわりつき、獣は不快げに唸り声を上げる。


ことごとく妨害するか、貴様ら。もはや我慢ならぬ』


 巨躯がロッシェをはね飛ばし、跳躍する。

 ついそれを目で追ってしまったリトの眼前に鷲の頭が迫り、胸に衝撃を受けて地面に叩きつけられた。一瞬息が止まりそうになり、ついで、思わず剣を手放してしまったことに気づく。

 跳ね起きようとして左の鎖骨辺りに痛みを感じた。反射的に手を触れてみれば、ぬるりとした感触からして流血しているらしい。

 痛みはあるが致命傷ではなさそうなので、そのまま気力を尽くし立ち上がる。


け、精霊。雨を止めろ』


 フェリオヴァードはクラウディアの前に立ち、全身から熱気を発しながら凄んでいた。対峙する雲鯨からの返答はない。クラウディアにかばわれ槍を構えて立ち続けるルベルも、獣に言葉を返さない。

 ロッシェが首を押さえながら身を起こし、リトを見る。そして地面に落ちたリトの片刃剣ファルシオンに駆け寄ってそれをつかみ、一振りした。


「お借りします」


 きらきらと散る白銀。首から肩に掛けて深い裂傷が見受けられるが、その痛みはロッシェの妨害にはなっていないようだった。

 思い出したように治癒魔法を掛けてみるが、銀光は散ったものの傷がふさがる様子はない。理由はつかめないが魔法が効きにくい体質らしいので、失敗したのだろうと納得づける。


『退かぬなら、貴様が消えろ。水精』

『魔獣がワシに物言イかの?』


 吠えるような怒声にのんびり応じる雲鯨。その時ようやく後ろのルベルが身動きし、挑むようにフェリオヴァードを睨みつけて宣言した。


「誰も消させません! 聖地へお帰りくださいっ」

『成るものか』


 獣が唸り、翼を浮かせる。同時にロッシェが地を蹴って、クジラとグリフォンの間に割り込んだ。激しく噛み掛かるくちばしをリトの剣で受け止め押し返す。


「リトくんっ」


 ふいにルベルに呼ばれそちらを向くと、勢いよくショートスピアが飛んできた。

 誰の攻撃かと驚きつつ避けて確認すれば、見覚えのある宝玉にそれがルベルの術具だと理解する。


「リトくん、パパを助けて!」


 悲痛な声が、耳朶じだを打つ。

 押されるように槍を手にすれば、尋常でない魔力の増幅を感じた。これはつまり、魔力を高めてロッシェへの治癒魔法ヒールを成功させてほしいとの意図だろうと理解し、リトは迷わず魔法語ルーンを唱える。

 銀光が再びきらめき、ロッシェの傷がわずかにふさがった。慣れない他人の剣で猛獣と渡り合っている彼がそれに気づいたかは、定かではないが。


「ルベル、翼の付け根を狙え!」

「はいっ」


 ロッシェはもう、ルベルに下がれとは言わなかった。

 立て続けに放った魔法の数を思えば、そろそろ魔法力が尽きていてもおかしくない。できることなどもう幾らもないだろうに、それでもルベルの真剣な瞳は確信に満ちている。





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