十.願いごと


 はじめ来たときには、どこかとんでもなく遠い辺境へ連れてこられたのかと思ったが、どうやらここはティスティル帝国の首都スターナだったらしい。

 そういえば、ルティリスが帝都に向かうと言っていたのを思い出す。


 手足の拘束はようやく解かれたが、巻き込みたくないと思っていた娘が来てしまった。この現状をリトはどう思っているのだろう、と思いながら観察してみれば、彼は案外と吹っ切れた顔で人数分の紅茶を注いでいる。

 あわや一触即発かと思われたルベルとリトだったが、食事を一緒にしたからなのか料理が美味しかったからなのか、今は穏やかな雰囲気で共に席に着いていた。

 セロアは相変わらずの笑顔でその場に溶け込んでいるし、ルティリスも楽しそうだ。この場に一石を投じて波紋を起こすのは、気が引ける。


 それでも、このまま何もなかったことにして終わらせるわけにはいかないだけの情報を、自分は彼から与えられてしまった。

 リトは自分を自由にするつもりなのだろうけど、彼自身は予定通り聖域へ赴くのだろうし、ルティリスも連れて行くつもりだろう。

 で、あれば。

 二人は自分のいない状況で、フェリオヴァードと戦うことになるのだ。


 不意に、自分を貫いた爪の痛みを思い出して息が苦しくなる。もしもリトについて行くと言ったら、ルベルもついてくるだろうか。それは、避けたいのだけれど。


「パパ、大丈夫ですか?」


 無意識に険しい顔をしていたのか、ルベルが心配そうに見上げていた。その声に我に返り、ロッシェはため息のような息を吐き出す。


「うん、大丈夫。……ちょっと、これからのことを考えていたんだ」


 首を傾げて続きを待つルベルと、やりとりを耳にしてこちらを見るリト。ロッシェは逡巡しゅんじゅんして言葉を選び、口を開く。


「僕は、彼の〝目的〟に付き合おうと思うんだ」

「必要ない。お前は帰れ、ロッシェ」


 リトが眉間にしわを刻んで言い返す。ルベルは大きく目をみはったが、何も言わなかった。娘の無言にうながされ、ロッシェは低い声で言葉を重ねる。


「僕としては、貴方の目的を見届けるまでは帰れません。それに」


 迷いが台詞を途切れさせる。この事実を口にするのは自分にとっても、簡単ではない。

 だからといって、目を背けていては対応も出来ないから。


「フェリオヴァードは、また来ます」


 強い声で断言する。降って湧いた恐怖にルティリスが怯えたように耳を下げ、リトを見た。意表をかれたように見開かれたリトの目に、静かな怒りが上る。


隠蔽いんぺいの術式は成功しているんだ。いい加減なことを言って、ルティを怖がらせるんじゃない」


 どうしてこの人は気づかないんだろう。彼女を怖がらせているのは自分ではなく、こんな危険に巻き込んだリト自身だと言うことを。事実に満たない口先ばかりの安心感で本当の安全は買えないというのに。

 ロッシェはじっと、自分を睨む黒い瞳を見返した。そうして黙って彼の怒りを受け止める。悩み続けて丸一日、この事実を口にするからには覚悟もできている。


「僕の話を聞いてください、ご主人様」


 この期に及んで主従もないのだが、何だか馴染んでしまったために口調を戻せない。リトは仏頂面で口をつぐみ、ルティリスは怯えた表情ながらも言葉の続きを待っている。セロアとルベルは普段通りの顔でロッシェの様子を見守っていた。

 波立つ心を落ち着かせるため、息を詰める。

 あの獣を思い出す度にあの時の恐怖がよみがえるから、話そうとするのはかなりの苦痛だった。それでも代われる者がいないのだから、仕方ない。


ほたるかごに入れて、上から黒い布を被せるイメージです」


 解りやすく説明するには、どう話せばいいのだろう。思考を巡らし考えついた例えを自分自身でも想像しながら、話を続ける。


「昼などの発光しない状態でなら、そこに蛍がいるのは解らないでしょう。しかし、ひとたび夜になり、光り出したなら……薄い遮蔽しゃへい幕でその存在を隠すことはできません」


 話しながら、リトの様子をうかがい見る。

 彼は黙って耳を傾け、何かを考えている風だ。


「つまり、森へ入って『扉』に近づくにつれ、鍵が自ら魔力を発し守護獣を呼び寄せる、ということか」


 ややあってつぶやかれたリトの台詞に、やはり彼は賢い人だ、と思う。ロッシェはうなずき、それから言葉を続けた。


「はい。ですから、鍵の使用を目的としてユヴィラの森に入る以上、守護獣との対決は避けられません。守護獣は鍵の奪還を目的に、必ず追跡してくるはずです。逆を言えば、鍵さえ持たなければ危険はありません」


 そこまで話してロッシェはルティリスに瞳を向けた。怯えて震える狐の少女を見、鈍りそうになる決意を奮い立たせる。


「ですから鍵は、僕に預からせてください」

「俺に、お前を信用しろと言うのか」


 硬い声でリトが言う。それは想定内の反応だったので、ロッシェはうなずきリトを見返した。


「本当なら鍵は返すべきだ、と、僕は思いますよ。けれど、貴方には、返せない理由があるのでしょう?」


 睨み合うような数秒。リトが目を伏せ、吐き出すように応じる。


「お前には関係ない」

「いえ、あります。貴方は道行きがルティリスと二人きりでは心許こころもとないゆえに、僕を利用しようとしたじゃないですか」


 ルベルにもセロアにも、まだ詳しい経過を説明できていない。けれど、知らないながらも空気を察して黙ってくれている二人に、ロッシェは心中で感謝した。

 厄介事に首を突っ込んで約束を破った挙げ句、迎えに来てくれた二人の意思を確かめもせずまたも、危険な状況に関わろうとしている。つくづく自分は、父親として最低だと思う。

 だが、気づいてしまった以上知らぬふりはできなかった。


 リトは黙ったまま会話を終わらせようとしている。彼としては、主従の枷が解けた今の状況で協力を求めるのは気分的に許せないのかもしれない。

 しばし思い巡らし、意を決して、ロッシェは口を開いた。

 これを言ってしまったらもう、後戻りはできない。そう自覚しつつ、昨夜到達した確信を言葉に乗せて。


「……貴方は、誰の魂を呼び戻すつもりなんですか?」






 時間が止まったような静寂が、部屋の中に張り詰める。


 驚きに目をみはったリトの表情が段々と沈痛なものに変わり、ついには視線を落として黙りこくってしまった。その様子が今にも泣き出しそうに思えて、ロッシェは少しだけ後悔する。

 それでも自分は、導火線に火を付けてしまった。だから、ただ黙って答えを待つしかない。

 ずいぶんと長い沈黙が流れ、ようやくリトが口を開く。


「それは……」


 言葉は途中で途切れ、形にならなかった。それでもリトは話し出そうとしては、ためらい、結局話せないまま立ち上がる。


「着いてこい、ロッシェ」


 そのまま振り向きもせずに歩き出す背中を、ロッシェも席を立って追い掛けた。

 と、隣に滑り込むようにセロアがやって来た。


「私も同伴させてください」


 リトからの返事はなく、拒絶されないのは容認だと解釈してセロアは着いて行くことに決めたようだ。ルベルとルティリスは待っていることにしたのだろう、追ってくる様子はない。

 長い廊下をしばらく進み、リトが連れて行ったのは、一つの部屋だった。かちゃりとドアノブを回し大きく扉を開いたそのままに、リトが動きを止める。追いついたロッシェとセロアはそこから部屋の中を見、そして言葉を失った。


 色合いと調度品が可愛らしい、見るからに女性の部屋だった。

 棚の花瓶には淡い色の花が生けてあり、開け放たれた窓から入り込む風がレースのカーテンを揺らしている。しかし、テーブルのそばに置かれたソファにも、丁寧に整えられたベッドにも、部屋主へやあるじの姿は見当たらなかった。


「奥方様、ですか」


 沈黙の呪いから先に立ち直ったのは、セロアだ。穏やかな声で確認するように告げた言葉に、リトは黙ってうなずく。それだけで漠然と事情を察してしまい、ロッシェはもう何も言えなくなって瞳を瞬かせた。


「……戻ろう」


 ぽつんとリトがつぶやき、扉を閉める。セロアがうなずき自分を見たので、ロッシェも同意の意味を込め首肯した。

 そして三人とも無言のまま、娘たちが待つ部屋へと戻る。


「俺は部屋にいる。用事があれば呼びに来い」


 リトはダイニングルームには入らず、そういって立ち去ってしまった。戻れば娘たちの姿はなく、キッチンから水音と話し声が聞こえる。


「後片付けしてくださってますね。座って待ちませんか、ロッシェさん」


 セロアが穏やかな笑みをロッシェに向ける。思考の泥沼に囚われかけている自分への、彼なりの気遣いだろう。

 素直にうなずき椅子に腰掛け、手首に残る手錠のあとに目を落とした。短い間とはいえ填められっぱなしだったそこは、擦過傷さっかしょうが生々しい。


「先生。ルベルは、怒ってたかい」


 鈍い痛みが残る手首をそでに隠し目を上げてセロアを見れば、賢者はにこりと微笑んだ。


「ええ、それは勿論もちろん。それでも、捜すと言ったのはルベルちゃんの方ですよ」


 この反応は恐らく、セロア自身も怒っていたのだろう。普段から感情を表面化させない彼のことだから、笑顔ではあるけれど。


「ごめん

「ロッシェさんが素直に謝るなんて、珍しいですね」


 一緒に旅をするようになって、約一ヶ月。温厚なお人好しと思っていたが、意外にも自分の皮肉や揶揄やゆに鋭く切り返してくると気づいたのは、ごく最近だ。

 何か言い返そうと思ったがそんな気分にもなれず、ロッシェはため息を吐いて目を伏せた。まとまらない思考が頭に浮かんでは消え、言い訳すらも思い付かない。

 本当なら今ここで、自分がここにいた理由とここに止まる理由をきちんと釈明すべきなのだろうけど。


「全くもって僕は駄目な父親だよ。あの子には幸せになって欲しいのに、どう生きればあの子を泣かせずにいられるのか、僕は、今も解らないんだ」


 口をついて出たのはとんでもない弱音で、あまりのひどさに言ってしまったことを後悔したが、後の祭だ。セロアの声が、大袈裟ですよ、とつぶやく。


「ロッシェさんは、帰ってきたことを後悔しているんですか?」


 遠回しと思わせておいて、直球だ。そういえばそんな人物だ、と思い出す。


「それは卑怯な質問だよ、先生。ご存じだろうけど僕はまだ、帰る覚悟なんて決めてなかったし。君らに、填められたわけだし。でもさ」


 彼は質問しているのではない。思い出させているのだ、と一応理解はしていた。


「こうやってルベルと一緒にいるとさ、独りだった頃の方が幸せだなんて思えないよ」

「……そうですね」


 心の痛みも、解り合えない怒りや悲しみも。共にいるというあかしなのだ、と、この頃ようやく思えるようになってきた。

 独りは楽だけれど、無感動で平静な心を保てるけれど、――それは幸せとは違う。


「ロッシェさんは彼を、助けたいんですね」


 促すようなトーンで問われ、ロッシェはセロアを見返した。外部から与えられた言葉で自分を客観視するというのもおかしな話だが、そうなのだろうか。


「どうなのかな」

「どうなんでしょう」


 投げた問いをオウム返しされてしまい、ロッシェは瞳を瞬かせて口元を緩める。


「先生もしかして、『星刻せいこくの鍵』に興味を持ったのかい?」


「やはりそれなんですか。ということは、召喚に成功すれば大樹の精霊王ユグドラシルとラヴェールが見られるかもしれないんですね」


 学院の蔵書を読み尽くし、それでも満たされぬ知識欲に促されて各地を旅している彼にとっては、好奇心を刺激される情報に違いない。是非ついて行ってこの目で精霊を見てみたい、と考えているのだろう。


「危険過ぎるよ」

「鍵を持たなければ守護獣に襲われる危険はない、のでしょう?」


 守護獣の危険はなくても森の危険が、と言おうとして、愚答だと思い直す。

 引きこもりがちだった自分よりはるかに旅慣れている彼のことだ。加えてこの賢者、普段の雰囲気からは想像できないくらい逃げ足が速いのだ。

 それでも、彼が来るとなれば気に掛かるのは娘のことだが。


「先生は、ルベルも連れて行くつもりなのかい」

「ルベルちゃんは着いてくるでしょう。ロッシェさんはその覚悟も含めて、リトさんに同行を申し出たのではないんですか?」

「…………」


 反駁はんばくできない正論に何も言えなくなる。

 確かに、残れと言ってルベルが聞き分けるとは思えないし、聞き分けた振りをして危険な行動に出られるくらいなら、連れて行く方がはるかに賢明マシだ。


「僕は、馬鹿だよ」


 自分の言動がどういう状況をもたらすのかが今頃ようやく見えてきて自己嫌悪に沈み込むロッシェを、セロアは何か言うこともなく見守ってくれていた。






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