第25話 青い石

「お先に失礼しまーす」

「ああ、お疲れ様」


 巫女である沙良は大抵午後3時には宝石神社を出て行く。クラブ・サラを夕方から開けるためだ。宮司である坂東はその姿を見送ると社務所窓口を閉め、資料室の戸締りをして社務所内でその日の事務処理を行う。電話がかかって来たのはちょうどそのタイミングだった。


「はい、宝石神社ですが、もしもし」

「あ、宮司さんですか?」


 心なしか声が遠い。しかし聞いた事ある声だ。誰だっけな、坂東は宙をにらんだ。


「ええ宮司の坂東です。どちらさまでしたっけね?聞いた声なんだが」

「そうだ、坂東さんだった。すみません、覚えて頂いていましたか。高井です。高井忠興。砂織が居た頃、時々お邪魔していました」

「あー、砂織ちゃんの・・・。今どこに居るんだっけ?外国だよね」

「はい、すみません、ちゃんとご挨拶もできずに。今ベルギーなんです」

「ほう、ヨーロッパ。上手くやってるのかい?いろいろあったのは小耳にはさんでるんだ」

「そうですか。ちょっと大変でした。でもようやくこっちの仕事が軌道に乗って来てお電話できるようになってきたんです。あ、たまにはね日本からの仕事も来るんですよ。でも大抵とんぼ返りでゆっくり出来ないんですけど」

「そうなんだ。そりゃ良かった」

「今日いきなりお電話したのは、実は栞の件なんです」

「ほう」


 忠興は、家を飛び出したあとすぐにでも栞を連れ出すつもりが、アクシデントで帰国出来なかったこと、何年か前に栞を連れ出そうと以前の家に行ったが既に売家になっていて、しかも佐和との離婚が成立している忠興には役所も一切の情報を明かしてくれなかった事、その日の夕方に宝石神社を訪れたが誰もおらず、しかし七夕の短冊に栞の字を見つけたこと、その後も気になっていたが、ようやく栞を受け入れられるようになり、誰に聞けばよいのか迷った挙句、宝石神社に電話してみたことを告げた。

 

 坂東は唸った。


「なるほどな。父親としては当然のことだな。最初に山に閉じ込められたところが誤算だったってことだな」

「はい、あの時は参りました。1年間無駄にしたんですよね。その間に全てが進んでいて」

「そういう定めだったんじゃないかな。実は私はだいたいの所をつかんでいる」

「そうですか。良かった」

「でもな、それは君にとっていい話かどうかは判らん。ま、一種落ち着いているんでね」

「はい。少しは覚悟出来てます。栞は元気でいるんですね、きっとその近くで」

「そうだ。君の別れた奥さんとはもう母子じゃない。君とも親子じゃない。新しい父親と暮らしている」


 忠興は黙り込んだ。そう言う事もあるやも知れないと覚悟していたつもりだった。しかし、現実に聞かされると、ひんやりとしたものが胸を這い上がって来る。もう僕の娘じゃない、僕の代わりの父親がいる。あの父親っ子だった栞が別の男を父親にしている。


「どういう人でしょうか、その父親は」

「詳しくは私も知らん。何故そうなったのかも知らん。だが、多分、幸せに暮らしている」


 坂東は以前、石の事で栞が相談に来たことは伏せた。一見して栞だと解かった。大きくなった。無事に成長している。それで十分だと思った。だから単なる宮司として接した。それ以上知る必要もなかろうと思ったのだ。そして、もしあの時の相談が父親を守るためだったら、この話は今の忠興には刺激が強すぎる。坂東は言葉を丸めた。


「ま、それでも会いたいだろうけどな」


 忠興は一瞬言葉に詰まった。


「そうですね。やはり会いたい。ですが今ので短冊の意味も判った気がします。まだ心の整理は出来てませんが、放っておいて済まなかったということは直接伝えたい。で、また親子に戻りたい。しかしその前に、その人と会わないといけません」

「ふむ。その通りだ。新しい父親にはまず会わねばならんだろう。キミに代わって育ててくれてるんだからな」

「仰る通りです」

「もし会うなら、駅近くのクラブ・サラって店を勧めるよ。あそこでなら妙な事にはならない」

「は。クラブ・サラですね。その人と会って何をどう話すか、これから考えます。何とか栞を取り戻したい。親の役目を果たしたい」

「そりゃそうだろな。だが、大人の都合や私心で子どもの人生をぐちゃぐちゃにしてはいかん。もう栞ちゃんは大人だけどな」

「そうですよね、大人ですよね。一番必要な時期に見てやれなかった・・・」

「案じなさんな。何とかなってるんだから」

「はい。坂東さん、その人の連絡先はご存知なんですよね」

「まあ、知ってるのは知ってる」


 坂東は密かに調べていた左門の家の電話番号を忠興に教えた。忠興は帰国する時期はまた連絡すると言って電話を切った。

 坂東はしばし瞑目した。栞の幸せ、やはりそれが第一だろう。どこか砂織の面影を感じさせた栞。砂織の血を引いているなら落ち着いて対処できると思うが、万が一、高井がヒステリックになれば修羅場になる。押さえるべきはやはり沙良だ。


 沙良の次の出勤日、坂東は沙良に声を掛けた。


「山室さん、面倒ごとを頼まれてくれんか」

「はい?どうしたんですか?ドラマみたいに」

「ドラマより奇なりの話だよ。栞ちゃんの件だ」

「栞ちゃん?ウチでバイトしてる?」

「うん。彼女のこと、山室さんも気にしていたな。ひょっとしてと」


 沙良は黙って坂東の顔を見た。坂東さん、あなたはみんな知ってるの?私の事もお見通しだったの?


「砂織さんと似てるって思ってました」

「うん。娘だからな、ご想像通り」


 やっぱり・・・ でもそれで何があるの?


「似てる所がいろいろあって。でも栞ちゃんは砂織さんを知らないでしょう?」

「そうだ。母親は二番目の継母からだ」

「面倒ごとは何ですか?」

「一昨日、栞ちゃんの実の父親から電話がかかって来てな」

「あの、山の人ですか?」

「そうだ。ベルギーにいるらしい」

「ベルギー?!」

「うん。実は日本に戻った事もあるそうだ。それで栞ちゃんと縁が切れていることも知ったそうだ」

「放っておいたからでしょ自分が」

「そうではあるんだが、それでも会いたいと、出来れば親子に戻りたいと」

「今更って気がしますけどね。西陣さん一所懸命父親やってるし」

「まあそう尖がらんでくれ。まずは西陣さんと会うんだ」

「喧嘩になりませんか」

「ならないよう見張ってくれないか」

「え?私がですか?」

「そうだ。山室さんにしか頼めん事だ。それにな・・・」


 坂東は懐から小さな白い箱を取り出した。蓋を開けて沙良に見せる。中には地球のような青い石が入っていた。


「これを山室さんに託す。さり気なく二人の近くに置いてくれ。きっと上手くいくような気が流れる」

「これ・・・見た事あります」

「そうだろう。砂織ちゃんが大切にしていたものだ。ずっとここにあってな、私が預かってた。砂織ちゃんが戻ると思ってな」


 坂東の目が潤んで見えた。坂東さんも心を痛めてたんだ。沙良は白い箱を受け取った。


「これはブルースピネル。心を浄化するっていいますね」

「砂織ちゃんの心掛けだったね。これを最後は栞ちゃんに行くようにして欲しい」


 沙良は箱から石を取り出して掌に載せてみた。ブルースピネルは深い瞳でじっと沙良を見返しているようだ。砂織さんはこれをいつも手元に置いて、参拝の人とも心静かに応対できるようにって言ってた。

 解った砂織さん、あなたへの恩返しだ。沙良は一肌脱ぐよ。栞ちゃんを守るよ。

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