第21話 貴公子来たる

 そして貴公子は本当にやって来た。玄関で左門に丁重にお辞儀をする。


「初めまして。六条実朝(ろくじょう さねとも)と申します」


 見た目は好青年だ。歯磨き粉のように爽やかさを振りまいている。そしてその背後には澪が控えていた。


「はあ、まあどうぞ」


 左門は爽やかさに気圧されるように、実朝と澪をリビングに案内した。栞は子犬のように大人しい。澪がうやうやしくケーキの箱を捧げた。


「お口に合いますかどうか」

「ああ、有難う。まあかけて下さい。栞、お茶頼むわ」


 何しろ左門に会いたいとやって来たのだ。左門はリビングのソファを二人に勧め、向かい側に自分も座った。栞が日本茶を持ってくると、実朝はその手をじっと見つめ、澪は栞に会釈をした。栞が隣に座ると左門が切り出した。元貴族とか言っても学生だ。


「どうやら単に遊びに来た感じじゃ無さげだけど、俺に用でもあるのかな?俺、人事じゃないから就活には役に立たないけど」


 実朝が口を開いた。


「いえ、就職につきましては、私は何も心配しておりませんし、こちらの岡崎も同じです」


 岡崎?やっぱ、つるんでたんかい。栞も目をパチパチさせている。実朝は続けた。


「もしやお聞き及びかも知れませんが、私、栞さんに好意を抱いております」


 左門は顔を上げ、栞も目を見開く。ここで告白?


「で、誠に失礼ながら、岡崎がお父様に以前お会いした後、どのような方なのか、私なりに調べさせて頂きました。姑息こそくなやり方ではございません。オープンになっている事実関係と、岡崎の印象とです。あ、申し遅れましたが、岡崎の家と私の家、すなわち六条家は古くからの縁がございまして、こちらの澪もゆくゆくは当家で御勤めをして頂く事になっておりまして、その、信用しているということです」


 映画の中のような時代がかった話が、この3LDKで展開しているのが左門は信じられなかった。栞もポカンとしている。要はスパイじゃんか。あの時の澪の言葉の意味がようやく解かったよ。左門は空気を押し返すことにした。


「あのさ、大層な物言いだけど、学生の恋愛って自由なものだし、いちいち親が構う事でもないからさ、勝手にやってくれたらいいんだけどな。栞が君をいいと思ったら付き合うだろうし、そうじゃなきゃ付き合わんだろうし」


 実朝は掌をあげた。


「いえ、父上」


父上? ここは大河ドラマか? 左門は首を振った。


「いや、西陣様。そのような軽い気持ちではございません。私が望んでいるのは栞さんの当家へのお輿こし入れです」


お輿入れ? 左門はポカンとした。何言ってんだこいつ?


「パパ、オコシイレって何?押し入れ?」


あちゃ。知らんのか栞は。左門は横を向いて小声で言った。


「嫁入りってことだよ」


 栞の目は真ん丸になった。


「プロポーズ・・・ってこと?」

「まあな」


 実朝がにこやかに言う。


「栞さんのそう言うところに私、恋ております。無垢です。本当に楽しみです。淑女になられること、間違いありません」


 栞は口をつぼめている。そして左門をつっついて


「無垢だって! 淑女だって!」


 おい、乗るんじゃないよ。おかしすぎるだろ、この展開。実朝は構わず続けた。


「お父様が栞さんを大切にはぐくまれてきた事も十分承知しております。ですので六条家ではお父様にも充分なお手当は致すつもりです。勿論、栞さんには私が万全の生活保証をさせて頂いた上で、お父様にもタワーマンションの最上階、欧州の自家用車、それからご趣味と伺っている自転車もご用意させて頂きます。ただ、栞さんは学生を続けながらではありますが、当家のプログラムを受けて頂きますので、なかなかご面会は厳しくなります事はご承知おき下さい」


 澪も隣で頷き、話は当然のように流れている。気のせいか栞もぽーっとしている。催眠商法のようだ。左門はまた首を振った。ちょっと待てよ。


「六条君。君にとっては当然の話のようだが、こっちにとってはとんでもない事なんだ。ハイハイなんて言える訳ないだろ。そもそも君はまだ学生だろ。手当だの何だの言えるにゃ10年早いよ」

「勿論ご懸念はごもっともですし、手前勝手な言い分です。全てはまず栞さんのお心次第になりますし、今ここでお返事頂くのは無理な事も承知しております。今日は私の気持ちと、私の独りよがりでは申していないことをご理解頂きたいと参りました次第です。他にご懸念などございましたら私でも岡崎にでも結構ですからお伝え頂ければ誠意をもってご回答申し上げます」


 そこまで言って、実朝は栞の方を向いた。


「私の気持ちに嘘偽りはありません。どうか栞さん、真剣にお考え頂きます様お願いします」


 実朝はたっぷり30秒は頭を下げ続けた。


 クレーム対応なら完璧だな。左門はどうでもいいことを考えた。その後、実朝と澪は速やかに退席した。引き際のタイミングも見事だった。元貴族の躾には抜かりがないようだ。二人が帰った後、栞も左門も半ば放心状態だった。

特に栞は、笑って一蹴すると思いっきゃ、目が遠くを見ている。左門は我に返った。


「おい、栞。放っておこうぜ。何調子いい事並べてやがる」

「うん」

「澪って子、隠密だったな。栞の事、ずっと探ってたんじゃないのか」

「うん」


 しかし、事態は左門の予想と違う方向へ動いて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る