第13話 七夕
左門のSCOTTに結界石を取りつけたものの、栞はやはり不安だった。由良の誘いと言うかパワーと言うかを防げたとしても左門自身が寄って行ったのでは話にならない。栞が見る所、左門の気持ちは中途半端だ。美人が思わせぶりを見せると男はアホになるのか?佳那さんの面影はどこ行ったと思う事もあった。
間もなく七夕と言う日曜日、栞は左門にカマを掛けてみることにした。スーパーへ買物に行く途中のことだ。
「パパ、自転車で一緒の山室さん、パパ好きなんじゃない?」
左門は内心ドキッとしたが、そ知らぬふりで答えた。
「マドンナが俺なんかに気がある訳ないじゃない。既婚歴あるんだぞ」
「そうかなあ。あたし思うけど、きっと好きだよ。前にさ、正式じゃなくてもとか言ってたじゃん。お弁当も作るって言ってたじゃん」
「世話焼きタイプなんじゃないの?」
左門は栞の記憶に驚きつつ、その口調も気になった。本当の娘みたいだよ。
「女の勘を
「心配しなくても俺は大丈夫だよ。娘一人でアップアップだから」
左門は狼狽を誤魔化した。
スーパーのパブリックスペースには笹飾りがあった。脇のテーブルに短冊とペンがあって自由に書いて飾れるようになっている。
「栞、お願い事、書こうや」
「うん」
「何書くの?」
「うーん。迷うなあ」
「本当のお父さんに会えますように じゃないの?」
左門が意地悪に言う。栞は仕返しされたっと思いながら殊勝にもその通りに短冊に書いた。
「ほら」
「うんうん、上出来だ。見る人の涙を誘う」
「何言ってんのよ。パパも書いて」
「ああ、どうしようかな。やっぱ家内安全かなあ」
左門が参考までにと、既に結び付けられている短冊を見ているうちに栞はもう一枚、短冊を書いた。こっちが本命だよ。
[どうかずっと一緒に暮らせますように 栞]
先程の短冊はクシャにして、栞は本命短冊を笹に結び付けた。
「あれ、栞、もう結んだの?」
「うん」
「どこ?」
「ヒミツ」
「え?」
「いいじゃん、さっき見たでしょ。パパもさっさと書く!」
「ああ、もう、やっぱ家内安全だ」
短冊を書く左門の後姿を見ながら、栞は思った。本当にずっとこの人と一緒に暮らせますように。この気持ち何だろ。
栞自身も戸惑っていた。恩人に対してこんな事、想っちゃいけないよ。栞は気持ちを封印するように笹に背を向けた。
笹飾りは街の七夕祭りを経て、間もなく街で唯一の神社である宝石神社に奉納された。
1年以上ぶりだ。忠興はリムジンバスから降り立ち駅前を見渡した。売言葉に買言葉で家を飛び出し、長くヨーロッパに留め置かれた。雇い主の手落ちによる現地の山師とのトラブルだったが、気性の荒い現地人に半ば軟禁状態にされ、どうにもこうにも出来なかった。雇い主がその状況に気付くのに3週間もかかり、更に和解するのに数か月を要したのだ。もっとも膨大な利益に関わる権利の話だから当然とも言える。立場が逆なら自分だって同じ事をしたかも知れない。幸いだったのは、それだけの期間のすったもんだで現地で忠興の顔が知れるようになり、次の仕事へのそれこそ鉱脈を掴んだことだ。雇い主だった日本の金属商社には気の毒だが、この世界はこういうものだ。もっとも、仕事が軌道に乗るにはまだしばらくかかるだろうが、今回はそんな合間を縫って、何より栞の確保のために帰国したのだ。
佐和が栞を渡さないとは思っていなかった。元々血も繋がっていないし相性が良いとも言えなかった。昨日成田から電話で確認したところ、どうやら自分と佐和は既に協議離婚が成立しているらしく、栞の消息は教えてもらえなかった。佐和がどうやったのか判らないが、戸籍上、他人になっている自分に、市役所が情報をリークすることはあり得ない。残念ながら自ら確かめるしかないと成田から直接飛んできたのだ。
駅前から自宅に向かって坂を上る。歩いて15分。角を曲がれば自宅の二階が見える。もはや他人の家になっている自宅だが、鍵はあるし荷物だってそのままだ。佐和だって一時的には入れてくれるだろう。栞が居ればそのまま連れて行ってもいい。何しろ明日の夜には再び成田を出発せねばならない。当面、栞をどこに預けるべきだろうか。一晩で考えねばならない。
しかし、門扉の前に立った忠興は、そこにかかっているプレートを見て愕然とした。『売物件 丸山不動産』。え?
忠興は慌てて記載されている不動産業者に電話を掛けた。
「はい。丸山不動産で-す」
のんびり口調の女性スタッフが電話に出た。
「あ、すみません、ミカゲ台三丁目の一戸建ての売り物件なんですが」
「はいはい、青い屋根のお家ですね」
「そうです。これっていつから売りになってるんですか?」
「あー、もう半年くらいになりますかね。依頼は丁度1年前にあったんですけど退去されるのが遅くなってね、クリーニングとかもあるんで、今年の1月位から出したと思いますねえ。まだ十年経ってないんで中もきれいですよ。ご覧になります?鍵持って伺いますけど」
「え、いや、中もきれいなんですね、荷物とかなくて」
「勿論です。壁紙とかはそのままですけどご入居に合わせて張り替えますし、キッチンやバスルームもリフォームのご相談に乗りますよ」
「はあ。あの売主は母娘でしたか?」
「え?その辺はお話は出来ないんですけど、秘密保持があるのでね、でも女性お一人でお住まいでしたよ。何でも離婚したとかで」
充分な個人情報に聞こえたが、忠興は更に突っ込んだ。
「娘さんはいらっしゃらなかったですか?実はその子への言伝を頼まれまして」
「ああ、そういうご用件でしたか。だから詳しくはお話しできませんけど、娘さんはお見かけしてませんねえ。何回か私も伺いましたけどねえ」
「そうですか。あの、売主の女性の連絡先とか教えて頂く訳にはゆきませんか」
「残念ですけどそれは致しかねます。ほら、ストーカーとかいろいろあるのでね、弁護士の依頼書とかお持ちでしたら相談はしてみますが」
「そうですか。判りました。考えてみます。いろいろすみませんでした」
「いえいえ。じゃあ失礼しまーす」
忠興は肩を落とした。想像以上のスピードで進んでいる。栞は佐和と一緒に引っ越した訳ではないのか。佐和の男が先に変な手出しをしていないといいが。
駅前まで戻った忠興は、喫茶店で思案した。この街は思い出の街だ。定住した期間は短いけれど、砂織と出会い、栞が生まれ、砂織と別れ、佐和と出会った。自分の人生の中核をなす街と言ってもいい。ここ以外は山ばかりだもんな。そうだ。日が暮れるまでに宝石神社へ行こう。砂織との思い出の神社。今の自分にはそこ位しか行く場所がない。一方的に飛び出して、その後音信不通になった自分だ。栞との再会は厚かましいかもしれないが、せめて無事を神頼みしよう。それ位しか思いつかなかった。
一方、丸山不動産では電話を切った女性スタッフに店長が声をかけた。
「青い屋根ってあの荷物を大量に捨てた家かい」
「そうですよ。リング忘れてますよって言ったら そっちで処分してくれって、ちょっと気味悪かったとこです」
「気味悪かったって、大方別れた男にもらったから嫌とかじゃないの?男物の荷物みんな捨てたじゃん」
「でも宝石ついてましたからね。ああいうのって怨念
「だから宝石神社に奉納したんだよ。浄化するって宮司さん言ってたし」
「その後どうするんでしょうねえ」
「欲しかったのかい?」
「リメイクしてたらちょっといいかも。ルビーだったし」
「その分お賽銭弾まなきゃね」
二人は笑った。不動産稼業やってると、こういう話は時々あるものだ。女性スタッフは笑ってまた電話を取った。
「はーい、丸山不動産でーす」
忠興はバスに乗った。夕暮れ時の神社の境内は誰も居なかった。社務所も閉め切られていて、今日はもう営業終了なのかも知れない。忠興は五円玉を賽銭箱に放り込み手を合わせる。境内には蝉の声が響き渡っている。一礼後、拝殿を眺め渡したら、ふと七夕の笹飾りが目に入った。旧暦の七夕まで飾っておくのかもしれない。願い事をメモに書いて括り付けておこうかな。栞と再会できますように、なんて。
笹飾りは何本もあった。さらさらと笹の葉を触って短冊を何気に見る。受験や就職や家内安全、彼氏ができますように、みんなそれぞれの願いを託している。忠興は次々に短冊を手にした。ヨーロッパにはない素朴な習慣だ。ん?
[どうかずっと一緒に暮らせますように 栞]
忠興の胸に激震が走った。栞だ!この字は栞だ。近所にいるんだ。どこだ?この短冊はどこで書かれたのだ?忠興は社務所の扉を叩いた。
「すみませーん、ごめん下さーい」
しかし、聞こえるのは蝉の声ばかり。次第に周囲は暗くなってくる。駄目だ。ホテルに戻らないと、明日の出発に間に合わない。忠興はまたバスに乗って駅に戻った。短冊の言葉が
不安と不審、そして僅かな絶望を抱いて忠興は一人ヨーロッパへ戻って行った。
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