19 帰るべき日常がそこにはある

「あれから、契一郎けいいちろうくんとは話せた?」


「一昨日と昨日、少し時間が取れたので病室に顔を出してきました。以前、捜査官殿にも相談に乗ってもらいましたが、俺なりに叱って、諭して、最後に褒めてやりました。今回の事件は契一郎も思うところは多いでしょう。決して反論はせず、真摯に俺の言葉を聞いてくれましたよ。それと、叱ったのは俺だけじゃなかったみたいで」


「もしかして、鴇田ときたさん?」


「はい。昨日顔を出した時に聞いたんですが、一昨日俺が見舞いに来た少し後に、鴇田さんも見舞いに来たようでして。契一郎の顔を見るなり泣き出して、庇ってくれたことに対する感謝と申し訳なさ、心配をかけさせたことに対する文句、危ないことはしてほしくないという願い。涙と一緒に、色々な感情をぶちまけたそうですよ。鴇田さんの涙を見て、自分の行動がどれだけ周りを不安にさせてしまったのか、契一郎も理解したようでした」


「尊敬するお従兄にいさんと、自分を心配してくれる女の子。大切な人から一日に二度も気持ちをぶつけられた。きっと契一郎くんの心に響いたはずよ」


「俺もそう思います。昨日の契一郎の表情はこれまでよりも、少し穏やかに見えました。あいつの正義感は揺るがない。きっとこれからもファントムに関わることは止めないでしょう。だけど、今回の事件を経て契一郎は自らを省みた。誰かを悲しませないために、自分の身ももっと大事にすることを覚えてくれたはずだと、俺はそう思っています」


「そうね。そのことがきっと、契一郎くんをもっと強くする。彼、良い男だもの。女の子を悲しませるような真似はしないわ」


 事件の話をしている際は緊張していた雰囲気も、お互いにとって弟のような存在の話題に入ったことで霧散する。

 陰惨で残虐で、死傷者も出した後味の悪い事件ではあったが、少年たちの成長に繋がった点だけはせめてもの救いだろうか。


「そういう捜査官殿は、じんとは会ってますか?」

「ここに来る前に顔を出してきたわ。邪魔しちゃ悪いかなと思って、お姉さんは早々に退場してきたけど」

世里花せりかさんですか」

「うん。尋が秘密を抱え込んでいた四年前とは違う。今の入院中の尋には、心理カウンセラーの霧崎きりさきさんはもう必要ないから」


 微笑みを浮かべる咲苗の表情は弟の成長を喜ぶ姉のようでもあり、どこか寂しそうで、それでいてやはり嬉しそうだった。


 ※※※


「ここの公式は、こうやって代入してあげると」

「うん。分からん」


 夜光中央病院の病室には、世里花に数学を教わる尋の姿があった。

 如何に尋の回復速度が常人を上回っていようとも、今回の事件で負った傷は深い。二週間程度(十分驚異的な回復速度だが)の入院を余儀なくされていた。

 体を動かすことは出来ないし、入院している分勉強も遅れる。これを機に少しでも尋の成績面を改善してやろうと、優等生の世里花はお見舞いついでに尋の教師をしていた。


「学校はいつから始まるんだ?」


 勉強が一段落したところで、教科書を鞄にしまっている世里花に尋が尋ねる。


「一応は明日から。私やかえでも登校する予定だよ。もうしばらく混乱は続きそうだけどね」


 現職の教師である東端ひがしばた倫敦ともあつが連続殺人犯だったという事実は、世間に大きな衝撃を与えた。犯行発覚の翌日から夜光中央高校は臨時休校となり、学校側は対応に追われている。二日間の臨時休校に加えて週末を挟んだため、明日が四日ぶりの授業再開となる予定だ。当面はカウンセラーを常駐させるなどして、生徒のメンタルケアにも努めていくという。


「行きづらくはないのか?」


 幸い未遂で終わったものの、世里花は東端に酷い目に遭わされる寸前であった。

 東端と関わる機会の多かった学校という場所に、少なからず苦手意識を抱いているのではと尋は心配したが、


「もちろん多少は複雑だけど、学校そのものには尋達と過ごした楽しい思い出の方が多いからね。嫌いにはなれないよ。それに、楓と話して二人で決めたの。私達は先に復帰して、後から尋と契一郎君が学校に復帰した時は、笑顔で二人を迎えてあげようって」

「強いな。世里花も鴇田も」


 あれだけの事件に巻き込まれようとも、立ち直り、また笑顔で日常へと戻っていこうとする。そんな二人の強さを、尋は心から尊敬していた。

 自分や契一郎も負けてはいられない。一日でも早く学校に復帰し、また四人で昼食を囲みたいなと心から思う。


「……なあ、世里花」

「何?」

「俺のこと、怖くはないか?」

「その話ならもう終わったでしょう。例え怪奇の力をその身に宿していようとも、尋が尋であることに変わりはないもの。私が尋を怖がる理由なんてどこにもないよ」


 即答する世里花の表情には微笑みが浮かんでいる。その表情こそが、全ての事情を知ってなお、世里花が尋という存在を受け入れていることの証明だ。


 意識が戻った翌日には、尋は世里花に四年前の真実や、怪奇の力を得た自分がこの数年間、契一郎と共に行ってきた活動について、自分の言葉で、全て世里花へと打ち明けた。

 それを受けた世里花は、驚きを見せながらも決して感情的にはならず、尋の言葉一つ一つを真摯に受け止めた。全てを受け入れたうえで、最後は涙交じりに尋の体を優しく抱きしめてあげた。


 全てを打ち明けてくれたことが嬉しかった。

 辛い時期に本当の意味で寄り添ってあげられなかったことが申し訳なかった。

 命を救い、生きて戻ってきてくれたことが嬉しかった。

 世里花の抱擁には、この四年間の様々な思いが集約されていた。


「きっとこれからもファントムは生まれ続けるだろう。俺の戦いはこれからも続いていく。世里花にもいっぱい心配かけると思う」

「出来れば無茶はしてほしくないけど、誰かのために頑張っちゃうのが尋だものね。止めてもきかないことも分かってる」

「世里花?」


 尋のベッドに腰掛けた世里花が、肌と肌とが触れ合う程の至近距離まで顔を接近させた。


「だけどね。これからは、戦いに行くときは私に一声かけて。私がおまじないをかけてあげるから」


 両手で尋の頭を優しく挟み込み、世里花は尋のおでこに自身のおでこを静かに密着させた。

 尋は至近距離に迫った世里花の表情に赤面しながらも、目を逸らさす、澄んだ瞳を真っ直ぐ見据える。


「お呪いって?」

「ちゃんと帰って来てねって、そう言って笑顔で送り出すの。そうすれば、尋はちゃんと私のところへ帰って来てくれるから。尋は私との約束を破らないもの」

「そいつは強力なお呪いだ。これまで以上に、絶対に生きて帰らなくちゃって気持ちになる」

「きゃっ」


 おでこを離した尋は、怪我の痛みも顧みずに世里花の体を強く抱きしめた。


「お前は俺にとって日常の象徴なんだ。お前が笑顔で待っていてくれる日常に、俺は絶対に帰って来る。どんな困難な状況だろうとも、死に物狂いで突破してみせる」

「うん」

「だから、上手い料理をたくさん作って待っていてくれ」

「うん。好きな物を作ってあげる」


 守りたい人がいる。

 守りたい日常がある。

 絶対に生きて帰るのだという意志は、あらゆる困難を打開する何よりも強い力となる。

 

 夜光の平和はこれからも守られる続ける。

 異形の怪物どもを狩る、大烏の手によって。

 強靭な意志と優しい心を持ち合わせた少年と、その協力者たちによって。

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