11 殺人のその先

じん、ファントムの宿主の思考変化の傾向を覚えている?」

「ファントムという強大な力を得たことで、行動がだんだんとエスカレートしていく、だろう? いずれも未遂に終わったが、直近だと催眠ガスだけに飽き足らず毒ガスの使用を考えた毒島ぶすじまや、ペットからエスカレートして、契一郎けいいちろうを巨大なわにに食わせようと画策していた鰐渕わにぶちのような」


 毒島が人間相手に毒ガスを使用しようと考えていたことは、調査室の真由まゆに対する事情聴取によって発覚したものだ。

 毒島も鰐渕も、犯行内容がエスカレートし、殺人という一線を越える寸前にまで達していた。


「今回の犯行もエスカレートしてきていると考えれば、犯人の思考や行動に変化が出たことも説明できるんじゃないかな。もっとも、今回の犯人の場合は、すでに殺人というとんでもない一線を早々に越えているわけだけど」

「捜査官殿の考えは分かりましたが、殺人をも超える一線といわれてもなかなか想像がつきにくい」


 檜葉ひばが思案顔を浮かべる中、咲苗さなえの隣の尋は合点が言った様子で目を伏せている。


 長年ファントムと直接対峙し、様々な宿主の心の闇を覗いてきた尋だからこそ辿り着いた思考かもしれない。


「まさか、ファントムを交えた殺し合いを望んだのか?」


 尋の発言に、檜葉はハッとした様子で顔を上げた。

 殺人のさらに先があるとすればそれは、命のやり取りである可能性は十分に考えられる。


「そう考えれば、昨晩の行動にも一応の説明がつくわ。ファントムと宿主はあえて自分の存在をアピールすかのように大胆な犯行に及んだ。そうすれば、事態を察したヒーローが悪役を成敗しに現れるではと」

「奴らは、レイブンとの遭遇を願っていた?」

「宿主はファントムという怪奇的かつ、強大な力を手中に収めている。だからこそ、一般的には都市伝説と認識されているレイブンの存在を確信し、好奇を抱いていた。噂に聞くレイブンはとても戦闘能力の高い存在、さらなるスリルを求めて、レイブンとの接触を望んだとは考えられない?」


 犯人像が理知的な人物であることはまず間違いない。本気でレイブンを呼び出すつもりなら、もっと上手い方法だって考えられたはずだが、昨晩の犯行が、心境の変化でたがが外れたことによる衝動的なものだったとするなら、粗暴な手段にも一応の説明がつけられる。


「だが、現場に駆け付けたのは契一郎けいいちろうだった。奴らが契一郎と俺の関係性を知る由はないだろうが、偶然にもレイブンの関係者と遭遇した形か」


「直接の標的でなかったとはいえ、犯人側にとっても契一郎くんの存在は衝撃的だったでしょうね。十代の少年が殺人鬼や異形の怪物に臆せず立ち向かってくるなんて、普通は思わないもの」


「身内の俺が言うのもなんだが、契一郎の格闘センスはずば抜けている。目当てのレイブンではないものの、契一郎だって一筋縄ではいかぬ相手だったはずだ。実際、警察が駆けつけるまでの間、契一郎は持ちこたえている」


「契一郎くんとの戦闘で、ある程度は満足したのでしょうね。だからこそ、素直に身を引いたのかもしれない。仮に誰も駆けつけなかったとして、犯人側が被害女性を病院まで運んだとは思えないし、いずれにせよ契一郎くんのおかげで彼女の命が救われたことは間違いないわね」


 殺人鬼の行き着く先は、自身の命さえもチップとした殺し合い。

 あまりにも衝撃的な仮説だが、多くのファントム事案に関わって来た咲苗や、直接ファントムと対峙してきた尋から発せられた意見だ。それは十分参考に値する。


「捜査官殿。仮説によれば奴らの狙いはレイブンとのことだが、だとすれば女性を狙った犯行は今後どうなっていくと考える?」

「継続するものと私は考えているわ。それはそれ、これはこれってね。連続殺人は宿主やファントムにとってもアイデンティティのようなもの。別の対象に興味が湧いたからと、殺人そのものが沈静化するとは思えないわ」

「だとすれば危険だな。奴の行為は確実にエスカレートしている。すでに二日連続、今日もまた事件が発生してもおかしくはない」

「本家の切り裂きジャックを模倣するとして、必要な被害者の数もまだまだ多い。少なくともあと十件は発生する可能性があるわね。宿主こと容疑者の特定は?」

貴瀬たかせから情報を回してもらったが、未だに目星はついていないようだ。十年前の殺人鬼と同一犯という線から、性別を問わずこの十年の間に都内から夜光市へ転居した人間をリストアップしているそうだが、特定は難しいだろうな」


 返答した檜葉が口直しにコーヒーをすすると、不意に咲苗のスマホが鳴った。


「ごめんなさい、少し外すわ」


 対策室からの連絡なのだろう。

 他の客の迷惑とならないよう、咲苗は一度店外へと出た。


「優典さん、性別を問わずに調べているというのは? 勝手に犯人は男だと思っていましたけど」


 咲苗が戻るまでの時間潰しにと、尋が疑問を投げかける。


「女性ばかりが五人も殺害されているから男の犯行のイメージが強いが、実際のところ、犯人の性別の特定には至っていない。同性で油断を誘いやすいという点から、女性の犯行だとする説も存在する。その辺は本家の切り裂きジャック事件と同じそうだが」

「犯人は女性という可能性もあるか……」

「気後れするなよ。男であれ女であれ、今後俺らが対峙するであろう相手は殺人鬼とファントムという凶悪コンビだ」

「分かっていますよ。鬼を許しておくつもりは俺だってありません」


 かつて異世界で滅断した鬼と、現実の殺人鬼との姿がだぶる。

 少なくとも自身の手で五人。ファントムが発生してからも二人の人間を殺害し、昨日の事件では契一郎を含め二名に重症を負わせている。


 人の身でありながら、宿主もすでに怪物のようなものであろう。


「ごめんなさい。急ぎの要件らしくて、私はこれから対策室の人間と会ってくるわ。例の装備も完成したそうだから、ついでに受け取って来る。夕方までには尋の手元に届くようにするね」

「助かるよ、咲苗ちゃん」

「あなたたちはこれからどうする?」

「俺は見回りも兼ねて、個人的に聞き込みを行う予定だが」

「もしよかったら俺も同行していいですか? ファントムが活動している前提になりますが、運が良ければ市内を回っている間にファントムの気配を掴めるかも。もちろん、優典さんの聞き込みの邪魔にならないようにします」

「俺は構わない。ではこの後は、俺の車で移動することにしよう」


 各々手元のカップを飲み干すと、ここは奢ると檜葉が三人分の会計を持ち、一行は喫茶店を後にした。

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