7 鷂の血 -ハイタカノチ-

じんも来ていたか」


 不意に発せられた、少々やつれた様子の声。

 手術室のあるフロアから上って来た檜葉ひば優典まさのりが、ロビーへと顔を覗かせた。


「優典さん。契一郎けいいちろうの手術、終わったんですか?」

「今し方な。手術は無事成功。命に別状はないとのことだ」

「よかった」


 親友の生命力を信じながらも、やはりずっと気は張っていた。

 安心感から尋は深く息を吐き出し、尋の気持ちに寄り添うように、咲苗さなえがその肩を優しく抱いていた。


「ファントムについて議論していたんだろう? 俺も混ぜろよ」

「契一郎くんに付いていてあげなくていいの?」

「契一郎には叔母夫婦が付き添っていますから。手術結果を見届けたので俺はそれで充分です。契一郎だって俺が側にいることよりも、捜査に取り組むことを望むでしょうし」

「だけど、今まで通りとはいかないでしょう?」

「捜査に私情は厳禁。身内が被害に遭った以上、俺は今回の事件の担当から外されるでしょう。ですから、可能なら俺は、尋やあなたの捜査に合流したい」

「私は構わないけど、警察の業務の方はどうするつもり?」

「休暇を取ってもいいが、それではあまりにも露骨だ。勝手なお願いで申し訳ないが、その辺りは捜査官殿の権限で適当な理由をつけて頂きたい」


 契一郎の親友である尋を主戦力に据えている以上、私情云々で檜葉を拒むつもりはない。適当な理由をつけるのも楽ではないが、普段から世話になっている檜葉が頭を下げてきている以上、その思いを無碍には扱えない。

 

「分かったわ。その辺は私の方で上手くやっておく。別件で夜光市を訪れた私の補佐として、殺人事件の捜査を外れた檜葉さんが宛がわれたとでもしておくわ」

「感謝します、捜査官殿」

「檜葉さんには普段から迷惑をかけてばかりだから、これぐらいわね」


 交渉成立と咲苗が握手のために手を伸ばし、檜葉もそれに習う。


「……調子狂うんで、いつもの呼び方でいいですよ」

「いつもって?」

「ちゃんづけで構いません。不覚だが、捜査官殿のその呼び方にすっかり慣れてしまった」

「生真面目というか不器用というか。そういうことなら遠慮なく檜葉ちゃんと呼ばせてもらうわ」


 微笑む咲苗と苦笑顔の檜葉は、かっちりと固い握手を交わした。


「いつかこんな日が来るような気はしていた」


 目を伏せた檜葉が、ベンチに座る尋の隣へと静かに掛けた。


「契一郎のことですか?」

「ファントムと関わることは危険が伴うからな。先月の毒島ぶすじまの事件の時、事情聴取で署に来た時があっただろう。あの時、お前と世里花さんを先に返して、契一郎だけ引き留めたのを覚えているか?」

貴瀬たかせさんに家まで送ってもらった時のことですね。あの時、契一郎と何かあったんですか?」

「尋の前で言うのもなんだが俺はあの時、契一郎に、もうファントムに関わるのは止めろと言ったんだ。お前は力を持たないものだ。相棒といっても、尋と肩を並べて戦うことは出来ないんだとな。身内としてあいつの身を案じたが故の説教だった」

「それに対して契一郎は何て?」

「ヒーローの相棒がそこまで強くないなんてよくある話だ。自分なりの戦い方で尋を助けていくと、あいつはそう言ったよ」

「契一郎らしい答えですね」

「ああ、そして俺も最終的にはそれを肯定した。そこまで意志が固いのなら、もう止めないと」

「優典さんはそのことを後悔していますか?」


「……正直、自分でもよく分からない。確かに身内としては放任してしまったことを反省はしている。だけどその反面、一報を聞いた際、やはり血は争えないなと、そう思ってしまった自分もいるんだ。俺は警察官だし、高校生の契一郎とは立場が違うが、やはり現場にいたら俺も契一郎と同じことをしたと思う。職務だとか、見て見ぬふりは出来ないとか、そういった次元ではない。俺達にとって正義感とは、抑えの利かない本能のようなものなんだ。『正義たれ』という本家の教えは、間違いなく俺達に遺伝子レベルで刻み込まれている……そういう意味では、今回の事は必然だったのかもしれない」


 話過ぎたと思ったのだろうか? ハッとした様子で檜葉は顔を上げ、すぐさま作り笑いを浮かべて取り繕った。


「話が脱線してしまったな。とにかく、契一郎の穴は俺が埋める。これ以上犠牲者を出さないためにも、絶対にファントムの凶行を食い止めよう」

「もちろんです。優典さんことを、頼りにしています」


 尋なりに空気を読んだのだろう。檜葉に調子を合わせ、彼から差し伸べられた手を握り返し、固い握手を交わした。

 契一郎の活躍に酬いるためにも凶行に終止符を打つ。この場にいる全員の思いは一致している。


「俺の方こそ、頼りにしてるぞ、尋」

 

 ※※※


「先月の件、ようやく合点がいったわ」


 壁に背中を預けていた咲苗が静かに口を開く。

 檜葉と二人だけで話したいことがあるからと、尋には少し前から席を外してもらっていた。尋は今は楓の部屋へと顔を出しにいっている。


「契一郎くんは過剰な暴力で毒島を捕縛した。対策室の権限で内々に処理したから問題となることは無かったけど、現職の警察官であるあなたが契一郎くんの行為に対して何も反応を見せないことがずっと気になっていたの。けど、さっきの話を聞いて何となく理解した。檜葉ちゃんの中で契一郎くんのあの行為は、個人の正義感として許容できる範囲だったということね」


「……結局あいつに何も言えなかった以上、そういうことになるんでしょうね。やり過ぎかとは思ったが、咎める程ではないと感じてしまった」

「あなたの台詞を借りるようだけど、現場にいたら、やはり同じようなことをした?」


「いいえ。警察官として、あくまでも常識的な範囲で毒島の身柄を拘束したと思います。血は争えないと言ったが、本家の血が最も色濃く受け継いでいるのは契一郎だ。あいつの正義感には一切の迷いがない。あいつは悪に対して冷徹だ。無論、俺とて正義感は持ち合わせているが、あいつ程は振り切れていない。我ながら半端者とは思いますがね」


「正義たろうとするはいたかの血筋か」


 檜葉と契一郎は、母親同士が姉妹の従兄弟関係にあたる。

 母方の姓を鷂と言い、鷂家は程度の違いはあれど、生まれついて強い正義感を宿す者が多い一族である。現職の警察官である檜葉のように、正義であろうとする生き方を望む傾向にあり、医師や消防士、法曹関係といった様々な場所で鷂家の人間は活躍している。

 檜葉と契一郎の祖父にあたる、故、はいたか藤十郎とうじゅうろう氏は鷂の教えである「正義たれ」を体現したとても厳格な人物であった。その祖父をもって、最も鷂の人間らしいと評されたのが、当時まだ幼い契一郎である。檜葉にとっては畏怖の対象であった祖父も、契一郎にとっては最も尊敬する人物であった。


 悪を許さない。


 とてもシンプルで、それでいて貫き通すことの難しい正義。

 契一郎はそれを本能に近いレベルで体現している。

 盲目的といってもいいかもしれない。


「迷いがないといえば聞こえはいいけど、時にそれは暴走と同義よ」

「耳が痛いですね。俺にも少なからず自覚はある」

「自覚がある分あなたは大人よ。最も危険なのは自覚の芽生えぬ状態」

「契一郎の正義感は危険ですか?」

「諸刃の剣という意味ではね。もちろん、若さ故の向こう見ずもあるだろうけど。正義は美徳だけど、過ぎた正義は異端とも映るものよ」

「一般論として、俺はどうするべきですかね?」


 毒島の件は咎めることこそしなかったが、それでも檜葉の思考は元々常識寄りだ。答えはきっと自分でも分かっている。意見の一致を持って、背中を押してもらいたいのだろう。


「身内として、年長者として、無茶な行動をしっかりと叱ってあげるべきでしょうね。正義を貫こうする姿勢は立派だけど、あなたが指摘したように、己の身を亡ぼす結果にもつながりかねないから。実際に身をもって危険を体感した今なら、また契一郎くんの受け止め方も変わって来るでしょうしね。しっかり叱って、しっかり諭して、その上で一人の女性の命を救ったことを褒めてあげなさい。それはきっと、あの子のことをよく理解している檜葉ちゃんにしか出来ないことよ」

「そうですね。俺にはその責任があります」


 檜葉は力強く頷くと、気合いを入れるかのように一気に手元の缶コーヒーを飲み干した。


「契一郎と向き合うためにも、先ずは一連の事件を解決しないといけませんね」

「そうね。私達は宿主の正体を中心に事件を追っていきましょう。きっと尋の助けになれるような情報もあるはずよ」

「でしたらまずは――」


 現職の刑事と政府の特務機関の捜査官。追いかける主たる謎は違えど互いに捜査を生業とする人間だ。言葉も徐々に熱を帯びていく。


 休憩スペースは何時の間にやら、小さな会議室と化していた。

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