ep19. 神秘と鋼鉄の街

 ドンディナンテの山中を貫く鉄橋を辿って丸二日、アルテミシアとアルバートはようやくセルティノに到着した。

 真っ赤な夕陽が燃える空の下、灰色の厳つい建物がその巨体を幾つも並べている。所々に伸びる煙突から湧き出る黒い煙で、街全体が鈍い灰色に染まっているようだ。

 セルティノは別名「神秘と鋼鉄の街」。アティリアの生産と、それらを用いた機械産業が盛んな街だ。元より蒸気機関の発達した国として大陸でも莫大な力を持ち、ティル・ノグと共同で天空塔を建造した後は天空教を支えた街として塔から莫大な支援を受けている。アティリアの製造に長けた魔技師や銀ティルヤの諸々を扱う人形師に、塔の研究者が情報提供を行うこともあって天空塔の停泊も多い。アルテミシアにとっては、まさに天空塔が見つかる可能性が一番高い都市というわけだ。

 目的地に大きく近づけたことは喜ばしい。とはいえ、粉塵に覆われたセルティノの空気は二人にとって辛いものだった。意気揚々と街に入ったアルバートも顔をしかめて呻くように言う。

 

「ミーシャ、ごめん。新しい街だけど、ちょっと上の方飛ばせて」

 

 アルテミシアも地上付近を覆う澱んだ空気には気づいていたので、すぐに首肯した。

 

「大丈夫よ。天空塔は大きいし人も沢山集まっているはずだから、きっとすぐに見つかるわ」

「うん、ありがとう」

 

 上昇するアルバートにしがみついて、アルテミシアは地上を見下ろす。高所から且つ全体が雨雲のごとくくすんだ粉塵に覆われて見えない部分も多い。しかし、通りを走る大きな車や二足で歩く機械の人形が、煙の切れ目から覗く度に彼女を驚かせた。

 そうして遠目ながら新しい街を楽しみ、「蝶」を使ってもっと細かいところや建物内を見るのもいいかもしれないと思った時だった。

 

「……!?」

 

 不意にアルテミシアの肩がびくりと震えた。大きく目を見開き、両手をアルバートの背に乗せたままじりじりと二、三歩後ずさる。直後、合歓の木の下にある家の中へ脱兎の如く駆け込んだ。

 

「ミーシャ?」

 

 突然のことに、アルバートが不審げな声を上げる。ベッドに突っ伏したアルテミシアは、ガタガタと全身を震わせながらくぐもった声を上げた。

 

「あ、アル、あれ……。あの子達が……!」

「あの子達?」

 

 アルバートが首を傾げる。街を見て言ったのだろうと何気なく下を見て、彼は思わず息を呑んだ。少し上ずった声で呟く。

 

「あれは、ティルヤ族? ……いや、銀ティルヤか」

 

 粉塵の隙間から見えたのは、千人はいようかという数の銀ティルヤが籠に詰められ、二足歩行の機械人形に運ばれている姿だった。

 遠目からでは細部まで見えないが、ぐちゃぐちゃになった銀色の髪や最早どれが誰のものか分からない手足は、彼らがとても無造作に扱われていることを如実に示している。

 これは、アルテミシアが怖がるのも無理はないだろう。彼女の心境を慮り、アルバートが僅かに瞳を険しくした。

 その時、銀ティルヤが入れられた籠が揺れて、何か彼らとは違うものがアルバートの目に飛び込んできた。

 

 (何だあれ? 緑……?)

 

 恐らく彼らの背中あたり。終わりかけの赤い陽光で、一瞬だけ光って見えた

 アルバートは首を傾げ、もっとよく見ようと目を凝らした。が、不意にアルテミシアの押し殺した声が聞こえてきた。

 

「アル……?」

 

 か細い声で名前を呼ばれて、アルバートははっと我に返った。いつの間にか移動を止めてまじまじと見入っていたのだ。慌てて再び飛びながら声をかける。

 

「ごめん。ちょっとぼうっとしてた」

「いいの」

 

 アルテミシアの返事は簡潔だ。アルバートが慌てて動いたのが分かったのだろう。短い言葉に微笑みの気配が滲む。

 少し緊張が解けた彼女の様子に、アルバートもほっと息を吐いた。まだ部屋からは出てこないが、せっかくの新しい街なのだ。怯えているよりも笑っている方がずっといい。

 そのまま、暫く無言の時が続いた。アルバートが空を泳ぐ心地よい揺れを感じながら、アルテミシアはじっとベッドに蹲っていた。が、おもむろに起き上がって出窓に近づくと、さらさらと揺れる合歓の木を見上げた。

 甘い香りを纏って佇む巨木。絶えず金属同士がぶつかる音が響く灰色の空とはかけ離れた、百花舞う森。優しいクジラの背中。

 いつも想ってくれる彼に感謝しつつ、アルテミシアは吐息を零すように囁いた。

 

「アル。銀ティルヤ達、見た……?」

「うん」

 

 アルバートが頷く気配。ざわりと動いた合歓の木に手を伸ばしながら、言葉を続ける。

 

「私も見た。それで、凄くびっくりしたし怖かったの。あの子達が、本当に人形のような扱いを受けていると知ったから」

 

 ごつごつとした木肌を撫で、とりとめなく話す。

 

「多分、この街に住んでいる人にとっては、あれが当たり前の光景なんだと思う。……もしかしたら、アスティリエの人々も、他の街の人々も、ツァイトにとっても」

 

 アスティリエの店先で売られていた銀ティルヤを思い出す。籠に入れられた、表情の乏しい少女達。彼らを買い叩く沢山の人々。多分その光景が彼らにとっての当たり前で。ツァイトの言うように、彼らを「人形」と考えることがこの世界の常識で。アルテミシアが彼らのことに思い悩み、考えていることは何もかも間違っているのかもしれない。けれど――。

 

「けれど、私には銀ティルヤを『人形』と思うことができないの」

 

 それが、アルテミシアの意思だった。

 深緑の瞳が燃える。堰を切ったように言葉が溢れてくる。

 

「私は銀ティルヤを人形と思わない。あの時、初めてあの子達を見た時、確かに彼らはほとんど動かず表情も驚くほど乏しかった。けれど、それでも彼らは生きてるの。あの子達の悲しみを、その痛みを感じたの」

 

 鳥籠に入れられ、翼を無くした鳥。自由になりたいという願いすらも知らない無垢な少女達。それでも、彼らは生きているのだ。彼らも痛みから解放され、自由になってもいいはず。少なくともアルテミシアはそう思う。

 

「だから、もし全てが終わったら……。エリュシオンを見つけて、帰ることができたら。あの子達を自由にしてあげたい。私がアルの背中に乗って知ったように、世界が広いことを……どこまでも続く果てのない空があることを教えてあげたい」

 

 行くあてがないなら、故郷の人に相談してエリュシオンに連れて行っても、アルバートの背中に乗せてもいい。自分は本当に小さな存在で、世界にはまだまだ知らない素敵なものがあることを、銀ティルヤ達にも教えてあげたかった。

 そう、夢見るように明るい声で語ったアルテミシアだったが、不意に俯くと恥ずかしそうな声で小さく付け足した。

 

「もちろんエリュシオンを見つけてからだけど……。ど、どうかな?」


 声の感じから、泳ぐ瞳やほんの少し染まった頬まで想像できたアルバートがぷっと吹き出した。予想外の反応に、きょとんとアルテミシアが瞬く。何か変だったかと問いかける彼女に、アルバートは可笑しそうに笑いを堪えて、けれどとても嬉しそうに答えた。


「いや、やっぱりミーシャと旅をするのはいいなと思って」


 軽い口調で言ったが本心だ。アルテミシアに喚ばれて、一緒に旅をできて良かったと思う。自分の目的を見据えながら、誰かを思って夢を語る。嵌められても、怖いことがあっても、他人を信じ、思いやることを忘れない。それは、ヴァンデなら甘いと言うことなのかもしれない。けれどアルバートは、そんな彼女の傍にいるのが心地よかった。

 心なしか弾んだ動きをするアルバートに、少し緊張した様子で反応を伺っていたアルテミシアはほっと息をついた。何の花か、どこから来たのか、真紅の花弁が部屋に吹き込む。床に落ちた花弁を一枚摘んだ。夕陽で一際鮮やかに輝く紅を眺めながら、アルテミシアはアルバートに言われた言葉を思う。

 アルバートは、アルテミシアと旅をするのが「いい」と言う。それはアルテミシアも同じだ。アルバートはエリュシオンでは見れないものを、知らなかった世界を見せてくれた。銀ティルヤのことも彼がいなければ分からなかった。まだ分からないことも、怖いことも沢山あるけれど、アルバートのおかげで夢を見つけて前へ進むことができた。感謝してもしきれない。

 そんなことを取り留めなく考え、何とか言葉にしようと口を開いた時、ふと頭をよぎった思いがあった。


(もし、エリュシオンが見つかったら。アルバートはどこかに行ってしまうの……?)


 できれば、ずっと一緒にいたいと思う。エリュシオンが見つかって、懐かしい故郷に帰れた後も、一緒にいられたら。

 しかし、それはきっと叶わぬ願いだろう。彼も探し物があるのだから。アルバートを召喚した時、一番最初にした話。彼が共にいるべき人は、アルテミシアではなくて彼の大魔女だ。

 エリュシオンに帰れば、アルテミシアが大魔女ではないことが分かる。そうすれば、アルバートは再び旅に出ることになるだろう。アルテミシアと別れて、本物の大魔女を探しに。

 それは、最初から分かっていたことだ。止める理由もない。沢山手伝ってくれたアルバートには、その分自由に生きて欲しい。この大空を、誰よりも自由に。

 けれど、今は。今だけは、傍にいられる喜びを。ずっと助けてくれたことに感謝を。そんな万感の思いを伝えたいと、そっと口を開いた。

 ――その時、突然アルバートが大声で叫んだ。


「ミーシャ、見えた! 多分、あれが天空塔だ!」


 いつになく興奮したアルバートの声に、アルテミシアはぴくっと肩を揺らした。慌てて出窓から手を伸ばし、合歓の木に足をかける。逸る心に思わずずり落ちそうになりながらも、何とか視界の開けたところまで登りつめる。

 そして、アルテミシアは初めて天空塔を見た。


「わあ……!」


 小さく声を上げて、その後は言葉も出ずにただじっと見つめる。限界まで開かれた深緑のまなこは驚嘆と畏怖に震えている。目の前に立ち塞がる塔には、それだけの存在感があった。

 天を突かんとばかりに聳える尖塔は所々流麗な曲線を帯び、汚れひとつない純白の色とも相まってまるで祈りを捧げる女神のようだ。優雅に裳裾を広げる塔の周囲には、控えるように大小の塔が囲む。そのどれもが緻密な細工を施され、雨風に吹きさらされてもなお霞まぬ白亜の壁面を輝かせている。全ての塔を支える土台も含め、その全容は森林クジラ何頭分の大きさか。そして、塔の全てを浮かばせるために一体どれほどのアティリアと魔力が用いられているのだろうか。

 圧倒的な威容と風格。天空塔は、まさに神の塔。魔力とアティリアによって急速な発展を遂げたホーラノアの象徴と言えるだろう。

 塔はセルティノの中心部、巨大な灰色の建物と周囲とは一線を画した豪奢な邸宅のすぐ上に停泊していた。視察でもしていたのか、揃いの白い裾長の服を着た人々が路上に列をなすのが見える。天空塔の立派な門構えに並ぶのも、同じ白服の人影。

 徐々に近づく天空塔をただ呆然と見ていたアルテミシアは、天空塔にて立ち並ぶ人々のひとりと目が合った。

 その人物は、周囲の人と比べ一際豪奢な服装であった。裾を引きずるほど長い白地の服には金刺繍。光に透けるヴェールを長く垂らした立派な被りものに、白く豊かな髭。

 彼はアルテミシアの姿を見つけると、琥珀の瞳をきらりと輝かせ優雅に腰を折った。老人らしく嗄れた、けれど威厳のある声で告げる。


「ようこそ、天空塔へ。我らが姫君よ、ティルテリア様とともに塔の最上階でお待ちしておりますよ」


 燃える陽はとうに沈んだ。後には小さな星すら見えず、ただ温い夜風がアルテミシアの金髪を揺らす。


 ――これが彼女達にとって、今までで最も長い、長い夜の始まりだった。

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