第12話 渦の世界6 差し伸べた手は

えぬは精一杯手を伸ばした。空吸いはそれすらも引き寄せ、吸い込もうとした。ばらばらになって、大きく伸びたえぬの手は、鼻の潰れた少年の手を力強く握った。


「良かった。今度は手を伸ばしてくれて」


鼻の潰れた少年が、ブー太が言った。


「忘れてたみたい。大人になるうちに。ごめんねブー太」


えぬはにこりとした。


「いいんだ。人は忘れることで前に進める。荷物は軽くなきゃ足取りも重いからね」


ブー太が白い歯をむき出しにして笑った。


「それに、大人って言ったって、君はまだ中学生じゃないか。多感な少女はもっと夢中になるべきことがたくさんある」


「とりあえず今は無我夢中かな」


2人は静かに笑った。


「さて、えぬ。1つ、思い出したね。じゃあそろそろお別れだよ」


腕が軋んでいる。急に腕が右に左に捻れるような痛みが襲ってきた。


「大丈夫かい?えぬ」


「大丈夫。痛いのには慣れてるから」


「君は、痛い思いをしなくても生きていていいんだからね」


そう言ったブー太の目は少し潤んでいた。仔犬や仔猫を見るような、そんな視線だった。


「手を差し伸べてくれてありがとう。えぬ、わからないことを怖がらないで。君をちっぽけな存在だとにしてしまうから。世界は広いよ。また旅立てるかい?」


えぬは歯を食いしばりながら頷いた。


「困ったときには、今度は僕が助けに行くから」


プールの栓が外れたように空吸いが大きくうねり、ブー太が勢いよく吸い込まれていった。


それとほぼ同時に、えぬの身体は無数の煌めきになった。痛みからは解放され、煌めきのまま空へと昇っていった。やがて、煌めきは空へ散らばっていった。


薄れゆく意識の中でえぬは思った。


今回の世界は、終わり方が違った。いつもはしばらくその世界にいた後にふとしたタイミングで身体が煙のようになり、そのまま意識が途絶えていった。今回は、何か「正解」のようなものに近づいた気がした。何となく、様々な世界を歩くようになって、ここまできたけれども、ブー太のことを思い出した。それから、その周りの人々のことも少し。


途中からえぬになったことも、思い出した。

だけれどきっかけはまだ思い出せない。


記憶を取り戻すのが、世界を歩く理由?記憶を取り戻したら、世界はどうなる?えぬはどうなる?


わからないことだらけだったけど、えぬはあまり怖くなかった。これからなにが起きるのか、むしろ楽しみだった。不安はもちろんあるけれど、堂々巡りのレールからようやくはみ出した気がした。


えぬの旅は、見つけるまでの旅。何かはわからないけど、大切なものを。




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