第6話 渦の世界5 邂逅

「うう」


鼻の潰れた少年は短く呻いた。渦は大きな音を立てながら、少しずつ少年の腕を細かく、さいの目のようにして吸い込んでいく。


「走って。まっすぐ走れば街がある。街までいけば空吸いも手をだせないから。早く!」


少年はえぬに向かってそう叫んだ。足を止めていたえぬは、少年に背を向けた。すぐに一歩踏み出そうとしたが、一歩目がでなかった。


急に、腹の奥から手が伸びて、脳を撫でられているような嫌な感覚が襲ってきた。厚く包んだ記憶を探られているような。奥に閉じ込め、忘れようとしていたページを一枚一枚めくられるような。


振り返って、少年の方へ進んだ。今度はすんなりと一歩目が出た。


空吸いの勢いが増している。えぬは太い木の幹にしがみついた。少年は、右手で地面に突き出た岩をつかみ、必死に堪えている。体は中に浮き、両足もすでに渦の一部と同化して、ぼやけたように伸びている。果たして、それはまだ少年の足なのかは定かではない。


どうすればいいんだろう。痛いのは嫌だ。手を伸ばしたところであの渦ではどうしようもない。えぬは考えた。


そもそも、あれは痛いの?


でも、潰れた鼻の少年はつらそうだ。なぜ、つらいの?


渦に吸い込まれた先はなに?少年は言っていた。「人間、怖いのは未知」と。


えぬは考えた。


考えても、何もわからなかった。だから、動けなかった。


えぬはわかっていた。本当は、心の奥底ではわかっていた。やるべきことは考えることではなく、一秒でも早く、自分のしたいことをすることだと。


「ブー太!」


えぬは少年に向けて精一杯手を伸ばした。

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