第16話 連携対連携(後編)

「はい……九条です」

『やっほ九条くん。ユミちゃん先輩だよ!』


 通話の向こうで朗らかな女子生徒の声が響いた。2年の奥村悠美先輩、僕や円たちビショップが籍を置く『陰陽部』の実質的部長だ。彼女が僕に連絡を寄越す時は、大体9割ほど決まって同じ用事である。


「もしかして、イレイズが出たんですか?」

『まぁ、早い話がそうなのよ。しかも今回は複数の場所で同時に観測された厄介なパターンで……って、九条くんなんか息上がってない? 大丈夫?』

「……ええ、一応」


 よりによってこのタイミングか、と僕は小さく嘆息した。『陰陽部』における奥村先輩の役割は、主にパソコンのマップを駆使して街中のイレイズの出現場所や規模を割り出すサポート専門だ。戦う中では非常にありがたい反面、彼女から連絡が来るということはイレイズ出現とイコールなので平和な日常は終わりを告げてしまう。


『とりあえずコジローくんにも行ってもらってるから、場所の一つはM・ブルーポイント……並木大橋付近に向かって欲しいな!』

「えっ、長谷川先輩もう大丈夫なんですか?」

『うん。相変わらず引きこもってて授業もあんまり出てないけど、怪我の方は問題ないみたい』


 奥村先輩が「コジローくん」と呼ぶ、彼女と同じ2年の長谷川小次郎先輩は狙撃を得意とするビショップだ。だが、普段の彼は常時メンタルに問題を抱えており中々人前に姿を現すことがない。以前僕たちと戦ったイレイズ25号を相手に負傷して石上と同じ病院に入院していたのだが、人に会うのが恥ずかしいのか僕たちが見舞いに行った時には何かと用事をつけて行方をくらませていた。


「分かりました。並木大橋っていうとここからそんなに遠くはなさそうですし、行ってきます」

「いっちゃん!」


 通話を切ると同時にスポーツドリンクを両手に持った円が走って戻ってきた。


「今日の修行はおしまい。あいつらの気配が近付いて来てる!」


 奥村先輩から連絡を受け取った時点で円も気付いているだろうという予感はあった。彼女のプロメテは僕たちの物とは違う最新型で、イレイズが出現すると適合者が気配を察知できる優れた機能を内蔵していた。

 だがその察知はあまりにも急で、今日のようにいきなりの対応を強いられることも多々ある。仮に僕が適合者だったら使いこなせるかは正直微妙だ。


「とりあえずこれ飲んで、一緒に行こう!」


 非常事態にも関わらず僕の体調を慮ってくれたのか円がスポーツドリンクのボトルを手渡す。その切り替えの早さは流石と言うべきか、伊達に1年以上前線で戦ってきたビショップではない。

 時間に余裕はないので僕は手早く飲み物を数口含み、円の後を追って走り出した。


 スポーツジムを出て1kmほど北に走ると、街の境目となる川があり指定されたポイントの並木大橋はそこにあった。時刻はほとんど夜であり住宅街から離れているので街灯くらいしか明かりがなく、周囲の視界はそこまで良くない。


「円、とりあえず奥村先輩に言われたポイントがここなんだけど何か感じたりしない?」

「うん……私にも正確に『ここ!』って場所が分かるわけじゃないから漠然としたことしか言えないんだけど、かなり近づいてきてるよ。でも、今もあちこち動き回っている。私たちのこと避けてるのかも」


 そう言うと円は腰に提げたポーチから自身のプロメテを取り出した。その口ぶりから察するにイレイズは既に取り込んだ人間の姿を借りてこの街に現れているようだ。逃げられる前に、僕たちの手で討滅しなければならない。


「いっちゃんも準備して」

「うん、分かっ……」


 彼女に促され僕もポケットからプロメテを取り出そうとした、その時だった。


「あれ? 円?」


 つい今の今までそこにいたはずの円が忽然と姿を消していた。慌てて周囲を見渡してみたが、やはり彼女はどこにもいない。

 手に持ったプロメテの表面を見てみると、幾何学的な謎の紋章が浮かび上がっていた。


(魔鐘結界が、開いている……?)


 ビショップが能力を行使する際、魔鐘結界と言って魔力を身体に宿す者……つまりはビショップとイレイズしか入ることのできない結界を開く必要がある。その範囲は開いた人間から半径1kmほど。つまり結界を開いたのが円だとしたら、ここに彼女と僕がいなければおかしいのだ。

 考えられる事象は一つ。ここでない場所で僕たち以外のビショップが魔鐘結界を開いて、ギリギリ円だけが範囲外で弾かれたのだ。となると、開いた人間は恐らく長谷川だ。

 円がいないため少し不安ではあるが、今さら嘆いても遅いのでここは僕と彼だけで頑張るしかない。


「よし……行こう」


 僕は手に持ったプロメテを左手首に翳した。するとプロメテは僕の身体に溶け込むように消え、手首の一部だけ機械化されたように感覚がなくなる。


『Tell me what you want to do. Tell me what you want to do. Tell me what you want to do……』


 直後、音声合成ソフトのような無機質な英語の声が頭の中に響いた。意味は「何をしたいか言え」。それに対する返答も既に決まっている。

 僕はその声に向かって叫んだ。


魔力注入インゼクション!」


 その詠唱に反応し、左手首から全身にかけて涼しさにも似たぬるっとした感覚が流れ込んできた。全身の感覚が研ぎ澄まされて、周囲の風音すら細かく聞き分けられるようになる。

 これでようやく準備完了。ビショップの戦いが始まるのだ。


(来た……!?)


 敵は既に自分たちの存在にも気付いているかもしれない。そう円が言ったように、アスファルトを叩くような複数の音が聞こえて来た。人間の靴音とは違う、蹄を鳴らすような重い足音だ。

 警戒しながら周囲を見渡すと、体長2mはあろう異様なシルエットがこちらに近付いてくる。ゆっくりと距離を詰めてくる「それ」は街灯の光に照らされて人ではない異形の姿を映し出す。


(ら、ライオン? いや、キリン……!?)


 二足の太い脚に、鉄の鎧にも似た露出された上半身。そして首から上は雄々しい黒の鬣をびっしりと生やした怪物。例えるならライオンが近いように思えるが、よく見たら頭部に歪な2本の角があり中国の神話に出てくる麒麟キリンの方がしっくりくる。

 これがイレイズ。明らかに自然界の生物とは違う異形の姿をした、人類の仇敵だ。


「……エ……モノ……」

「!」


 片言で何かを呟いたキリンのイレイズが凄まじい速度でこちらに向かって走り出す。反射的に腕で防御の体勢を取るも、重い全身を使った突進攻撃をまともに食らってしまい、僕は背後に吹っ飛ぶ。


「くっ……」


 背中をアスファルトに強く打ちつけるも、痛みは微々たるものだ。魔力が体内に流れている間は肉体が硬質化し、全体的なパワーが強化される。1、2発の打撃程度でやられることなどはない。

 僕はすぐさま起き上がり、左手に意識を集中する。すると、プロメテが入っていった手首付近から赤い炎を纏った蛇が這い出るように現れた。炎の蛇はそのまま左手にぐるぐると巻き付くと、ボクシングのグローブのような塊を形成する。


「おりゃあーー!!」


 僕はそのまま走って接近して、キリンのイレイズの胸部を思い切り殴りつけた。

 今度はイレイズが勢いよく吹っ飛び地面を転がる。通常のパンチでもダメージを与えられるほどビショップの肉体は強化されているが、炎の蛇を纏わせた拳はそれの比較にならない威力を秘めており僕の持つ0号プロメテ固有の能力であった。

 キリンのイレイズは完全な撃破までとはいかないものの相当なダメージが入ったらしく、足をふらつかせて上手く立ち上がることが出来ないように見えた。


(よし、弱っている!)


 僕は勝利を確信し、よろめくキリンのイレイズに近付いた。

 だが次の瞬間、僕の視界は大きく揺らいだ。


「っ! 痛ったぁ……!」


 背後から硬いもので頭部を殴りつけられ、僕はその場に膝をつく。一瞬意識が飛びかけたためか、炎の蛇は僕の手首の中に戻っていた。

 くらくらする頭を押さえて背後を振り返ると、そこには先ほど殴り飛ばしたキリンのイレイズと瓜二つの姿をした、もう一体のイレイズが立っていた。手には重量のある鋼鉄製の大剣らしきものが握られており、これで思い切り頭を殴られたのだと理解する。

 頭頂部から額にかけて、血が一雫ぽたりと流れる。


「うそぉ……もう1体って……」

「……ユケ」


 イレイズはとどめを刺そうと持ち上げた大剣を振り下ろし、僕はすかさず背後に回避行動を取った。大剣は空を切って地面に激突し火花を散らす。

 僕はその隙を逃さずガラ空きになったイレイズの脇腹に蹴りをかました。意識が途切れかけていたので炎の蛇は使えないが、今はこの身一つで切り抜けるしかない。


「グ……フン」


 全く効かないという訳ではないだろうが致命傷には程遠く、一瞬呻いたイレイズはすぐに体勢を立て直し大剣を構えた。


「うわっ……!」


 イレイズは力任せに大剣を振り回し、橋の欄干や街灯の柱など様々な器具にぶつけては形を歪ませる。狙いこそ正確ではないものの、速さと重量が乗ったその剣戟を僕は避けるだけで手一杯だった。

 炎の蛇が再び生成されるまであともう少し。それより早くイレイズの大剣が僕の胸元を捉える。

 だが直後、どこからか銃声が響きイレイズの手から大剣が落ちて地面を転がった。


「ゥグ……ウッ!」


 イレイズは苦悶の声をあげて手の甲を抑えていた。指の隙間からは黒々とした液体がとめどなく溢れており、地面を滴らせる。

 誰かがイレイズを撃った。それが可能なのはこの空間に一人しかいない。


「九条!」

「せ、先輩!?」

「そこから動くな、今ケリをつける!」


 橋の向こう側から、長い狙撃銃ライフルを構えた高校生が僕を呼んだ。身長が高く赤みがかかった茶髪が特徴の、歳のわりにはやや大人びたその男の名前は長谷川小次郎。

 長谷川は続け様に二発、三発と弾丸を浴びせそのどれもがイレイズの肩や頭部に名中する。彼の銃撃の腕は、昨日の近江とはまた違ったベクトルで並外れていた。


(す、凄い)


 彼の狙撃には危ないところを以前も助けられたことがあった。普段は気弱な先輩だが、戦いの時になるとハードボイルドな性格に変わり、プロメテの能力で銃火器を生成する頼れる仲間だ。


「グゥ……ッ! オオァッ!」


 痛みに耐えかねたのか、イレイズは咆哮しながらその場から脱走を図る。


(逃がさない!)


 だが既に僕の炎の蛇は再生が完了していた。左手首から伸びた蛇は背を向けて逃げ出すイレイズの胴体に巻きつき、力任せに締め上げる。

 イレイズはもはや声を上げることもできず、殻のような肉体がボロボロに崩れ落ちていく。その胸部の隙間からは、心臓のような核の部位がちらりと覗かせた。


「先輩!」

「ああ、分かっている!」


 目を合わせた瞬間に長谷川は頷き、露出した心臓部目掛けて正確に狙撃銃ライフルの弾丸を撃ち込んだ。

 次の瞬間、締め上げられていたイレイズが光に包まれて、轟音と共に爆発を起こした。

 ダメージが蓄積し、とどめの一撃を受けると爆発四散する。これがイレイズの最期であった。


「ありがとうございます先輩。助かりました」

「ああ。それよりも九条、沢灘の方は一緒じゃないのか?」

「あっ、はい。先輩が開いた魔鐘結界のギリギリ外にいたみたいで」

「いや、この結界は俺が開いたものではないぞ。どちらかと言うと、俺も巻き込まれた方なんだが」

「えっ?」


 状況説明が噛み合わず長谷川は首を傾げた。魔鐘結界を開けるのは基本的にビショップだけで、付近には僕と円、長谷川しかいなかったはずだ。なのに彼が開いたものではないとすると、いったい誰が開いたのだろうか。


「フグゥ……グルルァ!」


 敵を撃破して気を抜いたのも束の間、遠くの方で最初に殴り飛ばしたキリンのイレイズが鼻を鳴らして立ち上がった。完全に我を忘れたようでその姿は怪物ではなく猛獣に近い。


「いけるか、九条」

「大丈夫です」


 臨戦体勢を取る僕と長谷川。先程は不意打ちを食らったが、今度は2人がかりでしかも相手は弱っている。正面からぶつかっても撃破は容易いと、僕は判断した。

 その時であった。


(なんだ、この音……?)


 僕たちの背後から、がしゃんがしゃんと機械の部品が駆動する音が聞こえた。振り返って音のする方向を見ると、白い鉄製の外骨格に身を包んだ影がこちらに近付いて来ていた。数は4人程で、各々がハンドガンやサバイバルナイフなど手頃な武装を携行していた。足のつま先から首の上まで一切肌を露出させず機械骨格の外装とバイザーを纏ったその姿は、さながらアメコミ映画に登場するパワードスーツだ。


「な、なんです? あれ」

「……俺も分からん」


 どうやら長谷川も見たことのないものらしく、僕たちは二人して頭に疑問符を浮かべた。

 謎のパワードスーツ集団はそのままずんずんとこちらに接近して、キリンのイレイズから僕たちを庇うように立つ。


「ここはお下がりください。後は我々がやります」

「はい?」


 チェーンソーを持ったパワードスーツの一人が振り向き、僕の肩に手を置いた。友好的にも見える態度から敵ではないようだが、さっぱり状況が掴めない。


「手出しは無用よ。お二人さん」


 僕たちの背後からさらに声がした。同年代よりは上の、幾つか歳の離れた女性の声だ。その声に僕は、つい最近聞き覚えがあった。


「これは彼らの仕事よ。危険なことは、ぜーんぶ大人たちに任せておけばいいの。うふふ」


 そこにいたのは、今朝僕たちのクラスに挨拶した教育実習生、石上紗耶だった。

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