ⅰ.出立


 口火を切ったのは黒猫だった。


『食べるモノがナイにゃあ』


 他人事ひとごとのように、彼がうなずいて答える。


「うん。どうしよう、エメ」


 きらきら光るエメラルドの瞳で黒猫は目の前に立つ青年をにらみ上げた。

 すんなりと長い二本のしっぽが、不安定な気分のままにゆらゆら揺れている。


『探しにィかにゃ、りぃがッ』

「んー……、面倒だなぁ。僕コレ食べるからいいよ」


 砂礫されきにうずもれたカラカラの骨のカケラを指差してリレイがそんなことを言い出したので、黒猫のしっぽと翼がピンといきり立った。


『りぃはカスミ食べてりゃイイにゃうにゃ、ふぃーにナニ食べさせるにゃ!』

「なんで知ってるの、かすみ

『寝言ッてたにゃッ』


 ぬいぐるみの身体と機械の翼で造られた黒猫には精密な人工知能が登載されている〝らしい〟のだが、なぜか時々こんなふうに言語が崩壊する。

 それでも、なんとなく通じてしまうので、リレイはあまり気にしていない。

 言い合うひとりといっぴきにはまるで無関心に、フィーはというと、色鮮やかなハギレを継ぎ合わせてなにかを縫っていた。

 かたわらに、白い磁器で造られた人形が置かれている。縫っているのはその衣服らしい。


『食べモノ探しにクにゃ!』


 命令みたいに宣言した黒猫のエメラルドの瞳には、剣呑な光が揺れていた。

 リレイは笑顔を崩さず、その瞳と視線を合わせるようにしゃがみ込む。


「キミが探してきたらいいと思うよ、エメロディオ君」

『りぃがふぃーを食べるかりゃダメにゃッ』

「なにソレ、ひどい誤解だな。僕は人を喰ったりしないよー」

『えめはふぃーの護衛にゃのにぁ!』


 現状の認識は、護衛猫のエメロディオと天狼のリレイとの間でいささかのズレがあるらしい。しかも渦中の少女は現状そのものに無関心ときている。

 エメロディオにすれば、フィーが危機にさらされる状況はなにより許しがたい。


 だから、眼前のやる気ナシな狼に情けをくれる理由はなかった、……諸々もろもろの意味で。


 彩りの綺麗なふわふわのドレスを人形に着せてあげて、つばの広い麦わら帽子をかぶせてあげて、膝の上のクマを抱きなおして、フィーはそこでようやく顔を上げた。


「…………」


 腕を組んで自分を見下ろす天使のナリをした青年の顔に、見事なひっかき傷ができているのが目に入る。どこかあきらめムードただようビミョーな笑顔を貼りつけた彼の頭上には、黒猫が勝ち誇ったように鎮座していた。

 ぼやんと見上げる少女に彼は、うんざりした風に笑って、言った。


「フィー、エメがお腹すいたんだって」

『言てナイにゃ』


 話を合わせるつもりは微塵もないらしい。リレイの言葉をエメロディオはあっさり否定し、鋭いツメをのぞかせたままの前足で、ぺしぺし、と彼の頭を叩いた。


『出立にぁッ』






「で、どこ行くのさ」


 ゆたりと翼を羽ばたかせるたびに、風が耳元をざわめいて通り過ぎてく。巨狼の長い毛並みに埋まりながらしがみつき、クマのぬいぐるみを落とさないようしっかり抱きしめたフィーの隣で、黒猫も翼を仕舞い、狼の毛皮にツメを立てる。


 蒼い蒼い獣の姿はきっと、地上から見上げればけぶる空に溶け入って、視覚で見分けることはできないだろう。


 白い廃墟を後にして、渡り鳥と同じ空の道をゆくこと、約半日。

 けれど、かれらであれば生まれつき持つ太陽と星空の地図を、リレイは持っていない。


『解らーにゃ。えめは護衛にぇにゃ、地図しらにゃーにゃ』


 期待はしていなかったが、やはり猫、渡りの仕様ではないのだろう。

 エメロディオに当然の顔で言われてしまい、リレイはふわぁと、溜め息かあくびかつかない息を吐き出した。


「僕、すごい方向音痴なんだよね……」


 それはもう、自他ともに認めるほどに、筋金入りの。

 どうせ向かうべき正しい方向などないに等しいのが現実なのだし、闇雲に空を進む分にはあまり関係ないのだが、もう二度と元いた場所には戻れなさそうだった。






「りれくん。あれ、なに?」


 形骸けいがいだらけの世界だと、太陽の位置以外は時間の流れが曖昧あいまいだ。もうどれくらい飛び続けた頃だろうか、唐突とうとつにフィーが言った。

 腕を上げかなたを指差す背上の少女を視界のはしに見、狼の長い耳がぱたりと動く。


「んー、アレは建物かな。たぶん、人が住んでるんだね」


 白く高いシルエットが綺麗な建物と、丁寧にならされた地面。木を組み合わせてわらをふいただけの質素な小屋が、幾つか近くに立ち並んでいた。


 黒猫がエメラルドの瞳を輝かせ、ツメを立てて真下を見ながら声を上げる。


『ヒトがいりゅにあ食べモノもあるにゃ!』

「解ったから、耳元で騒ぐなー。エメうるさい」


 引っ掛かったツメが痛かったので、耳をパタパタさせながらリレイはエメロディオに抗議する。それを聞いたフィーが腕を伸ばして黒猫をぎゅっと抱きしめた。

 少女の腕の中、黒猫は不完全燃焼ちっくにふしゅうと唸りつつも、静かになる。


「……降りるの?」


 フィーに問われ、リレイは狼のくせに笑うように口を開いて、答えた。


「神殿があるから気が進まないけど。他に見当たらないし、アテもないから仕方ないなぁ」

「神殿、キライ?」


 翼に当たる風の角度が変わる。ふぅわりとした浮遊感は、彼が着地の方向へ体勢を切り替えたからだ。長い耳が緊張しているのか、ぴんと張っていた。


「神殿っていうか……、僕。神様キライなんだ」

「……ふぅん」


 無感動なあいづちを返しただけで、フィーは理由を聞いたりしない。リレイも、言うつもりなかった。


 急降下にともなって、地面がどんどん近くなる。

 白い砂礫されきの地表に綺麗な模様をえがくひとの生活痕に、狼の濃青の双眸そうぼうが細められた。



 たどりついたそこがなんと呼ばれる土地なのか、を、ふたりといっぴきはまだ知らない。







 to be...

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