第6話

 鶯が残雪の季節を賑やかに彩りだした。街では、着物にセーターやマフラーを身につけた子供が雪で遊んでいる。待雪草が花をつけ、風にゆらりと揺れた。少し春の気配はするものの、まだまだ厳しい寒さが街を包んでいる。


「随分日が暮れてきましたわ。空気が澄んでいますし、星もよく見えるでしょうね」

 そう言って女将さんは縁側へ行き、星を眺め出した。確かに満月で雲もなく、五等星すらも肉眼で見える。良い夜だと言えよう。

 女将さんと同じく、星を見ようと縁側に近づく者がいた。首からロザリオを下げた、和服の青年だ。

 青年は、女将さんに声をかける。

「星が綺麗ですね。夜空を見上げるとは、粋な女将さんだ」

 女将さんはそれを聞き、微笑んだ。

「お客さん、こんばんは。ごゆるりと過ごせていますでしょうか」

「とてものんびり出来てます。落ち着く宿ですね」

 青年はそう応えると、縁側に座り、癖のようにロザリオを左手で軽く握った。

 ロザリオに気づいた女将さんは、青年にこう提案する。

「この街にも教会がありますのよ。明日は日曜日ですし、お時間があれば、そちらで祈りを捧げては如何でしょう」

 そして、青年に街外れにひっそりと佇んでいる教会の場所を教えた。


 その教会はカトリックの、白く四角い建物であった。小さくてシンプルな構造をしているが、造りの良い十字架が設置されている。

 雪が降り積もる早朝。青年は、女将さんが言った通りの場所へ向かった。教会へ入ると暖炉に火が灯っており、安堵の表情を浮かべる。そして、場所は違えどいつも通りミサに参加した。

 ミサが終わった時雪は振り止んでいたが、寒さに青年は身震いする。そして宿屋への道をゆっくりと、雪に足跡をつけながら歩いた。


「……あら、おかえりなさい。この街の教会はお気に召しまして?」

 女将さんは、宿屋に着いた青年を出迎えた。青年はとても満足そうだ。

「小さくも手入れの行き届いた、美しく過ごしやすい教会でした。近くだったら、通っていたかもしれません」

 青年は長崎の出島出身で、父方の先祖参りに行く途中、宿屋「縁」を利用したとの事だった。親戚にも会うらしく沢山の南蛮菓子を持っていた。

「もしよろしければ、このマファールを食べてみてください。とても美味しくて好きなので、広めたいのです」

「それは申し訳ありませんわ。宿をご利用していただきましたのに」

 しかし青年は、「気に入ったら是非、長崎へ遊びに来てください」と引かなかった。

 それを聞いて、女将さんは少し微笑みながらマファールを受け取る。

「では、有り難く頂きますね。従業員と分けて、広めるお手伝いをしますわ」

 と言い、嬉しそうな表情を浮かべた。


 女将さんは書庫へ行き、かつて読んだ聖書を手に持った。月日の中で少し被った埃を拭い、本を開く。

「この時期は絵踏みが行われていたと聞きます。決して美しいだけの季節では、ないようです」

 そう言いながら、本の縁を指でなぞった。紙のサラサラとした感触を味わいながら、こう続けた。

「それでも人や季節や言葉など、何かを慈しむ心を忘れてはならないと思いますわ。聖書にも、愛は自慢せず高慢になりません、とありますし。常に平等に、対等に。そうすれば、宗教の違いも気になりませんもの」


 その日の昼、女将さんは青年を見送った。

 そして、マファールを従業員の休憩所に置き、誰かがやって来るのを待つ。程なくして休憩時間となった仲居さんがやって来たので、一緒に味わった。

 とても美味しいわ、郷土愛に溢れた青年でしたの、と言いながら。

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