JSが現れた

 ヤーさんが逃げてから数分すると、紅葉が甲板探索を終えて戻ってきた。


 現在この場には、俺、バカ、華恋、紅葉の四人。香坂さんはやるべきことがあると言ってどこかに行ってしまった。編集者としての仕事か何かだろう。


「暇ね……」


 海面に視線を送りながら紅葉がポツリと呟く。


「まあ流石にずっと似たような景色だとな」


 紅葉の言葉に俺も同意する。最初は初めての海の景色に目を輝かせていたが、流石に飽きてきた。


「暇なら我と共に血の狂乱を楽しまぬか、好敵手よ?」


「断る」


 バカもいつの間にか復活して超絶ウザい。


 不意に吹いた風に乗って潮の香りが鼻腔をくすぐる。そこで俺はあることに気付いた。


「JSの香りがする……!」


「華恋、矢沢さんのところに行って医者がいないか訊いてきて。ロリコンを拗らせて頭をヤっちゃったバカがいるって」


「わ、分かりました!」


「いや分かりましたじゃねえだろ」


 紅葉の戯言を鵜呑みにしてヤーさんの元へ行こうとする華恋の腕を掴みながら抗議する。


「ちょっとJSの香りがするって言っただけじゃねえか。どうして医者を呼ばれなくちゃいけないんだよ?」


「ちょっと? JSの香りがするなんて常軌を逸した発言がちょっと? あんた頭がおかしいんじゃ……元からおかしかったわね」


 このアマ泣かしてやろうか。


「そもそもJSの香りって何よ?」


「JSのみが持つ甘く芳醇な香りだ。俺は香りをおかずにご飯三杯はいけるぞ」


「キモ……」


 シンプルな言葉が一番傷付くよな。グスン。


 気を取り直してJSの香りの発生源を探す。いないと思っていたJSの存在に、俺の胸は高鳴るばかりだ。


「確かJSの香りがしたのは……あの辺だな」


 距離的にはそう遠くないので行ってみることにする。


「ちょっと、どこに行くつもりよ?」


「麗しのJSのところだ」


「そう。なら私も一緒に行くわ。華恋も来る?」


「はい。お邪魔でなければ」


「いや、何でお前らまで来るんだよ」


 こいつらに来られても邪魔なだけだ。


「我も行くぞ」


「あっそう」


「我に対してだけ雑ではないか!?」


 このバカは適当にあしらうのが得策だ。


「お前らは別にJSに興味はないだろ?」


「確かにJSに興味はないけど、あんたが奇行に走らないように見張る必要があるわ」


「失礼な! 俺はJSを前に粗相をしでかすような男じゃない! 信用してくれ!」


 変なことをするつもりはない。ちょっと俺がこの日のために買い揃えた下着と水着を着て、撮影に協力してもらうだけだ。


「安心して。私は幼馴染としてあんたを信用してるわ」


「紅葉……!」


「あんたがJSに対してロクなことをしない変態だって信用してる」


 この世にこれほど嫌な信用が未だかつてあっただろうか? いやない。


 幼馴染っていいな、と思った俺の純情を返してほしい。


「……まあいい。来るなら勝手にしろ」


 それだけ言って俺はJSの香りのする方へ歩き出す。


 この船に乗っているのは大半が編集者と作家だ。そのためJSは周囲から浮いてしまうのですぐに見つかった。


 ――夏にふさわしい白のワンピース。栗色の髪はサイドテールで纏められている。愛らしい顔立ちのJSだ。


 JS愛好家の俺の目からすると、身長は一メートル二十四センチ、体重は二十七キロといったところか。可愛すぎる。


 JSは何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回していた。どう見ても困っているので、JSを愛する紳士として助けてあげよう。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」


「え……」


 唐突に声をかけられたためか、JSの顔は動揺してるように見える。だから俺はありったけの笑顔を浮かべてJSを安心させにかかる。しかし、


 ピリリリリリリリリ!


 甲高い音がなる。


 音源はJSの右手。何か握ってると思ったが、どうやら防犯ブザーだったようだ。


 周囲の視線が集まるが、そんなのはどうでもいい。問題は俺が防犯ブザーを鳴らすほど警戒されてるという点だ。


 ただ声をかけただけなのに、なぜ防犯ブザーを鳴らされなくちゃいけないんだ? ちゃんと紳士の如し笑みで接したのに。


 どうすればこのJS誤解を解けるのだろう? そんなことを考えていると、何かが轟音と共に迫り来る。


佳澄かすみィいいいいいいいい!」


 轟音の主はヤーさんだった。


 ただでさえ指名手配犯にすら見劣りしない凶悪な面構えのくせに、今は鬼の形相を浮かべてるせいで更に恐ろしいことになってる。普段の冷静さはどこへ行ったのやら。


 ヤーさんはJSの前まで来ると、彼女を背に庇うようにして俺たちの前に立ち塞がる。


「パパ!」


「大丈夫か、佳澄?」


「うん。パパに言われた通り、防犯ブザーを押したよ。私に笑顔で近づいてくる人は、みんなろりこんなんだよね?」


「ああそうだ。特に目の前のアレはロリコンの中のロリコン。真性の変態だから、不用意に近づくんじゃないぞ?」


 今すぐぶち殺してやりたい衝動に駆られるが、JSがいるところで血反吐をぶちまけるまでボクシングというのは、情操教育上良くない。


 そんなことより今はJSとお喋りする方が大切だ。


「ヤーさん、そこの見目麗しいJSは知り合いか?」


「私の娘の佳澄だ。今回の旅行のことを知って付いて行きたいと言い出してね。仕事に娘を同行させるのはどうかとも思ったが、結局連れてきてしまった」


 なるほど、それでJSがこんなところに……娘?


「……なあバカ、MUSUMEってどこの国の単語だ?」


「我の予想だと、ヤクザの隠語か何かではないか?」


「なるほど。ヤーさんだもんな」


 バカの中々の推察に思わず感心してしまう。最初は娘と聞こえてしまったが、あれは聞き間違えだろう。


「君たちはバカなのか? この子は私と血の繋がった正真正銘の娘だ」


「「バカな!」」


 あまりの驚きに俺とバカの声が重なる。


 ヤーさんに娘が……そもそも結婚してただと!? しかもこんなに可愛いJSが娘だなんて……羨ましい!


 もし嫉妬心で人が殺せたら、今頃ヤーさんを八つ裂きにできただろう。


「君たちが信じられないのも無理はない。娘は私よりも妻似だからな。まあ、少しなら私に似てるところもあるがね」


「似てる……ところ?」


 JSを観察してみる。


 俺が視線を向けると、ビクっと震えてヤーさんの背に隠れてしまった。小動物みたいで超絶可愛い。


 しかし、よく観察してもこんなに可愛いJSとヤーさんに似てる部分は全然見つからない。


「ヤーさん、あんたと佳澄ちゃんの共通点なんて全くないぞ」


 仮にあったとしても多分ウォー○ーを探すより難しいぞ。


「情けないな好敵手よ。我はすでに一つ見つけたぞ」


「……嘘だろ?」


 こんなバカが俺より先に見つけただと? 冗談だろ?


「ふっふっふ、貴様はこの程度のことも分からないのか? 永遠の好敵手と思っていたが、どうやら我の見込み違いだったようだな」


 ここぞばかりに煽ってくるバカに殺意が湧く。バカにバカにされることがここまでの屈辱だとは知らなかった!


「そこまで言うなら俺に教えてくれよ! もし間違えたらただじゃおかねえからな!」


「いいだろう、特別に教えてやる。そこのJSと編集長の共通点それは――目が二つあることだ!」


 それはそれは自信満々に、バカは大層なドヤ顔で言い切った。


「お前……天才か!」


「いやどう考えてもバカじゃないか」


 完全に盲点だった。確かによくよく見てみると、二人とも目が二つある。この違いに気付くとは……バカと天才は紙一重という言葉があるが、もしかしたらこいつは紙一重の天才かもしれない。


「しかしなるほど……こうして見ると二人の共通点は多いな。二足歩行できるところなんて瓜二つだ」


「おお、好敵手よ! そこに気が付くとは貴様も中々やるではないか!」


「そんなに誉めるなよ。照れるだろ?」


 互いに笑い合う俺たち。うん、いい気分だ。


「……在原君、私は彼らをどうすればいいだろうか?」


「海に捨てればいいと思います。あんなバカたち」


 何か幼馴染がヤクザと物騒な相談をしてる。何だか身の危険を感じるので話題を変えよう。


「ヤーさん、一つだけお願いがある」


「……何だ?」


 訝しむような視線が刺さる。明らかに俺のことを、警戒してるな。しかし安心してほしい。俺は別に変なことを頼むつもりはない。


「娘さんを俺にください!」


「…………」


「わ、悪い間違えた! つい勢い余って願望が出ちまっただけなんだ! だから俺を海に捨てようとしないで!」


 無言で俺を肩に背負い、投擲フォームに入るヤーさんに命乞いをする。


「ちょっと執筆のために取材をさせてほしいんだ! 原稿のためにも必要なんだ! 頼むよ!」


 少し考えるように顎に手を当てるヤーさん。検討してくれるのはありがたいが、とりあえず俺を降ろしてほしい。


 そんなことを考えていると、ヤーさんは俺を降ろしながら口を開く。


「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の全てを封じた上で何もしないと約束するなら許可しよう」


 約束するも何も、五感を封じられたら何もできないと思う。


「ヤーさん、せめて嗅覚か味覚だけでも残してくれ。その二つのうち一つでもあればJSを堪能できるから」


「君はどうしようもない変態だな……仕方ない。娘に変なことをしないと約束するなら、話をするくらいは許可しよう」


 ヤーさんは溜め息を吐きつつも妥協してくれる。流石は編集長。器が違う。


 了承を得たので早速JSの元まで近づくが警戒されているのか、ヤーさんの背から出てこない。


「すまない。娘は少々人見知りでね。悪く思わないでくれ」


「問題ない」


 俺はJS愛好家。JSのすることなら、例えどんなことであろうと容認する男だ。それに、こういった時のための秘密兵器を俺は用意している。


「ヤーさん、佳澄の好きなお菓子って何だ?」


「お菓子? そうだな……フルーツ系の飴玉が好きだったはずだが」


「フルーツ系の飴だな」


 背負ってたリュックサックを降ろし、中を漁る。確か飴はこの辺に……あった。


 俺は見つけた飴の入った袋を三種類、佳澄ちゃんの前にかざす。三種類とも一袋十数個入りのやつだ。


「佳澄ちゃん、俺とお話してくれたらこの飴をあげるよ?」


「……ッ!」


 ヤーさんの背から顔だけを覗かせていた佳澄ちゃんが驚愕の表情を作る。


「もので釣るのは人としてどうなんだ?」


「ヤーさんうるさい」


 余計なことは言わないでほしい。


 俺はただ今回の旅行がJSとの慰安旅行だと聞いて、下着や水着の他にJSとの話を円滑に進めるための道具を準備してただけだ。飴はそのうちの一つだ。


「ほらこの飴美味しいぞ?」


 これ見よがしに佳澄ちゃんの前で飴の袋を左右に移動させる。


「あうう……」


「さあどうする、佳澄ちゃん? 早くしないと飴が消えちゃうぞ?」


 もちろん嘘だ。飴が消えるわけない。ちょっと困ったJSの顔が見たくて意地悪しただけだ。


「ねえ華恋。あいつ絶対楽しんでるわよね?」


「楽しんでますね」


「……唐突だけど、透が土左衛門みたいになるとこ見たくない?」


「見たいですね」


 こらこらそこ。物騒なことをいうんじゃない。多少身の危険を感じるが、今は佳澄ちゃんの方が大事なのであいつらは後回しだ。


 佳澄ちゃんが小さな口を開く。


「――から飴をちょうだい」


「何だって?」


 佳澄ちゃんが何事か呟いたが、はっきりと聞き取れなかったので聞き返す。


 実際のところ、聞こえはしなかったが何を言ってるのかはおおよそ見当がついていたが、困り顔のJSが可愛すぎてまたもや意地悪をしてしまう。可愛いとは罪なのだ。


 俺の言葉を受けて佳澄ちゃんは顔を真っ赤にして、


「お話するから飴をちょうだい!」


 半ば叫ぶような形でJSは俺の話と話すことを了承するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る