親子対決


「今後あなたが菱川さんの元へ向かうのは許可できない。そう言ったのです」


「どうしてそんなことを言うの、お母さん!?」


「さんざん他人に迷惑をかけたのです。当然でしょう」


「そんなあ……」


 ガクリと肩を落とす華恋。しかし次の瞬間、俺に縋るような瞳を向けてくる。


「し、師匠からも何か言ってください!」


「……頑張れ」


 悪いが、俺はお前の母親を説得できる自信がない。というか面倒だ。自分のことぐらい自分で何とかしてほしい。


「わ、私はこれからも師匠のところに通うもん! そして師匠のような立派なラノベ作家になるの!」


「何ですって……?」


 華恋の言葉に、ただでさえ鋭かった華恋の母親の目付きが細まる。


「菱川さんのことを師匠と呼んでいた時点で嫌な予感はしていましたが、まさかあなたが作家を志すとは……」


 まるで嘆かわしいとでも言いたげな口振りだ。端から見ていても、華恋の母親が華恋のラノベ作家になるという発言に対して否定的なのは明らかだ。


「そんなこと私が許すと思っていますか? あなたは旅館『菊水』の大切な跡取り。作家などにはさせません」


「そんなの知らない! おじいちゃんからも何か言ってよ!」


「え、ワシ!?」


 突然話を振られ、慌てる華恋の祖父。ちょっぴり同情してしまう。


「お義父様からも言ってあげてください。あなたは旅館の大切な跡取りだと」


「おじいちゃん、一緒にお母さんを説得して! 協力してくれないと嫌いになるから!」


「ワ、ワシはどちらの味方をすればいいんじゃ!?」


 二人の女に挟まれ右往左往する老人。見てて涙が溢れそうになる光景だ。


「私は死んだ達郎たつろうさんが遺した旅館を守らなくてはなりません。そのために、あなたには『菊水』の次期女将になってもらわなければ困ります」


「お父さんのことは関係ないでしょ! それに、別に女将にならいわけじゃない。作家と両立するもん!」


「無理です」


「どうして……!?」


 あっさりと言い切った母親に対して、華恋が吠えるようにして訊ねる。


「女将と作家の両立が不可能だからです。作家の仕事に関しては詳しくありませんが、女将としての仕事がどれほど過酷なものか……あなたもよく知ってるでしょう?」


「それは……」


 華恋の言葉に勢いがなくなる。


「何より、あなたはまだ女将としての修行を終えていない身。なれるかどうかも分からない作家に時間を割くような暇はありません」


「そんなことないもん! この前、師匠の担当さんに才能があるって誉められたもん! ですよね、師匠!?」


「あ、ああ、そうだな……」


 突然同意を求めてきた華恋に俺は曖昧に頷く。


 確かに華恋には才能がある。それは俺も胸を張って言える。しかし、


「あくまで才能でしょう? そんなものをアテにするようでは、仮に作家になったところでたかが知れてます」


 作家のことをまったく知らない人間に理解しろというのは、無茶な話だ。


「……なあ愛佳さん」


 話の輪の外にいた華恋の祖父が、弱々しい声音で声をかける。


「何ですか、お義父様。見ての通り、今私は愚娘の説得に忙しいのです。手伝うつもりがないのなら、話は後にしてください」


 お義父様と言いつつも辛辣な言葉が飛び出る辺り、二人の力関係が窺い知れる。今日初めてあったばかりの人だが、次に会ったら優しくしてあげたい。


「さっきあんたは達郎のためと言ったが、あいつは娘の人生を犠牲にしてまで旅館を存続させたいとは思わないはずじゃ。あんたがそこまで旅館のことを考えてくれるのは嬉しいが、それを理由に華恋の人生を縛るのはやめてくれ」


 先程まで華恋たち親子に振り回され、右往左往していた老人とは思えないほど力強い言葉。これには華恋の母親も目を瞬かせる。


「ならお義父様は、旅館を存続させるよりも華恋を作家にした方がいいと?」


「そこまでは言っておらん。だが、華恋がやりたいと言ってることを旅館を理由にやめさせないでくれと言っておるのじゃ」


「おじいちゃん……」


 華恋が自分の祖父の言葉に目を見張る。


 華恋の母親は、華恋の祖父の言葉を受けて何か思案するように顎に手を当てたかと思えば、ヤーさんの方を向く。


「……矢沢さん、一つお訊きしてもよろしいでしょうか?」


「は、はい。何でしょうか?」


 すっかり蚊帳の外だったヤーさんは突然声をかけられ、多少動揺しながらも応じる。


「今そちらのレーベルで新人賞などは開催してますか?」


「丁度締め切りが一ヶ月後に第五回ゴロゴロ文庫新人賞ならありますが……」


「そうですか。なら丁度いいですね。華恋、お義父様に免じて、一度だけチャンスをあげましょう。今矢沢さんが仰った新人賞で一番を取りなさい。そうすれば、あなたが作家になることを認めましょう」


「え……」


 一瞬、華恋は言ってることの意味が分からないとでも言いたげな呆けた顔をする。


 しかし無理もない。華恋の母親の言ったことは、それだけ何の脈絡もない突然のものだったのだから。


「ちょっと待ってください、菊水さん。いくら何でも、一ヶ月後締め切りの新人賞にいきなり応募、しかも一番を取れというのは無茶です」


 ヤーさんの言う通りだ。某有名作家は一ヶ月に一本のペースで話を作ってるが、そんなことができる奴は作家業界において片手があれば足りるくらいの数しかいない。大半の作家が一冊分書くのに二、三ヶ月近くかかる。


 仮に一ヶ月以内に書き終えたとしても、執筆はそれで終わりではない。次は改稿という重要な作業が残っている。


 何度も読み返して、セリフや描写、誤字脱字などを確認する。この作業を行わない作品はまともに読めたものじゃない。


 俺たちプロ作家でさえ、改稿前の原稿は素人と同レベル。世に出るためには、担当によるチェックと作家の改稿を何度も繰り返す必要がある。


 そこまでの作業を一ヶ月で全て終える。しかも一番ということは、大賞を取れるほどの高クオリティーのものを作らなければならない。


 不可能だ。そんなことできるわけない。俺たちプロ作家でも無理だ。


「華恋、あなた確かさっき言ってましたよね? 才能があると誉められたと。なら、その才能とやらでどうにかしてみなさい。まさか、できないとは言いませんよね?」


「上等だよお母さん! 吠え面かかせてあげるから!」


 母親の明らかな挑発に華恋は荒っぽい言葉遣いで応じる。


「条件はさっき言ったように一ヶ月後が締め切りの新人賞で一番になること。それ以外は認めません。もしダメだったら……言わなくても分かってますね?」

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