担当はSその1

それは、小学校に取材に行ってから二週間経った頃のことだった。


「ヤベえ……何もアイデアが出ねえ」


 相も変わらず純白の画面を前に、俺は絶望の溜息を吐いた。


 結局まともな取材ができなかったため、アイデアが浮かばないのは当然だ。


「はあ……」


 二度目の溜息。


 執筆がまったく進まないのは大変困るが、それ以上に俺を悩ませてる問題がある。


 それは担当についてだ。なぜか担当が、未だに原稿の進捗具合を確認しに来ていないのだ。


 普段の奴なら、先週辺りのタイミングで確認に来てるはずなのに、今回はそれがない。今来られても困るが、来ないなら来ないで不気味だ。


 こういうのを何て言うんだったか……確かそう、嵐の前の静けさだったか。


「…………」


 自分で考えておいて何だが、まったく笑えない。というか、今何か立ててはいけないフラグを立ててしまった気がする。


「進捗はどうですか、師匠?」


 本日もラノベを知るために、読書をしていた華恋が嫌なことを訊いてくる。


「ご覧の通りだ」


 身体を横にズラして、ソファーに座る華恋に文字のない画面を見せる。


「…………」


「せめて何か言ってくれ!」


「いや、この前師匠、何も言うなって言ってたじゃないですか。だから今回は気を遣ったんですけど……」


「そういえばそうだったな! 気を遣ってくれてありがとよ、チクショウ!」


 自称弟子の優しさに思わず涙が出ちまったよ。


 ポロポロ涙を溢していると、インターホン特有の音が耳に届いた。


「誰か来ましたね。私、出てきますね」


「待て、華恋」


 玄関に向かおうとする華恋を呼び止める。


 このタイミングでの来客……嫌な予感しかしない。


「師匠?」


「俺も一緒に行く……」


 誰が来たのか確認しないわけにはいかない。重い足取りで、玄関へ向かう。


 靴を履いて、ドアスコープ越しに外を見る。するとそこには、


「……華恋、荷物を纏めろ」


「へ……?」


 間の抜けた声を漏らす華恋。


「いいから行くぞ! ほら靴も持ってけ!」


「い、行くってどこへ行くんですか!?」


「どこか遠くだよ!」


 強引に華恋の手を引いてリビングに戻る。俺も荷物を纏めなくちゃいけない。


「いいか華恋? 準備ができたらベランダから外に出るぞ。そして、奴の来ないどこか遠くへ行くぞ!」


「は、はあ……」


 華恋も緩慢とした動きではあるが、荷物を纏め始める。とは言っても、華恋は元々カバンしか持ってきてない上に、中身も出していないので準備はすぐに終わった。


 問題は俺の方だ。持って行かなくちゃいけないものが多すぎる。


 特にJS系の資料はその筆頭だ。JS系エロゲー、JS系エロ漫画、JS系同人誌。ダメだ、選び切れない! あと三時間……いや、四時間あれば選定は済むのに!


「くぅ! 時間が足りない!」


「――なら、私が手伝ってあげましょうか?」


「…………ッ!」


 聞き慣れた、しかし聞きたくはなかった声が背後から聞こえたので、急いで振り返る。すると、俺の視界に飛び込んできたのは、


「あ、悪魔……!」


「誰が悪魔ですか。私はあなたの優秀な担当、如月飛鳥ですよ」


「お前が優秀な担当? 冗談は性格だけにしとけよ!」


 スーツを着こなし、メガネをかけた女性――如月飛鳥に俺は尻餅をつきながらも吠える。


 風体こそ仕事のできるOLといった感じだが侮ることなかれ。こいつは、俺が今まで会った人間の中でもぶっちぎりでヤバい性格をしている。


「つうかお前、どうやって上がり込んだ!? 合鍵は渡してないよな!?」


「――私が協力したのよ」


 担当でも華恋でもない。しかし、二人以上に聞き慣れた声がリビングに響いた。


「紅葉!」


 現れたのは、この中で最も付き合いの長い幼馴染の紅葉だった。


「本当にお前が協力したのか?」


「そうよ。飛鳥さんに頼まれて居留守対策に呼ばれたのよ」


 紅葉はあっさりと肯定した。


 だがおかしい。紅葉が協力したからといって、ウチに上がり込めた理由にはならない。なぜなら、俺は紅葉にも合鍵は渡していないのだから。


 俺が鍵を渡してのはお袋のみ。そのお袋はこの場にいないので、紅葉たちがウチに入れるはずはない。


「お前、まさかピッキングでも覚えたのか?」


 一応華恋にピッキングされてから鍵は取り替えたが、まさかこんなに早く破られるとは……また取り替えなくては。


「全然違うわよ」


「違うのかよ。じゃあ、どうやって入ったんだ?」


 ピッキング以外で鍵を開ける手段はないと思うが。


「普通におばさんから鍵を借りたのよ。事情を説明したら、喜んで貸してくれたわ」


 あんのババア、実の息子を売りやがった!


「もう聞きたいことはないわよね? 飛鳥さん、あとはお願いします」


「協力感謝します、紅葉さん」


 俺がババアへの怒りに燃えてると、紅葉が一歩下がり代わりに担当が前に出る。


「では先生、一つだけ質問させていただきます。正直に答えてくださいね?」


 一拍開けて、担当が口を開く。


「『JSは最高だぜ!』の五巻、原稿はどの程度終わりましたか?」


「…………」


 ババアへの怒りも吹き飛び、俺は黙秘権を行使することにした。


「どうしましたか、先生? 何か答えてください」


「…………」


 絶対に口は開かないぞ。『原稿は真っ白です!』なんて答えたらロクな目に遭わないのは、短い付き合いながらよく知っている。


「先生? 聞こえてますよね、先生?」


「…………」


「……仕方ありません」


 担当が嘆息した。そんな様子を見て、諦めてくれたのだろうか? などと考えた俺は、激甘と言わざるを得ない。


 担当は懐から黒い紐状の物体――鞭を取り出す。


「これで拷問することにしましょう」


 ダメだ。喋っても喋らなくてもロクな目に遭わない。


「よし落ち着こうか。俺たちは知性ある人間だ。話し合おう」


「分かりました。拷問した後でよければ、応じましょう」


「拷問する意味は!?」


 拷問の後の会話に価値はないと思う。


「大丈夫です。拷問と言っても鞭打ちしかしません。先生なら、そのうち痛みを快楽に変えると信じています」


「お前は俺のどこに可能性を見出だしてるんだよ!?」


 こうなることが分かってたから、こいつに会いたくなかった。


 だが今更後悔してももう遅い。こうなったら、外部に助けを求めるしかない!


「た、助けてくれ華恋!」


 借りを作ってしまう形になるが、背に腹は変えられん! 俺の命以上に大切なものはないのだから。


「師匠、今助けに行きます!」


 俺に助けを乞われ華恋が駆け出そうとしたが、その行く手を紅葉が防いだ。


「退いてください、紅葉さん!」


「今二人は取り込み中だから、邪魔しちゃダメよ華恋」


「師匠はそれを望んでいます!」


 そうだそうだ、言ってやれ! そしてそのまま紅葉をぶっ飛ばして、俺を助けるんだ!


「師匠が酷い目に遭うのを黙って見過ごすことはできません!」


「あれはあのバカの自業自得だから、放置していいの」


 お前はそれでも幼馴染か、とツッコミたくなるほどの冷たさだ。


「そんなことは関係ありません! 師匠が助けを求めてるんです! これに応えずして、何が弟子ですか!」


「か、華恋……!」


 ヤバい。思わずうるっときてしまった。俺、この場を切り抜けたら華恋を弟子にしようかな。


「邪魔をするなら、紅葉さんでも容赦しません!」


 再び俺の救出に動き出そうとする華恋。しかし紅葉は華恋を越える動きで背後に回り込むと、


「は……ッ!」


 紅葉が威勢のいいかけ声をあげた。同時に、華恋が音もなくその場に崩れ落ちる。


 ……今一瞬だが、紅葉の手刀が首の後ろに叩き込まれたように見えたのは気のせいじゃないはずだ。


 まさかバトル漫画の中にしか存在しないと言われた、手刀からの気絶にお目にかかれるとは……。


「残念だったわね、華恋。こう見えても昔、ちょっとだけ武術を習ってた時期があったのよ」


 勝者の笑みを浮かべる紅葉。武術を習ってた云々は俺も初耳だ。


 お互いに秘密などない間柄だと思っていたが、どうやら違ったらしい。もしかしたら、目の前の幼馴染は他にも何か隠し事があるのかもしれない。


「それじゃあ私は華恋の介抱をしてるので、後はよろしくお願いします、飛鳥さん」


 紅葉は、華恋を背に担いでソファーに移動する。


「――さて、これで邪魔者はいなくなりましたね」


 パシン! と、鞭で空気を裂くような音を鳴らしながら、悪魔が愉悦の笑みを浮かべていた。


 最早、華恋のような味方はいない。どうせ逃げても、すぐに捕まってしまうだろう。八方塞がりとはまさにこのこと。


「天にも昇る快楽を教えてあげましょう」


 悪魔が鞭を大きく振りかぶる。


 ……願わくば、俺がMに目覚めませんように。


 

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