ビショップ・アヤネpart2

 アヤネが、アキラへ向けて氷の矢を放ってくる。だが、見える。集中のためか、高まった女子力のためか、アキラはそれを次々に躱しながら突進する。





「来ないでっ!」





アヤネの女子力は水と氷を操るだけでなく、それらを何もない空間に自在に生じさせることもできるらしい。その身体の周囲に、巨大な氷の矢が突如発生する。





「っ!」





女子力がそういうものなら、自分にも同じくできるはずだ! アキラは両手を突き出し、ただ夢中にイメージをした。目の前に突然、分厚い木の壁ができあがる光景を。





 すると、アキラの掌から湧き出すように木が出現し、そこに壁を作り上げる。





 直後、何本もの氷の矢が木の壁を貫いて、アキラの頬を掠め、あるいはアキラの眼前まで迫り――そこで停止する。





 あと一瞬反応が遅ければ、全身に穴が空いていたかもしれない……。アキラは跳び下がって慄然としながら、





 ――ダメだ。この『女子力』で対抗しても、この人には勝てない。クルミを助けられない!





 そう歯噛みした瞬間、ふとチナツの言葉が耳に蘇った。





『可能性のポーンという言葉のように、ポーンには無限の可能性が与えられている。コーデにはそれぞれ基本となる女子力は宿っているが、君が君の意志でそれを着崩すことで、女子力は君の望む固有のものとなるだろう』





――着崩す……。





 やるしかない。アキラは上着の袖を引っ張り、ひと思いに破り捨てた。





 ――今、女子力に望むものは……防御じゃない。攻撃だ!





袖を破り取ると、次はスカートを掴む。膝まであったギンガム柄のスカートを、無理矢理裂いてミニスカートにする。





 ――そうだ。これでいい。これが、自分が望む自分の姿……。





女子力が変化した。アキラはそれを本能的にそれを感じ取った。





 行ける。アキラは動き出していた。アヤネがこちらの動きに反応しきれないうちに駆け出し、クルミが落としていた木刀を拾い上げる。





 そして、力を木刀へ流し込む。木刀はまるで生き物が脈打つように成長し、瞬く間に狂暴な容貌の大剣へと変貌する。





 不思議と重さは感じない。だが、この武器ではアヤネの氷を破壊しきれないかもしれない。ならば、本体を狙うしかない。





――せめて脅すことだけでもできれば……!





そうすれば集中が乱れて、クルミを捕らえている檻をどうにかできるかもしれない。





 アキラは地面から突き出してくる氷柱を躱しながらアヤネへと迫り、





「ああああああああああああああああああああっ!」





 その頭へと木の大剣を振り下ろす。





 が、右方から氷柱が突き上がってくることに気づき、後退してそれを躱す。すると、クルミを捕らえていた檻が、なぜかバシャンと水になって落ちた。





「クルミ!」





 アキラはすぐにクルミのほうへと向かい、その身体を抱きかかえて後退する。





 クルミを床へ下ろすと、クルミは奇妙なほど動揺した様子もなく言う。





「アキラ。どうして私を助けるのですか? 私は単なる奴隷です。私になど構わないでください」


「構わないでって……そんなことできるわけないよ! 死んだらどうするんだ!」


「私が死んで、何か問題があるのですか?」





 無表情で言う。





 は……? アキラが思わず言葉を失っていると、





「コーデが……」





 ぽつりとアヤネが呟いた。





「コーデが汚れてしまったわ。これは、プリンセスにいただいた大切なコーデなのに……」





 見ると、確かにアヤネが着ているドレスの裾辺りに、ポツリと黒い点が落ちていた。





 どうやら先程アキラが近くまで迫った時に、頬から流れていた血が雫になって飛び、そこへと落ちてしまったらしい。





「許さないわ……絶対に……」





抑揚のないその声には、人を底冷えさせる危険な香り。





 そして、それから訪れた数秒の静寂の後――





 ドンッ! 





 という低い音が、礼拝堂に響き渡った。祭壇の両脇から滝のような勢いで水が噴出し、それがそのまま、まるで二頭の竜のようにこちらへと向かってきた。





「クルミ!」





 慌ててその小さな身体を抱え上げ、アキラはその場を飛び退く。





 響き渡る水の轟音の中で、必死に叫ぶ。





「ご、ごめんなさい、アヤネさん! でも、待ってください! どうか落ち着いて話を!」


「話なんてしたって意味はないわ! だって、もう何もかも意味なんてないんだもの! 私は今のままでいい! 今のまま、プリンセスと一緒にいられれば……!」





アヤネは涙を流し続けながら、その涙を含ませた凄まじい水でアキラとクルミを襲う。





それから逃げ惑いながら、しかし、その時のアキラの胸を満たしていたのは恐怖でも焦りでもなく――共感の気持ちだった。





 アヤネの言葉が、その涙が、他人事とは思えない。





「もうイヤ! 早くわたしの前からいなくなって! 話なんてしたくない! あなたに、どうせわたしの気持ちなんて解らない!」


「アヤネさん……!」





 アキラは一旦入り口付近まで退き、そこにクルミを下ろすと、再びアヤネへと突進する。





「アキラ、危険です! 退がってください!」





 クルミの声が水の轟音に混じって微かに聞こえるが、立ち止まるわけにはいかない。それに、その必要もない。





 今、アヤネの攻撃には隙が多い。





 剣道と同様、頭に血が上った相手ほど攻撃は容易に読むことができる。その目に、微かな身体の動きに、次の行動のサインがはっきりと現れる。





それに、今アキラの敏捷性は、女子力のおかげだろう、アキラ自身が戸惑ってしまうほどに高まっている。





 降ってくる水がスローに感じるほど、アキラは今、ここに存在する何よりも速かった。





襲い来る二頭の水竜をかいくぐり、アキラはアヤネへと迫った。そして、恐怖に息を呑んだようなアヤネの表情を見ながら――その身体を抱きしめた。





「え……?」





 戸惑いの声を漏らすアヤネの細い身体を両腕に抱えながら、アキラは言う。





「あなたの気持ちが全く解らないなんて、そんなことはありません。あなたは、プリンセスを失ったのが自分一人だけだとでも思っているんですか?」





 身を強張らせてアヤネは沈黙する。その冷え切った身体に肌を寄せたまま、





「私だって悲しいです。私は、プリンセスに救われた人間ですから……。それに、私は母を病で失った時、きっとあなたと同じ気持ちでした」





 ゆっくりと身体を離して、微笑みかける。





「『大丈夫、なんとかなる』」


「……?」


「それが、私の母の口癖だったんです。母はいつも笑っていて、いつも私の傍にいてくれました。今よりずっと子供だった私にとって、母は太陽みたいな存在だったんです。でも……母は死んで、いなくなってしまった」





それで、なんていうか……とアキラは苦笑して、





「私は本当に目の前が真っ暗になってしまって、どうやって生きていけばいいのか解らなくなってしまったんです。あなたも、そうなんじゃないですか?」





 問われて、アヤネは目を伏せる。アキラはその目を見つめ続け、





「だから、泣かないでください。あなたが泣いていると、私も辛いんです。昔の自分自身を見ているようで……」


「私だって、本当は泣きたくなんてないわ。でも、辛くて、痛くて……」





 床一面を薄く満たしている水面に、アヤネの涙が静かに落ちる。





 はい、とアキラは微笑する。





「でも、あなたはそれを乗り越えなくちゃいけないんです。自分のためにも、プリンセスのためにも」





 プリンセスは、あなたが泣いているのを見て喜ぶでしょうか。あなたを苦しめたいと思っているでしょうか――





 アキラがそう言おうとしていることに気づいているのだろう、綺麗事なんて聞きたくない、そう言いたげにアヤネはアキラを睨み、





「でも、もうダメなのよ。きっと何もかも、もう――」


「大丈夫です、なんとかなります」


「なんとかなるって……どうやって?」


「どうにかして、です。少なくとも、私はまだ諦めていません。何せ、私をここへ連れてきたのはプリンセスなんですから」


「プリンセスが……? 本当に?」





 思わずと言った様子で、パッとその瞳が明るくなる。





「本当です。私は確かにプリンセスの姿を見て、声を聞きました」


「そう……プリンセスが神人様を……。それなら本当にこの国は、まだ……」





アヤネが纏っていた緊張感が、ふっと解ける。





 アヤネは自らの胸――そこに突き刺さっているハートのカケラに手を当て、





「でも、これは本当に抜けないの。嘘じゃないわ。いくら引っ張ってもダメなの……」


「大丈夫です。それは、きっとそのうち抜けると思います」


「そのうち抜ける……?」


「そんな気がします。だって、私だってその辛さから踏み出せたんですから、あなただってきっとできます。というか、早く踏み出してください。私はあなたの笑顔が見たいです。泣き顔も綺麗ですけど、やっぱり女性にとっての一番の化粧は笑顔だと思いますから」


「まあ……」


「それに、私がこうしてあなたと戦えたのは、きっとあなたが笑顔を忘れていたからです。『美は力なり』なんですよね? あなたがもし笑顔で、今より美しかったなら、私はきっと何もできずに負けていたと思います」





 アヤネは目を丸くして、それから表情を綻ばせ、





「あなた、口が上手いのね……」


「え? そうですか?」





 そんなことは言われたことがない。が、考えてみると、今の言葉はかなりキザだったかもしれない。身体だけではなく心まで女性になりつつあって、異性への恥じらいがなくなってきているのだろうか。





「じゃあ、ハートのカケラをあげられない代わりに、いい物をあげるわ。ついてきて」





 アヤネがやっているのだろう、床一面に溜まっていた冷たい水が、さぁっと波が引いていくように消えていく。





 ――女子力……凄まじい力だ。





 改めて呆然とさせられながら、アキラはクルミと共にアヤネの後に続いたのだった。

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