10-5.やがて一つの形となって

「一ノ瀬さん、双葉さん!」


 一瞬で開く扉さえももどかしく感じながら、一ノ瀬たちがいるであろう開発室の扉を開く。

 しかしそこに、小松はいたものの、肝心の一ノ瀬と双葉の姿はなかった。


「ど、どうしたの梨乃、そんな急いで」


 梨乃が息を切らせながら部屋に入ってきて見回したと思えば、見開いていた目が徐々に閉じて肩を落としていく。探していたものがなかったのだろう、親でなくても気づく落ち込みようだった。


 別に隠すようなことでもない。梨乃に探し物の居場所を伝える。


「一ノ瀬先輩が休憩するって言って部屋戻っちゃったから、双葉先輩が追いかけてったよ」


「ありがとう、小松さん」


 聞くや否や、梨乃は目を再び開いて駆けていった。

 

 一ノ瀬の部屋の扉を開けると、二人はコーヒーを飲んでくつろいでいた。肩で呼吸をしながらやってきた梨乃を見てコーヒーをこぼしかけるも、すぐに冷静さを取り戻しす。


「梨乃、どうした?」


 優しく問いかける一ノ瀬に、梨乃今の心境をポツリポツリと呟き始める。


 プロジェクトの手伝いもしたい。一ノ瀬と双葉を目の前に、改めてそう相談をもちかけた。

 懇願と恐怖で、梨乃の瞼が瞳を覆い隠す。二人は良い返事をくれると信じつつ、やはりどこかで断られるかもしれないとも思っていた。藤原こそ明確な否定はしなかったが、生田には真っ向から否定されたばかりなのだ。


 恐る恐る、片方の瞼をこじ開ける。見えたのは一ノ瀬の微笑み。

 これはどちらの目か。純粋な笑みか、別の感情を隠した笑みか。

 しかし梨乃の心配を他所に、一ノ瀬は前者よりもさらに優しい声で告げる。


「いいよ。手伝い、お願いな」


「……っ! ……ありがとう、一ノ瀬さん!」


 双葉の表情も伺うが、どうやら一ノ瀬と同意のようだ。


「ただし最初は簡単なことからな。いきなり難しいのをお願いしても大変だろう」


 そんな条件はないに等しい。梨乃にとっては手伝えることが重要で嬉しい。それに一ノ瀬の言い方は、逆を返せばいずれは難しい内容も任されるということだ。


「それで大丈夫! ありがとう!」


 信じていた通りの良い返事に、胸が高鳴る。

 と同時に、梨乃の腹の虫も鳴いた。いつの間にかもうそろそろ夕食の時間になっていた。


「とりあえず夜ご飯、頼んでもいいか?」


「はーい」


 茹でダコになった梨乃は腹を抱えて鳴き喚く虫をなだめつつ、食堂に向かった。

 今まで小松や双葉がやっていた細々とした事務作業は、教えながら徐々に梨乃に代わっていった。

 もちろん全員分のご飯を作ったり研究所内を掃除したりも継続している。梨乃一人では手が足りないときは、逆に一ノ瀬たちも手伝うようにした。



 梨乃も含めた作業分担によって、梨乃や梨乃の妹の開発を先導する一ノ瀬と双葉の負担が減り、より効率的に開発を進めることができるようになった。

梨乃としても、今までなんとなく自分のためにみんなが頑張ってる、という引け目を感じていて、今回の手伝いの申し出でそれが少し拭えた気がした。


「一ノ瀬、どうして梨乃に手伝わせた?」


「梨乃がやりたいと言ったから了承しただけです」


 しかし生田は、梨乃への負担が増えて成長に影響が出る可能性のみをただただ危惧していた。

 実験台にされているという事実だけで精神的負担は大きい。


「お前と双葉はたしかに梨乃の生みの親だ。仮にも保護者だから梨乃に関して決定権があるのは分かる。だがお前は親であると同時にこの研究所の職員でもあるんだ。お前に関する決定権はあたしらにある」


「でもその決定権の一つである藤原さんは、俺に委ねると言っているんでしょ?」


「それはそうだが……」


 うぐ、と喉が詰まる。

 正直、二人に対しての嫉妬、かどうかは分からないが、言いえない微小な不快感はあった。

 私は副所長だ、所長の藤原とともにこの施設を預かりまとめる立場だ、その私に研究対象である梨乃の決定権はない……。生田にとってはすっきりしない、やり場のない感情だ。


「とか思ってませんか」


「……なんでわかった」


 エスパーだと言われたら信じてしまうくらい、一ノ瀬に心の内をどんぴしゃに見透かされていた。


「分かりますよ。プロジェクトの始まりからずっと一緒にやってきたんですから」


 生田の驚きでさえも見透かす一ノ瀬は、目上に、上司に普通は向けるはずがない、慈しみの笑顔をしていた。


「まったく、生田さんは不器用ですね」


「不器用なお前が言うか」


 こいつの口からよくもまあ出たもんだなと、感心を超えて思わずふっと息が漏れる。


「……で、生田さんは結局どうしたいんですか」


 今の一瞬の会話の中に何か心情に訴えるものもなければ、二人の妥協点が見えたわけでもない。かといって、大の大人が部下と張り合い続けるのも非効率だ。

 効率で言えば、本当の最初から先頭を走っている一ノ瀬と双葉に任せた方がいい。二人がいなかったときのあの進捗が揺るぎない証拠だ。


「……任せるよ……」

 この期に及んで意固地になるのは大人気ないだろう。それに、梨乃のことは二人に任せた方がいいのは頭で理解している。それをどう気持ちに落とし込むかの問題だ。


 ひとまずは全員の意思が一つに固まり、梨乃の手伝いもあって妹の開発は加速した。



「私もこれに入ってたの?」


「ああ、梨乃もこの中で眠ってたんだ」


 色のついた液体でいっぱいになった円柱の水槽に、梨乃によく似た顔の、少し小さい体の少女が浮かんでいる。梨乃のおさがりの水槽だ。


「私の妹かぁ」


 水槽に手をつけ、自分と同じ顔の少女に微笑む。こうして目で見える形になって、私は本当にお姉ちゃんになるんだと実感する。

 妹にはなんて呼ばれるんだろう。お姉ちゃんかな、梨乃ねぇとかでもいいかな。何を教えようかな。何して遊んであげようかな。なんて呼ぼうかな。

 期待と想像が膨らみ、無意識に顔が綻んでいく。


「そういえば、妹の名前は何ていうの」


 梨乃が振り返ると、一ノ瀬と双葉は待ってましたとばかりに腰を上げ、一つ息を吹く。


「梨乃の妹の名前は、詩音だ」

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