始り、そして、

さあ、脳内補完スキルを発動全開に!

──────





 誰か、覚えているか? 


 この世界の始まりを。

 


 生まれたてのこの世界には様々な命が溢れていた。それと同様に世界という器に収まりきらずに零れ落ちる命もまた多く、生きたいと強く願い、優れた力を手に入れたモノだけが、限りあるその世界に己の存在を確立させることが出来た。


 長くも短くも分からぬ時が過ぎ、もう命が溢れ零れる事が無くなった頃、世界の器は二つの力に別れていた。

 

 優れた力に重きを置いた、獣。

 数に優れた力を見出した、人。


 対極に位置する力を選択しながら見事、生を掴み取った両者のその進化に、世界に命を芽生えさせた存在は喜び、獣と人に、知恵という祝福を与えた。


 知恵を授かった両者は対極から歩み寄り、互いの力の利点を取り入れ始める。その行動が祝福を与えた存在をさらに歓喜せたが、その喜びは長くは続かなかった。


 いがみ合うのだ。互いの利点を取り込み、あとは獣と人が共存するだけの状態になると、決まって争いへと進展する。結果、両者共に命の数を減らし一時的に鎮静化するが、また命の数が増えると、いがみ合い、争う。


 その繰り返しが幾百以上続き、ついに幾千を迎えた時、祝福を与えた存在は闇い嘆息を漏らすと、命あるもの達から静かに背を向け、世界から去った。



 これがこの世界の原点。そして今もなお続く世界の歪みの始まり。




 最初に気付いたのは、個々が優れた力を有する獣だった。繰り返されるいがみ合いの愚かさ無意味さを人に伝える為、誇りともいうべき自身の力の象徴である牙や爪に始まり翼や四肢までも、相手に歩み寄る為に人に似せた。


 人はそれを知ると、恐怖した。獣の持つ力の強大さに怯え、身を守る為に人と獣を遮る壁を築き、獣の歩み寄りを拒絶する。


 皮肉にも、人は目に見える境界を得た事によって擬似的な安心を抱き、両者の争いは徐々に減っていくが、それでも数十年に一度ほど、今までと比べれば小競り合いとも言えるささやかな規模で、まだ争いは続いていた。


 そして、いつからか。 



 獣は自分達の有する力に異常なほど固執する人の王を、魔(に魅入られし)王、と呼び。

 人は甘言を囁いて惑わし、災いをもたらさんとする獣の王を、魔(をふるう)王と呼んだ。



 拒絶から進展しない状況に終止符を打つべきと判断を下したのは、時の魔をふるう王だった。

 彼の王は自分達だけでは問題を解決できないと悟り、恥を捨て他に助けを求めたがそこで初めて、世界には獣と人以外に知識ある者が存在しない事を知った。

 

 万策尽きたと頭を悩ませる王に、ならば異なる世に助けを求めてはどうかと臣の者が進言してきたが、王はその内容に激怒し即棄却した。

 しかし王同様、無意味な争いに疲れ呆れ果てていた他の臣の者達もが名案とばかりに、王が幾度激怒しようが、その提案を勧める事をやめなかった。


 彼の王は疲れ切っていた。人の強固なまでの拒絶と固執、懐を同じとしていた臣下達が日々繰り返す軽率な愚策の提案に。

 そんな辛い日々の中、数少なくなった彼の王と思いを同じくする忠臣からある知らせが入る。

 賛同派による秘密裏での異界者召喚の企みだった。


 一言一句聞き漏らず最後まで忠臣による報を聞き終えた王は咆哮する。


 何たる醜さ! そこまで地に堕ちたか! いいだろう!

 今は違えと懐を分け合った者達、ならば我も共に外道に堕ちようぞ! 


 怒りで瞳を染めた王はそう吼えると、人に似せた口からではとても出せぬ、天や風を震わせ、大地を揺する咆哮を上げながら仮初の身を、本来の黒く巨大な獣に変化させ、巨大な両翼を広げると空に駆ける。報をもたらした忠臣は静かに瞳から雫を流し、己も獣に姿を戻すと王の後につき従うべく荒れた風に身を投じた。


 その日、とある地方の名も無き広大な森が消失した。



 抉り取れた様な大地を瞳に映しながら王は後ろに控える忠臣に背を向けたまま命じる。王制の廃止を。その言に、見苦しくも王の足に縋り付いてまで再考の懇願を願う忠臣に、王は無慈悲に返す。 

 

 最後の命ぞ、果たせ。


 その王の言葉で忠臣はようやっと立ち上がり、土に汚れ醜い姿を感じさせない綺麗な臣下の礼をもって王に応える。雫に濡れた顔を笑みの形にし、陛下の心のままにと告げると忠臣はさらりと吹く風に溶けた。


 魔をふるう王は消え、残ったのは同族殺しの堕ちた獣が、一匹。



 穢れた手ではもう何もする事は出来ぬと、彼は時に任せる事にした。膨大な力で己を消し、森の中でひっそりと眠り。いつ訪れるかも分からぬ、双方歩み寄れる、その時を。 


 




 歳月がどれほど過ぎたかも分からぬ中、眠る獣の意識に一人の娘の声が響いた。

 


 「やばい。バハムートかっこいい、マジかっこいい」



 混濁した微睡みを引きずり、まだ明瞭でないながらも獣は声の方に首を向け、娘を確認すると、驚愕した。

 獣に振り向かれた娘もまた驚愕して何事か叫びながら走り去ってしまったが、今の獣には些細な事だ。


 人だ。あれは人間の娘だ。


 獣はやっと己の望む時を迎えたのかとも思い、久方ぶりに姿を人に似せ、街を訪れた。

 だが獣の思いとは裏腹に着いた街に居るのは獣ばかり。落胆は抑えられなかったが、正常さを取り戻した獣に次々に溢れるのは疑問。大方、答えの予想もつくが、気になる点もあった。

 

 憶測を検証するために獣は姿を消し、人の大地に翼を向け、そして知る。

 何も変わっていない事を。彼が獣に堕ちたその時から永い時が過ぎているのに、だ。

 

 再び絶望に襲われながら、獣には一つだけ疑問があった。

 最初に出会った娘の事だ。些細な事だがどうも不可解なものがある。

   

 何故、獣の存在を見ることが出来たのか。


 獣の持つ莫大な力で己に施した不可視の呪を、何故。

 そのささやかでもある疑問を解くため獣はまた空に戻り、さほど苦労せずに娘を見つけ、問う。 


 獣が見えるか、と。

 お前は人間か、と。

 

 ここまでの問いで獣は己のささやかな疑問の、大体の結論を出していた。

 娘からは力がまったく感じられず、普通一般の人であるが、人や獣には極稀に不可思議な力を宿す者もいる。娘はそれではないのか、と。


 獣が次にした問いはもはや確認に近いものだった。何も変わっていない世の、獣の国に何故【人】がいるのか。答えなど分かり切っている。獣の確認に娘は憤怒の感情を隠すこともせず答えた、その言葉の真意


を予想していたとはいえ獣は深く落胆し、そして娘を不憫にも思った。 


 なんたる愚かな事か。もはや王など居らぬのに。


 娘を憐れむと同時に苛立ちが、かつて王だった獣の心に生まれた。


 放棄された元王城の玉座に娘を立たせ、お前の倒すべき魔王などもはや居らぬと告げた後に獣は己のその感情に気付いた。


 なんていう事だ。己の心はここまで堕ちたのか……!


 変わらぬ世に対しての思いを、ただの人の娘に、犠牲者に、獣はぶつけたのだ。未だに燻り続ける怒りを、何も関係のない存在に。

 その事実に獣は激しい衝撃を受け、己を恥じた。責めるべきは己であり、娘を遣わせた者であると獣は悔悟し、今、この娘に己が何を出来るかを思考し始める。臣民を慈しんだかつての王の誇りは獣の中で今も確かに息づいていた。



 娘。お前は何を望む。


 

 娘の求めなど獣は容易に推量れると、そう思っていたがそれは違った。娘の口からもたらされた返答に獣の思考が一瞬、白に染まる。

 望みは娘の世異なる世界への帰還。それが示すことは、かつての王が確固として許しはしなかった禁じ手。獣が安息に逃げ込んでいる間に、禁忌は犯されたのだ。

 その言を受けた獣は時が過ぎ去っているはずなのに何も変わらぬ玉座の天を見上げ、なにかを堪えるように傷ましい色を映す闇の双眼を閉じた。

 

 かつての王だった獣には娘の求めてやまない渇望を叶えるのは容易い。

 そうあっけないほど簡単なのだ。




 それが、この世界に娘が来たばかりならば。




 獣は瞳を開き娘に顔を向けた。そして恐怖で身を固くしながらも獣の言に一抹の期待を瞳に映す娘の全てを視る。

 やはり、と獣は苦い思いを飲み込んだ。あちらの世に娘の痕跡がない、なくなってしまっているのだ。時が経ち過ぎてしまっている。これでは娘の完全な望み通りにはならない。

 ならないが、娘の望みに出来るだけ応える術(すべ)を獣は伝えた。



 娘。望みを完全に叶えるにはお前の世は時が流れ過ぎた。お前が望む時の跡は絶たれ、もはや繋ぐこと叶わぬ。


 だが、それでも帰還を望むか? そちらの世に戻すだけならば、それはお前次第。



 なんという絶望と、魅惑的な言葉だろうか。それは危険だと、娘の中でけたたましく警鐘が鳴り響くが、求めて求めて、やむことのない望みが絶たれた娘に、その甘い提案を跳ね除ける気力はなかった。


 娘を帰すのは獣にも賭けだった。だが賭けが仕掛けられるだけの幸運が娘にあっただけ、まだ救いだろう。娘とあちらの世を繋ぐ跡は完全にないが、こちらの世にその世界と繋がっている者がいる。

 そして最大の幸運が、その者が、娘の血を継いだ存在だと、いうことこそが娘の唯一の救い。

 

 だがそれでも、まだあちらの世に還るには弱い。だからこそ、賭けをしなくてはならない。

 獣から知らされた術に娘は絶叫を上げ、獣と娘以外の玉座の空間全てに、世を呪う悲鳴が満ちた。


 娘の喉から出される音が掠れ、足が力を無くし固く冷たい石畳に座り込み、娘は両の手で頭を掻き毟り、光を無くした虚ろな瞳で同じ言葉を繰り返し繰り返し発する。折りしも鍵となる者がこちらに向かってくるのを察知した獣は、その言を了承とした。

 

 静寂が戻った玉座の前で獣は双眼を閉じ、賭けの勝敗を静かに待つ。

 鍵となる者が居るならば二つの世を繋げるのは容易、鍵が血縁者なら尚のこと。娘を鍵と一緒にこちらの世から繋がりに押してやれば、あとは自ずと鍵の縁があちらの世に導くだろう。

 問題は戻った後なのだ。娘の跡は絶たれている。それはあちらの世に存在しないのと同義。帰れはするがあちらに本当の意味で還る事は望めない。だから、賭けをした。

 


 代価は、獣、娘、お互いの存在。



 まるで彫刻の様にそこにあるだけの存在になっていた獣の閉ざした双眼が、静かに彩を取り戻し始める。獣の露わになった闇色の瞳は深い憐れみの色に染まっていた。

 だが賭けの勝利者として、その対価を己の手で掴むため、獣はその鋭い爪を掲げ、何もあるはずのない眼前の空間に突き出すと、何かが割れるような甲高い音が響いた。



 賭けは、娘があちらの世界を拒否しないこと。



 娘を爪の鋭さで傷付けぬようそっと掴み、獣はずるりとこちらの世に娘を引き寄せた。

 元から危うい賭けではあったのだ。賭けの期間がいつ終わるか定かでなく、時間切れか、それとも娘が世界を拒否するのが先か。それでも獣は娘のために信じたかった。賭けが成立している間に娘があちらの世にもう一度受け入れられることを。


 涙を流し続け、気のふれた笑い声を上げる娘を獣は瞳に映す以外、してやれることはない。

 娘の望みを叶える術は完全に尽きた。得たものは誰も望まぬ痛ましい笑い声。 



 どれくらいそうしていただろうか。娘が笑いをおさめ、何事か囁き終わると、よろけふらつきながらも冷たい石畳に両の足をつき、立ち上がった。そして驚くことに娘は、酒を飲みに行く、と獣に言ってのけた。 


 獣は呆気にとられた。先ほどまで理性を失い狂態を晒していた娘が、瞳に意思を宿し、そればかりか酒を食らいに行くと獣にはっきりと言ったのだ。

 娘の思いもよらない言の衝撃に獣は呆然としていると、いつの間にか歩みを進めていた娘から獣に再度、言葉がかけられた。


 獣もくるのだろう、と。

 

 その誘いに獣はなぜか、ひどく愉快な心地に襲われた。どうしてか獣にも分からぬのに、人に似せていない獣の口からは出るはずのない笑い声が、今にも飛び出しそうなほど。 

 その心躍る心地のままに獣は風をも切る巨大な両翼を広げ、愉しげに空に舞う。


 わずかに響いた娘の叫び声も、そうそうに風に溶けた。


 

 




 昔々、誠実で世界の歪みを正そうとした王は疲れ果て、安息の眠りについた。

 王不在の間に二度の禁忌が行われ、一つは逃れたが、もう一つは掴まった。

 そこに待ちに待ち焦がれていた王が目を覚ます。


 だが禁忌を犯してまで王の悲願達成を望んだ者は、それを知ることなく突然の終焉を迎えた。

 常しえの闇の抱擁が己に絡みつきながらも、その者は願わずにはいられなかった。己を落命せしめた咎人への呪詛ではなく、禁忌をも求めてまで成したかったこと。

 正すだなんて大それたことは元より望んでいない。


 その者が願ったのはわずかでもいとわない、世界の変化。


 倒れ伏す場は赤々と燃え盛るのに比例して、その者の視界はみるみる暗くなる。

 最後の瞬間までその者は願い続けた。



 願いは叶うだろう。世界の変化にしてはあまりに小さいが、確かに変化は成されている。


 ある者の心を咎人へと貶めるまで変質させ。

 安息の微睡みから醒めるはずではなかった失われた王の覚醒を果し。

 歪みから逃れた者には忙しなく廻る世に戻って尚、心の芯に拭えぬばかりか徐々に滲む沁みをつけ。

 歪みに掴まれた女は…………。

 




 


 夜の闇に包まれ本来より濃く感じられる鬱蒼と茂る森に、聞く者が居れば不快感を覚えそうなけたたましい声が上がる。


 「あーーーーーーー!! ちょっ、信じらんないっ。バーちゃんこれ見てみなさいよ! ここよここ! ほらっこのジョブってとこのお母さんの隣に(バツイチ)って!! ふっざけんじゃないわよ、大きなお世話ってんだ!!!」

  

 言葉にするだけでは怒りが収まらないのか、声の持ち主の女は隣にある大きすぎる身体を地に伏している獣の顔を何度も小さい手の平でべちべちと叩く。

 言い足りないのか、またわめき始めた女の顔色は酒に染まり目は半眼で、声量を気に掛ける理性さえなくした様子であった。

 彼の男の言葉を借りるならば、どう見ても酔っ払いです。本当にありがとうございました。と確実に言うだろう。


 己の漆黒の鱗で音を奏でる女の行動などどこ吹く風の体で、獣にとっては小さすぎる酒瓶を大きな牙で器用に挟み、呷る。すぐ空になった瓶を行儀悪く吐息で飛ばすと、先に転がっている空き瓶にぶつかって軽い音が鳴った。


 「ちょっと! 私が汗水鼻水垂らして貯めに貯めたお金で買ったお酒なんだから、もっとありがたがって私に感謝して飲みなさいよ!!」

 

 ほらっ。とっても優しい弥生さん、美味しいお酒をありがとうって言いなさい、と女は愉しげに酒が満たされている瓶を獣の眼前に勿体ぶるようにゆっくり行き来させる。獣は小さな唸り声を零し、女の言に従うか否かを真面目に検討し始めた。



 このやり取りを獣の存在を知る者が見れば悲鳴を上げるか、激昂するかのどちらか。

 獣自身も王であった当時ならば、このような振る舞いをする者を許さなかっただろう。


 

 歪みに掴まれた女は今もあの者達や、何かを変えさせ続けているのは確かだ。





 望んだ願いは、己が不要と打ち捨てた女こそが成就させたことを。変化を求めた者は永久(とわ)に知ることはない。


 




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