先輩は何かを隠してる

 なんとなく。

 昼休みに俺は美術部室へと来てしまった。


 それはおそらく。


「……渋谷先輩、優秀賞おめでとうございます」


 渋谷先輩がいるだろう、そんな感じがしたからだ。

 案の定、先輩は部室へいきなり入ってきた俺に驚きもせず、ただ一心不乱にイーゼルを見つめている。

 だが、絵を描いているわけではなさそうで、先輩はいったい何を見ているのかまではわからない。


 俺に対して視線を動かすわけでもなく。


「……ああ」


 そう答える先輩は、俺のことを嫌っているのだろうか。

 今までの態度を鑑みるに、まず間違いなく好かれてはいないにしてもだ。

 少なくとも俺は、渋谷先輩に嫌われるようなことは何もしていないはずなんだけど。


 反応があまりにもなさすぎるので、仕方なく俺は先輩の後ろ側に回り込み、先輩の視線を一身に受けるイーゼルに何が描かれているのかを確認することにした。


「!」


 俺は、それを見てちょっと驚く。

 この絵は──以前盗み見た、愛美に似ている女の子の絵だ。


 そうか。あの時の。

 渋谷先輩の絵に対する違和感の正体が、全部埋まった気がする。


 この絵は──以前に見たこの絵は、女の子がなんの屈託もなく笑っているんだ。


 なのに。

 優秀賞に選ばれた作品は、女の子に対する、書き手からの贖罪みたいな気持ちが隠されていなくて、モヤっとした気持ちが残る。

 つまり、全くの別物。


「……こっちの絵のほうが、俺は好きですね。なんで、こちらを美術展に出さなかったんですか?」


 正直な気持ちを口にする。

 愛美に似ている女の子だからこそ、せめて絵の中では憂いなく幸せそうに笑っていてほしい。


 そう思ったから、自然にそう言ってしまったのだが。

 俺の言葉に、普段クールにしか見えない先輩が、苦しそうに顔をゆがめ自分の膝を叩いたことに、思わずびっくりした。予想外のリアクション。


「……この絵を、みんなに見てもらう資格は……俺には、ないんだ」


「そんなことは……」


 俺は反射的にそう言いかけ、言葉に詰まる。

 先輩の手が震えていることに気づいたからだ。


 先輩の中に、どのような感情があるのだろう。

 なぜですか? そう簡単に聞けるのなら、苦労はないわけで。


 俺が何も聞けないでいると、先輩は耐えきれなくなったように立ち上がり、そのまま部室出入り口まで無言で歩いて。


「……先輩?」


「すまん、俺は戻る。さっきの言葉……ありがとうな」


 こちらを見ずに立ち止まり、それだけ言って部室を出ていった。


 さっきの言葉ってのは、どちらなんだろうか──



 ―・―・―・―・―・―・―



 なんとなく、気分が晴れないまま放課後を迎え。

 華子と約束したはいいが、部活に行く気力は削がれていた。


 このまま帰宅した方がいいかもな。

 そんな考えに身体の自由を持っていかれたらしく、俺は気が付けば昇降口まで来ていた。


 自分の下駄箱に手を突っ込んだ瞬間に、後ろから声がかかる。


「せーんぱい? なんで帰ろうとしてるんですか?」


 聞こえないように舌打ちする。

 本当に華子はなんでこうも……


「あれ? 岸川君に結城さん、これから部活?」


 ……と思ったら、すぐに別方向から、北島先輩があらわれる。

 あーあ、華子だけだったらうまくごまかしつつ帰宅もできたはずなのに、さらに北島先輩までだまくらかすのは容易じゃないぞ。どうしよう。


「あ、北島先輩。美術展秀作賞おめでとうございます」


 というわけで社交辞令炸裂。


「ありがと。まあ渋谷君に比べればねー、あたしの作品なんてとてもとても」


「……そうですかね。渋谷先輩の絵、なんだか暗くて……」


「あー、確かにそうだよね。あれね、本当は違う絵を出すはずだったのに、突然渋谷君があの絵を出したんだよね。ちょっと暗いイメージだから優秀賞止まりだったんじゃないかな、って」


 本来ならもっと評価されるはずの才能が渋谷先輩にはある、北島先輩はそう言いたそうだった。


「……んー、そういえば。北島先輩、なんで渋谷先輩はこの高校に進学したんでしょうね?」


「んあ? どうしたの結城さん、突然」


「いえ、美術部の中でも、渋谷先輩の才能は別格だって、ずぶの素人のわたしにでもわかります。ここの高校、とくに美術部が有名なわけじゃないでしょうし」


 おお、ナイス質問だ、華子。

 ちょっとだけ苦笑いを浮かべ、北島先輩が唇に人差し指を当てながら質問に答える。


「うーん、なんかね、渋谷君の家庭の事情らしいよ? なんでも、高校進学前に両親が離婚したらしくて……あ、これ内緒でね?」


「……そうなんですね。変なことを訊いちゃってごめんなさい」


「いやいやあたしに謝られても。というか渋谷君、結構苦労したみたいだよ? スマホすら持ってないしね」


 ああ、そういやそんなことを以前夕貴から聞いたような気がする。

 高校生ともなれば、スマホって必須なアイテムだと思うんだけど、渋谷先輩が持っていないのは家庭の事情が関係しているのだろうか。


 …………


 まあ、それは俺が邪推するのも失礼だ。

 渋谷先輩の才能は非凡、それだけがはっきりしていることだな。


 ──だからこそ、夕貴も惹かれたんだろうし。


 …………


「すいません北島先輩、俺ちょっと具合が悪くなったので先に帰ります」


「あ、そうなのね。わかった、夕貴には伝えておくね。お大事に」


 俺の表情を見て、それが嘘ではないと判断したのだろう。北島先輩は全く疑うような言葉を発しなかった。



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