体育祭なんて嫌いだ

 よくわからないことが解決されないまま、体育祭当日を迎えた。

 日曜日に駆り出されたが、明日は代休なのでまあ良しとする。


 そして、イヤな予感の結果はというと。


「あ、せんぱいせんぱい、四百メートル走で一位でしたよ、Bチームの三年の先輩が! これで十点加算で、今トータル三位に浮上です!」


 ──珍しく当たってしまった。


 そういえば、こいつもB組だった。美術部の小悪魔こと結城華子が。

 同じチームなだけならともかく、なぜか華子は同学年のクラスメイトをほっといて、俺の隣から動こうとしない。


「……おまえ、一年生なんだから同じクラスのやつらのほうを盛り上げろよ……」

「盛り上げてるじゃないですか、イマイチ乗り切れない先輩を。お祭りでハイテンションにならないなんて馬鹿げてます」

「お断りだ。だいいち、競技に出る前に疲れてどーすんだ」

「わたしは借り物競争だから、そんなに体力は使いません。それに、こういう学校のお祭り騒ぎって、初めての体験でして」

「……?」


 心から楽しそうに、そう言う華子であったが。

 俺の脳内に、初めての体験、という言葉が引っ掛かった。ふつう、学校生活を送るうえで、こんな機会は何度も経験してておかしくないはずなんだがいったい。


『……実はわたし、お医者様から『きみは二十歳まで生きられない』と告げられています』


 そしてなんとなく、あの時のセリフがリフレインされる。すぐさま俺は左右に頭を振った。


 ──考えすぎ、だよな。だいいち、身体が弱かったらこんなにはしゃげないはずだろうから。そう思うことにして、改めて得点差を見てみると。


 今のところ、一位は夕貴が所属するD組だ。次にA組、三位に俺たちのB組だが、得点差は一位から三位までわずか十二点。接戦であるゆえに、いつどこで逆転してもおかしくはないだろう。


『──次は、男子百メートル走です。参加者は、本部テント前まで集合願います』


「……おっと」


 などと考えていたら、次は俺が参加する百メートル走のようだ。仕方なく、アップもそこそこにスタート地点へと向かう。


 正直なところ、身体を動かすのはめんどい。おまけに、この前渋谷先輩が描いていた絵に対する疑問もあり、今日の体育祭にあまり乗り気でなかった俺であったが。


「せーんぱい! がんばってくださいね!」


 たとえ声援の主が小悪魔だとしても、女子にそう言われてはさすがに気は抜けないわな。


 ──仕方ない。チームに十点を献上すべく、ちょっくら仕事してきますかね。


 ―・―・―・―・―・―・―


「さすがだね、のんちゃん。一着おめでとう」

「……あ。夕貴──先輩」


 体育祭実行委員である夕貴が寄ってきて、一着の証である赤いリボンを俺へと渡してくる。

 百メートルを、サクッと走ってサクッと一着。短距離走だけはなぜか昔から得意な俺であった。数少ない自慢できる要素だ。


「……まあ、このくらいは」

「本当にすごいよ。普段運動してないのに、足だけは速いんだよね、昔から。陸上部に入れば大活躍できたのかも……」

「……」


 悪気はない、夕貴の言葉には。それはわかっている。だが、暗に『俺が美術部には不要な存在だ』などと言われてるように思えて、俺は一気に不機嫌な表情になった。


 当然ながら、夕貴もそれに気づいて、慌てて弁明し始めた。


「あ、ご、ごめん。深い意味はないの、気を悪くしないで」

「……別に」


 俺は渡された赤いリボンを握りつぶして、そのまま得点報告に向かうため、夕貴のそばを離れた。

 しまった、という夕貴の表情が、さらに俺をみじめにさせたのは言うまでもない。


 そうしてしかめっ面はそのままに、得点報告を終えたのち、俺はB組のエリアへと戻ったのだが。


「せーんぱい! さすがですね、このこのこのぉー」


 戻ったとたんに、華子という名の小悪魔が寄ってきて、指で俺をつついてくる。


「……なにがさすがだ」

「またまたぁ、謙遜しちゃって。陸上部の人たちよりも速いんじゃないですか?」

「んなわけないだろ。努力もしないでやれるのはここまでだ」


 華子の『さすが』という言葉に何の疑念も抱かないままブルーシートに座り込むと、前から北島美春先輩が寄ってきた。そういや、北島先輩も三年B組、同じチームだったな。


「すごいね、岸川君。去年も確か百メートル一着だったよね?」

「……ども。これくらいしかとりえないもんで」

「謙遜しちゃって。でも、岸川君がもし陸上部に入ってたら、今頃全国レベルだったんじゃないの?」

「……そんなに甘いわけないですよ。それに、毎日毎日自分の身体をいじめるなんて、ごめんです」


 またこの話題か。俺はもう不機嫌メーターが振り切れていたので、ぶっきらぼうに言い放った。北島先輩のほうも見ずに。


「確かに、先輩がもし陸上部だったらそのくらいの選手になっててもおかしくはないかもしれませんね!」


 しかし、そんな俺の心情など推し量るそぶりもなく、華子は俺の左隣に座って身を寄せてきた。


「でもー。わたしは、先輩が陸上部員じゃなくて、美術部員でよかったです!」

「……あん?」

「だってだって、わたし身体が弱いから陸上部には入れないし、先輩が美術部に所属してたからこそ、わたしも同じ美術部員になれたんですよ? だから、よかったんです。わたしにとっては」

「…………」


 毒気を抜かれた。天真爛漫というか、なんというか。そのセリフは嘘ではないのだろう。なにせ、そうのたまった張本人の華子は満面の笑みだ。


 ────運命、か。


 もしも俺が陸上部に入部していたら──あの部員勧誘イベントも起こらず、こんなかしましい後輩もいなかったのだろうか。


「……バーカ」


 少しだけ感じたうすら寒さを打ち消すかのようなつぶやき。幸いにも華子は機嫌を損ねてはいないようで一安心だ。


「そうだね、岸川君がもし美術部員じゃなかったら……」


 北島先輩も、なぜかうすら寒いような、そんな話し方をしていた。

 なんとなく心が落ち着かない空気を変えようと、俺はブルーシートに寝転んで目を閉じる。


「……とにかく、俺の仕事は終えました。チームのメンバーに期待しつつ、果報は寝て待つことにします」


 クスクス笑いが聞こえるが気にしない。この話題はこれで強制終了とさせてもらおう。


 そうして少し経ち。


『──次は、借り物競争です。参加者は、本部テント前まで集合願います』


 そのようなアナウンスが流れると、隣の小悪魔がゆっくりと立ち上がった。その気配につられ、俺も上半身を起こす。


「あー、やっとわたしの番です! じゃあ、いってきますね、先輩がたも応援お願いします!」

「結城さん、頑張ってね」


 北島先輩のエールを受け、華子はニパッと笑ってから、俺にその顔を向けてきた。どうやら応援を催促しているらしい。


「……おまえ、身体が弱いのに、大丈夫なのか?」


 それに気づいてしまったからには仕方ないので、アマノジャクを発揮した俺の気遣いを投げつけてやろう。


「見学なんてさみしいから、負担が少ない種目にしてもらったんです。そ・れ・で、他に何か言うことは?」

「……倒れない程度に頑張れ」

「わかりました、延樹教官! わたしはドジでノロマな亀ですが、亀なりに頑張ってきます!」


 二度の催促の末に俺からの応援コメントを引き出した華子は、小悪魔らしからぬ表情とともに敬礼のポーズを見せて、集合場所へと向かっていった。


「なんだかなあ……」

「ふふっ、本当に結城さんは、岸川君のことが好きなんだね」

「……はい?」


 北島先輩が目を細めながら俺に言ってきたセリフは、脊髄反射で訊き返しをしてしまう内容だった。


「本当に違うんだよ、岸川君と一緒にいるときの結城さんの雰囲気が。なんていうのかなぁ……心を許しているというか、微塵も疑ってないというか……ごめん、うまく言えないや」

「……そうですか」

「それに、岸川君がいないところでは、あんなに明るくしゃべらないんだよ、結城さんって」

「……そうですか」

「岸川君、ひょっとして、照れてる?」

「いや微塵も」

「照れなくてもいいのに」

「だから照れてないですってば」


 北島先輩、からかいモード突入である。先輩なだけにたちが悪い。意味のないやり取りにポーカーフェイスのまま困っていると、先ほどここを離れていった小悪魔が、なぜかこちらへと戻ってきた。


「のぶきせんぱーーーーい! 借り物競争です、こっちへ来てください!」


 少し息を切らしつつも、大声でそう呼び掛けてくる華子に、間の抜けた返事を返す俺。


「……俺がか?」

「わたしにとって『のぶきせんぱい』は、何人もいません。ほら、早く!」

「お、おい」


 座ったまま華子に右腕を引っ張られて、俺は慌てて立ち上がった。


「借り物が先輩でぴったりです! はやくはやく!」

「……なんじゃそりゃ」


 けたたましさのせいで、B組エリア内から集まる視線。北島先輩は曲げた指を口元に当ててクスクス笑いをしていた。まるでさらし者になった気分だよ、ちくしょう。

 ……なんでわざわざここまで来たのやら。いや、華子は他県から来たから、知り合いがいなくて他の人に声をかけづらいのかもしれないな。仕方ないから協力してやろう。


「ほらほら、疲れているのはわかりますがきびきび動いてください! なんとか入賞したいですから」

「わーったわーった、ほいよ」

「……って、借り物が主人をおいて先に行っちゃだめですってばー!」

「誰が主人だこの迷犬ハナコ。おまえ走るの遅いぞ、早くしろよ」

「わたし身体が弱いってちゃんと教えたじゃないですか。これで全力です」

「無駄口叩かなきゃもっと速く走れると思うのだが」


 軽く走っても華子との距離が離れてしまうために、仕方なくかなりスピードを抑えて並ぶ。

 それでも華子にはいっぱいいっぱいだったらしく、そこから口数がガクッと減った。


「……はい、B組、ゴールです。では、借り物の書いてある紙を見せてください」


 なんとか三位くらいには食い込めたらしい。二人一緒にゴールまでたどり着いた後、近くにいた係員の女子に華子が借り物のお題を渡す。


「……んん? ……へえ、そうですか……はあ、どうやら条件はOKのようですね。おめでとうございます。B組、三位入賞です」


 一言で言って不穏。

 借り物のお題が書かれている紙を確認した女子係員が、頭のてっぺんからつま先まで俺を値踏みするように見てきたからだ。

 背筋がぞわっとしたぞ。


「……借り物のお題は、何だったんですか? そういえば聞いてなかった」

「あっ」


 パシッ。

 気になることは即時解決。係員からお題の紙を奪い取り、自分の目で確かめてみた。


 ────するとその紙には、漢字二文字が。



【 童貞 】



「ざっけんな!!! おい係員、こんなお題考えたやつここに呼んで土下座させろ、主に俺に!」

「何言ってるんですか、このお題は楽なほうですよ? 【脱ぎたての黒ストッキング】とか、【好きな異性の靴下】とかと比べれば」

「微妙なフェティシズムをついてくるなおい! だからこれだけ遅くても三位入賞できたのかよ!?」

「そうなりますね。いやあ、お題を考えるのは楽しかったなあ」

「やっぱりてめえじゃねえかこんちくしょう!!!」


 思わず女子相手に殴りかかりそうになったところだったが、華子に止められた。


「ダメですよせんぱい! いくら外道相手でも、女子を殴っちゃったら【童貞】から【女子に手を上げる鬼畜童貞】にランクアップしちゃいますってばー!」

「やかましいわ! だいいち華子、おまえもおまえだ! なんで俺のところまで来やがった!」

「えー、だって確実な童貞男子って、先輩しか知らないですし」

「そこらへんにたくさん転がってるだろうよ!」

「寝言は寝てから言ってください、今どき高校生にもなって童貞なんてそうそういませんよ」

「……そうなの?」

「あ、不安になりました? でもいいじゃないですか、わたしで卒業すれば」

「しねえよ!」

「えー……じゃあ、来年も借り物競争で同じお題が出たら、借り出されることになりますよ?」

「借り物競争など廃止してしまえぇぇぇぇ!!!」


 今日一番の魂の叫びだ。ゴール付近でそんな言い合いをしているものだから、視線が集まるのは仕方ない。


「はいはいストップストップ。この続きは体育祭が終わってからお二人でしっぽりどうぞ」


 聞くに堪えかねたのかどうかはわからないが、先ほどの係員が俺と華子にストップをかけてきた。

 間髪入れず、このマッチポンプ女に俺の怒りの矛先が向く。


「うるせえこの諸悪の根源! おまえから先に黙らせてやろうか!?」

「あ、童貞はノーサンキューなんで」

「そんな話してねえんだっつの!」


 埒があかない。


「はいはーい、なら先輩も見返してやるために、これからわたしと保健室に行きましょー!」

「おいやめろ馬鹿保健室で何するつもりだ引っ張るなっての」

「初めてが学校ってのもいいですよね、アブノーマルっぽくて。では、カリ物競争、第二ラウンド開始です!」

「やーめーてーーーーー!!!」


 身体から力が抜けた俺はいいように華子に引っ張られ、グラウンドを後にした。


 華子に引きずられつつ、俺は『本当に、そこら辺に童貞などそうそういないのだろうか』ということを、しきりに気にしていた。


 ────そんなこと、ないよな……?

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