ふとよぎる不安

 やがてスカウトマンの背中が見えなくなった。


 それから俺の右腕に抱きついたままの華子が、上目遣いをしながら呼びかけてくる。


「……せんぱい」

「……なんだ?」

「さっきの先輩には、百点あげます。よくできました」


 華子から初めて出された百点満点だが、あまりうれしくはない。ただ乗っかっただけだしな。

 だが、それはともかくとして、アイドルのスカウトって、わりと女子なら夢見るものじゃなかろうか。


「……なあ、本当に良かったのか?」

「なにがですか?」

「スカウトの話、蹴っちゃって」


 俺は改めて華子へそう訊いてみた。


「わたしの夢が『アイドルになりたい』だったらよかったんですけどね」


 華子は俺と目を合わせずにそう返してくる。少しだけ、俺の腕に回した力が強くなった。


 夢……か。


「……華子の夢って、いったいなんなんだ?」

「なんですか、やぶから棒に」

「いや……なんとなく、気になって」


 将来のことは何もわからないとしてもだ。

 華子だってこの世に生を受けたからには、何かしらやってみたいこと、なってみたい未来の自分のビジョンがあって普通だろう。


 そう考えると、俺は普通じゃないのかもしれない。夢だの未来だの、思い浮かぶことすらない。今の俺を縛っているのは、後悔してもしきれない過去の出来事だけだ。


 愛美を救えなかった、何もできなかった自分。

 きっと何かあったであろう、愛美が抱く夢。それも、あの日にすべて叶わぬものとなった。


 俺は、愛美とともに、夢を失ってしまったのかもしれない。

 自虐的な――厭世的な考えが頭をよぎる。だからこそ華子の夢の内容が気になった。


「そうですね、とりあえず今の夢は、延樹先輩と赤ちゃんを作ることです」


 ――――訊くんじゃなかった。後悔ってのは後に立つもんだ。


「俺は大真面目に聞いてるんだよ!」

「わたしだっていたってまじめですよ。さっきの話はともかくとしても、人間いつ死ぬかなんてわからないんです。生きてるうちに、自分がこの世に存在したという証を残したいじゃないですか?」

「……」


 以前、それは確かに華子に聞いた。

 命なんて儚い。真剣に同意する。


 まあ、それはそれとしてだ。その相手は俺じゃなくてもいいと思う。

 今まで何度か繰り返されたやり取りではあるが、そのあたりだけは心底理解できない。


「……なんで、俺なんだ?」


 俺の至極当然な問いかけを聞いた華子が、掴んでいた肘に逆関節技をめてきた。


「わたしには、運命に逆らうことなんてできませんから」


 ――――まただ。


 華子の口から飛び出す『運命』というワードも、これまで数回確認してきた。だが、今回のそれは、今までよりも少し重い。


 あれは運命の出会いなんだろうか。

 単に部活勧誘がうまくいかなくて、たまたま俺が独り言を言って、たまたまそれを華子が耳にして、たまたま愛美という共通の人物がいて。


 確かに、愛美が取り持つ不思議な縁、と言えなくはないにしても。


「偶然が重なっただけのことだろ」

「偶然じゃなくて必然だと思いますけど。運命の前では」

「……逆らっていいか?」

「何言ってるんですか。運命は逆らうものじゃなくて受け入れるものなんですよ。その中で、自分にとっての最適解を導き出すのが幸せの追求なんです」


 軽いジャブを打ったつもりだが、ますます華子の返答が重くなる。俺はどう返していいかわからずにひたすら考え込む中で、ふとさっき華子がスカウトマンに告げた言葉を思い返した。



『……実はわたし、お医者様から『きみは二十歳まで生きられない』と告げられています』



 今まで、こいつが俺の前で見せた演技は、すべてにおいて大根役者ぶりを発揮していた。


 ――――それが。


 スカウトを断るという目的があったにせよ、スカウトマンが事実として受け入れてしまうくらいの迫真の演技が、突然できるものなのだろうか。しかもアドリブで。


 どうせウソだなどとタカをくくっていたさっきとはうってかわって、確認せずにいられなくなるくらい心がざわめきたつ。


「なあ」

「なんですか? またまた」

「さっきの、二十歳まで生きられない、ってのは――」


 ――――本当か?


 こんなに明るくて、ビッチで、けたたましくて、俺を散々振り回す。

 小悪魔のような華子が、あと五年も生きられないなんて、そんなわけがないと。


 たとえ百パーセント、あの場をやり過ごすためのウソだったとしても。俺は、明確に華子の口から否定の言葉を聞きたかったんだ。


「……そんなわけ、ないじゃないですか。だいいち、そんなに身体が弱かったら高校にも通えませんし」


 期待通りに近い、俺の心を楽にするような華子の返答だ。だが、目を見ずにそう告げてくる、という違和感があり、疑惑はまだぬぐえない。


「今度は……嘘じゃないだろうな?」


 募る不安は俺の問いただし方にも出てしまっている。


 少し、間が空いた。


 ――――華子が即答で返事をしないだけで、何故こんなにも俺は平静を保てなくなるのか。

 自分で自分がわからなくなっていた時に、華子は今度は俺のほうをきっちりと向いて、不意打ち発言をぶっ飛ばしてきた。


「嘘を言って何になります? それに、そんなに身体が弱かったら先輩と子作りできないじゃないですか。最中に死んじゃいますよ?」


 不意打ちが見事にヒットし、膝カックンされたかのように沈み込む俺の身体。


「作らねえよ!」

「作りましょうよ。せっかくだし」

「なにがせっかくなんだ!」

「そうですね。せっかくじゃなくてせっくすですね、あははー。まあえっち中に死ねたらきっと幸せですよ」


 悪びれずのたまう華子を、力いっぱいどつきそうになった。落ち着け俺、自制心自制心。


「おまえはやりすぎて最中に死ぬのか」

「やだ……先輩ったら、私が死んじゃうくらいやりまくるつもりですか?」

「やらねえよおまえとは! しれっと俺を相手にして巻き込むな!」

「そんなに恥ずかしがらなくてもわかってますよ。だから先輩はわたしに『死んじゃう! 死んじゃう!』って言わせるくらい、気持ちよくしてくださいね?」

「そっちの昇天の話にすり替えるな痴女ビッチがぁ!!!」


 結局こうなる。俺と華子は本当にシリアスが持続しない。


 そうしてうやむやのうちにいつもどおりに戻ってしまったが――――もし、華子が突然死んでしまったら、俺はどうなるのだろう。


 最近忘れかけていた、愛美を失った時の言葉にできない絶望感。あれがもう一度襲ってくるとしたら、きっと俺は壊れてしまう。


 まだわからない未来に対する一抹の不安は、その日の俺の脳内から消え去ることはなかった。

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