二人の日


 遠くで何かが焼ける音が聞こえる。

 弾ける音、焼ける音。


 ――料理の音だ。


 眠っていた宗助は、キッチンから聞こえるその音で目を覚ました。

 ベッドから降りて部屋を出てリビングに向かう。

 開かれたカーテンからは朝日が差し込んでいた。

 差し込む光の先にあるキッチンには、制服の上からエプロンを付けた真理がいた。


 長い髪の毛を後ろに束ねて、フライパンを傾けている。

 フライパンと一緒に、彼女の髪の毛も左右に揺れる。

 その様子を宗助はぼんやりと眺めていた。


「あ、おはよう」


 フライパンを置いて、顔をこちらに向けて真理が言う。

 にこりと笑っていた。

 誰かに朝ご飯を作ってもらうのは、いつぶりだろうか。

 一人でない朝は、何日ぶりだろうか。

 四人用のテーブルの上に並べられる、二人分の朝食を見ながら、ふと、そんなことを思った。


「いただきまーす」

「……いただきます」


 テレビはつけなかった。

 一人の静かさはもうなかったからだ。


◆◆◆


 昨日のあれは何だったのか。


 夏の日差しに溶かされながら通学路を歩く雅は、昨日の事を思い返す。

 塾の帰り道、河川敷の高架下を歩いている最中に、急に気を失った……らしい。

 倒れている自分を、空値真理が自宅まで運んでくれたそうだ。

 

 玄関先で真理と話した母が言うにはそういう事らしい。

 寝不足ゆえの過労ではないかと母に言われた。

 寝不足なのは事実だし、それが原因で疲れていたところもある。

 だが、それが原因の全てかと言われると、どうにも納得しかねるような気もしていた。

 あの暗闇の中に真理がいた気がした。

 

 とぼとぼと歩いていると、また信号のところで宗助を見つけた。

 ただ、今度はその横に真理もいた。

 

 雅は歩く速さを緩めた。

 遠くから二人の様子を眺める。


 楽しそうに話をしている。話題は何だろうか。

 断片的に聞こえるのは、ご飯の話らしかった。それから、もうすぐそこまでに迫ってきている夏休みの話。

 

 最初、雅は真理が宗助にとって、良くない存在なのではと思っていた。

 学校を案内した時から、彼女は宗助にやたらに絡んできて、その後も彼に付きまとい続けた。


 けれども、と雅は宗助のちらと覗く横顔を見る。

 そこにあったのは笑みではなかったが、しかし久しく見ていない穏やかな表情だった。


 ――これで、良かったのかもしれない。


 信号が変わる。

 二人が渡る。


 後ろをゆっくりと歩く雅の前で信号は赤に変わって、雅はそこに取り残された。


◆◆◆


 今日はどこにいくのか、と何だか久しぶりに聞いたようなセリフを、真理は授業が終わるなり宗助に言っていた。


 ホームルームも終わり、みんながいそいそと帰宅するなり部活に向かうなりする中で、真理はにこにこと笑みを浮かべながら宗助の横にいた。

 着席したままの宗助に対して、真理はすでに立っていて、ん? と覗き込むように、宗助を見つめていた。

 かしげた白い首を、垂れた彼女の黒い髪が隠している。


「――買い出し、スーパーだよ。そろそろ買い足しておかないと、晩御飯が危なそうだし」

 宗助は家の中の冷蔵庫の中身を思い返す。

 冷凍食品のどれもこれもが、そろそろ尽きかけていた気がする。特にパスタは、もう無かったはずだ。

「うち、一人分で計算してたから」


◆◆◆


 近所のスーパーに入る。

 二階建てで、一階が食品売り場の普通のスーパーだった。

 二階には簡単な服売り場やら、家具やらが売っていたはずだ。

 正直、その辺りはネット通販で済ませているので、あまり利用してはいなかった。


 自動ドアが開く。

 入口付近に置かれた果物たちの香りが出迎える。


「おぉ~」

 当然……なのかは分からないが、横で真理が新鮮な反応をしている。

 そんな真理を無視し、宗助はカートを引き出してかごを上に乗せる。

「何それ」

 きょとんと首をかしげる真理。どうやら彼女が見ていたドラマだの映画だのには、こういうシーンは無かったらしい。


「買い物かごだよ。これなら一気に運べて便利だろ」」

「おぉー、なるほど」

「今日はいつもの倍は買うことになりそうだし」

 そう言って歩き出す。


 後ろで小さい子供の声がした。

 ちらと見ると、幼稚園児くらいの子供が母親に手を引かれていた。

 早く進まないと後ろの迷惑だなと、宗助は歩き出した。

 けれども彼女の横にいた真理は、じっとその親子を見つめているだけで動かなかった。


「行くぞ」

 宗助にそう声をかけられて真理は、あぁ、と小さく返事をして歩き始めた。


◆◆◆


「そういえば、キミのお父さんについて聞いていなかった」


 向かいに座る真理が、かちゃりとスプーンを皿の端に乗せていった。

 皿の上には山盛りのカレーがあった。

 普段は冷凍食品で済ませていた宗助だったが、真理の希望によりその日の夕飯は手作りとなった。

 メニューは定番のカレー。


 宗助の自宅に戻ってきてから、見よう見まねでどうにかカレーを調理したのだった。

 途中何度か真理が加減を間違えて、自分の腕を両断するというトラブルもあったが、どうにか形にはなった。


「父さんの事は、良く分からない」

 宗助は真理の問いに正直に答えていた。


「アンシャルっていう会社の社長らしいことしか知らない」

「性格とかも……?」

「一番分からない……。何が好きとか、何が嫌いとか、どんな夢があるとか」

「そうか……」

 申し訳なさそうに真理が目を伏せる。


「もう直に会うよりも、テレビで見た時間の方が長くなっちゃったな」

「キミのお父さんは、有名人なのかい?」

「一応ね。空値はこっちに来たばかりだから知らないかもしれないけど、アンシャルって言えば、医療業界の大企業なんだよ」

「医療……」

「父さんは医学者なんだよ。人を、あらゆる手段でもって救う研究をしてるんだって」

 テレビで言ってた、と宗助は付け足す。


「あらゆる……っていうのは、手術とか以外も、ってことかな?」

「あぁ。今は医療用のサイボーグを研究してるみたい。無くなった手足とか臓器を、機械で補う技術だってさ」

「へぇ~。009みたいだね」

「加速装置はまだないだろうさ。――案外、父さんももうサイボーグだったりしてね。研究してるのは医療用らしいけど、父さんの頭の中じゃ、その技術は障がい者だけのものじゃないって言ってたしね」

「攻殻機動隊の世界みたいだね」

「……お前の参考書、偏ってないか」

 そうかな? と真理が首をかしげる。


「ちなみにお母さんはどんな人だったの?」

「……普通の人、だったと思う」

「――思うって……?」

「あんまり覚えてないんだよ。ただ、小さい時のトラウマっていうか、妙に覚えてるのは、大昔のヒーローが好きだったってことかな。手から火を出すやつ」

「なんでそれだけ?」

「さぁ。多分、母さんが何を好きかなんて、それくらいしか分からなかったから、それだけは覚えてたんじゃないのかな」

「ふぅん」

「後になって番組のことを調べて、主題歌とかも買ったりした。なんとなく、だけどね」

「お母さんのことを知りたかった……とか?」

「どうかな。まぁ、それもあるんだろうけど。ちょっとズレてるけど、母さんが僕のことをどう思っていたのかを知りたかったのかもしれない。曲聞いたところで何かが分かることもないんだけどね。ただそれでも、近くに行きたかったんだろうね」

「キミの親だろ。どう思ってたかなんて、決まってるんじゃないのか……?」

「……さぁね」


 スプーンを口に運ぶ。


「っていうか、やたらと聞いてくるね」

「これも仕事のうちなんでね。キミたち人間の事を調べるのも、ワタシの仕事の一つなんだ。情報を集めて、彼岸で母体に送ってるんだ」

「彼岸……?」

「キミたちの世界と、ワタシたちの世界の中間の地点さ。物理的に行くことは出来ないんだけど、アノマリーであれば、睡眠中に意識をそこ飛ばすことが出来るんだ。平たく言うと、夢の中、かな」


 カツンと真理がスプーンで皿の真ん中を叩く。

 カレーをライスとルーにぐいと分けて、出来た空白を叩きながら「ここが彼岸」と補足した。


「……夢女」

 ふと、その言葉を宗助は思い出した。

 そういえば夢女は夢の中に現れるのだったか。


「あの怪物はそのルールを利用して、アノマリーを探してた。アイツも彼岸に行ける。だからそっちで張って、来た奴を観察して特定し、現実世界で襲ってたんだ。無論、ワタシも彼岸を散策して、いろいろ探したんだけどね。結局、二人くらいしか見つからなかったし、アレの犯行を止めることも出来なかった」

 どことなく暗い顔の真理に、宗助はかける言葉を見つからなかった。

「でも、それだとアノマリー候補は見つかっても、そいつの場所までは分からないんじゃないのか……?」

「敵は複数人いるんだろう。多分、ほかの誰かが現実世界のターゲットの居場所を調べてるんだ」


「そういえば」

 ふと、今更ながらに思い出したことがある。

「お前って、いつか帰るの……? なんていうか、お前らの世界に」

「う~ん……。『帰る』っていう表現は少し違うかもだけど、まぁ、仕事が終われば消えるよ」

「消える、って?」


「文字通りだよ。ワタシは消える。消滅するんだ」


「……死ぬってこと?」

「あぁ。キミたちに合わせて、この体を用意したけど、定着しちゃう仕様で、元の世界には帰れないんだ。だから、仕事が終わったら、この体ごと消滅する予定だよ」

 さも当然のように言い放つ真理を前に、宗助は次の言葉が出なかった。


 ただ漠然と、

「怖くないのか」

 と聞くことしか出来なかった。


「全然」

 宗助が絞り出した質問に、真理はあっけらかんと答える。

「それが必要なら、そうするまでさ」

 カレーを作っていた時と、ほとんど同じ表情で言う。


「――いや、本当は怖いはずなんだろうけど。たぶん、キミたちを真似るときに、心を作るのに失敗したんだろうね。ほかの全ての仲間のために死ぬことを、当然の事と受け止めてしまっている。ワタシたちは、なんというか、合理主義の化身のような種族だったからね。そこが残ってしまったんだろうね。できそこないなんだよ、ワタシは」

 実際、夢女と戦うまで、心の成形は完了していなかったみたいだし、と真理が付け足す。


 言われてみれば、真理は出会った頃よりもどこか人間臭さが増している。

 一応会話も成立しているし、あの頃のような得体のしれない溝も感じない。


 だから。


「僕は――」

「ん?」

 頬杖をついたまま、真理が宗助を見つめる。


「お前に消えてほしくは、ない」

「……嬉しいこと言うね。今のはちょっと嬉しかったよ。――そう感じる心が正常だってことを祈るばかりだけど」

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