第28話 王子暗殺

 城には出入り口が多数ある。一般人向け、貴人向け、商人向け、罪人向け、そして王族向けのものだ。王族が出入りする門は、パフォーマンス向けの一つを除き、極めて地味に作られている。暗殺の危険を減らすためだ。

 今スヴェンがいるこの場所も、そんな地味な出入り口の一つだった。

 煉瓦を組み合わせただけの城門前で馬車の準備をしていると、王子がクリスを伴いやってきた。たった二人で、だ。スヴェンは眉をひそめる。


「王子、他の者は?」


 この日は王子が外出することが公に知られている。テロの危険もあった。そのため王子の直属護衛隊である君影隊の隊長スヴェン、副隊長クリスに加え、第二分隊がまるまる同行する予定だったはずだ。

 しかし王子はまるで散歩にでも行くような、気軽な様子で答えた。いや、まあ散歩に気軽に行くのも正直やめてほしいのだが。


「いらないよ。墓地はそんなに遠くないし」

「いりますよ。向こうで一泊しますし、それなりに遠いです」

 馬車で三、四時間だ。

「えー。だってさぁ、墓参り目的に行くならいいけど、僕の護衛に大勢引き連れて、兄上の寝所をうるさくしたくないもん」

「何かあったらどうするんです」

「そのときは、よろしく頼むよ。隊長殿」

「王子!」


 スヴェンの叱咤などどこ吹く風。王子は鼻歌交じりに馬車に乗り込む。御者がどうしたものかと視線を彷徨わせ、スヴェンに困った顔を向けた。

 はぁ……。


「クリス」

「説得しました。俺すごく頑張りました。でも無駄でした」

 スヴェンの低い声を受け、クリスが死んだ顔で流れるように言った。


「……エミールに伝えろ。第二分隊を率いて、先に墓地に行け、と」

「それなら既に」

「それについて、王子は何か言ってたか?」

「何も。だって教えてないですし」

 クリスはさらっと言ってのける。


「大丈夫ですよ。エミールはうちの隊員でもかなり温厚で平和主義な性格です。だからたぶんナサニエル王子のことは心から尊敬していて、自分とこの隊員を引き連れて、勝手に墓参りに行ってるだけです。

 そこでたまたま王子に出くわしても、それは偶然です」

「……まあ、仕方ないな。なるべく静かに、見つからないようにすれば、王子もとやかくは言わないだろ」


 王子とて、そのくらいのことは想定しているだろうし。

「おーい、スヴェン、クリス。まだ出さないの?」

 馬車の窓から顔を出して、馬鹿王子が手を振る。スヴェンとクリスは互いに頷き合い、馬車に乗り込むと、王子の両隣の席を固めた。







 王家の墓地は、とても見晴らしの良い美しい丘にあった。いや、それは正確ではない。この丘そのものが、王家の墓なのだ。

 丘の上には立派な石碑が設けられており、そこには初代国王、セオフィラスを筆頭に、歴代の国王たちの名が刻まれている。その末席には、ナサニエル王子の名もあった。


 王子一行が墓地に着く頃には、空は赤く染まっていた。日中はセレモニーがあったので、出立が遅れたのだ。王子は真っ先に丘の上の石碑に行くと、立派な花束を生け、静かに手を合わせた。スヴェンとクリスが一人ずつ、順に王子に倣って黙祷を捧げる。


 ディーデリックは公務をサボることもあるし、やりたい放題のワガママ王子であるが、それを除外して考えても多忙だ。実の兄の墓参りにだって、そう頻繁に来れるわけではない。積もる話もあるのだろう。心なしか、祈る王子の横顔が幸せそうに見える。


 ふと、誰かの視線を感じた。勢いよく振り返る。後ろで縛った髪がスヴェンの顔の動きに合わせて鞭のようにしなった。

「どうしたんです?」

 クリスが緊張感のない声で聞く。スヴェンは木立の向こうに視線を這わせ、確かに誰もいないことを確認した。……気のせいか。

「いや、なんでもない」

 スヴェンは大きく息を吐いて、視線を王子に戻した。


 たっぷりと時間をかけて祈りを捧げる王子を、スヴェンとクリスは黙って見ていた。やがて王子はパッと立ち上がると、後ろを振り返りにっこりと笑った。

「おまたせ。あとは明日にしよう」


 この日訪れたのは、『王家』の墓だ。この丘の内部にはセオフィラス初代国王の墓と、直近百年までの王族の墓が別途で設けられている。明日はそちらへ行き、ナサニエル個人の墓参りをするのだ。

 王家の墓地のすぐ近くには、墓参りに来た王侯貴族が泊まるための施設がある。それは厳重なセキュリティーに守られた家であるが、無論のこと王城に比べれば警備は薄い。


 翌日に備え、早めに床に就く王子の部屋の前に座り込み、スヴェンは周囲を警戒していた。スヴェンの担当は深夜三時まで。それから朝まではクリスの担当だ。

 気味が悪いほど静かな夜だった。墓地周辺の空気がそうするのか、それとも民家が近くになく、人の気配が希薄であることが原因なのか定かではないが、どことなく薄ら寒い気配すら感じる。


「……ん?」


 そろそろクリスを起こそうかと考えていると、王子の部屋の中で、何か物音がした気がした。無論、王子が寝返りを打っただけかもしれない。あるいは王子が普段隠している悪魔の触覚を伸ばして、息抜きしているだけかもしれない。それでもスヴェンは警戒心をあらわに、全神経を尖らせて部屋の中の様子を探った。

 気のせいではない。部屋で何かが動いている。

 王子の寝返りだったなら後で謝れば済む話だ。万一の想定を優先しなくてはならない。スヴェンは大げさな音を立て、扉を開け放った。こうした事態を警戒し、王子には鍵はかけないようにと厳重に頼み込んでおいたのだ。


 部屋の中には王子の他に、見知らぬ人影があった。

 それを視認するや否や、スヴェンは腰の大剣を抜きはなった。この部屋は十分な広さがあるため、スヴェンの大きな剣でも問題なく戦える。

 一呼吸のうちに、最小限の動きで侵入者に迫る。鋭い突きが侵入者の喉元に食い込む。勝った、と思った途端、スヴェンの剣は跳ね除けられ、侵入者は大きく後ろに跳んだ。


「スヴェン!」

 王子がベッドの上に起き上がって叫んだ。「ご無事ですか、王子」と答えつつ、スヴェンの意識は侵入者に集中していた。王子が無事なのは、部屋に入ってすぐに確認していた。


 侵入者は思いの外小柄だった。身の丈百六十センチもないかもしれない。筋骨隆々というわけでもなく、むしろ華奢だ。騎士よりも、はっきりと暗殺者タイプの人間であることが見て取れる。黒くゆったりとした服を身にまとい、おそらくその外套の下にはたくさんの武器を隠し持っているのだろう。フードを目深にかぶっているため、髪の色も目の色もわからない。


 スヴェンはミミズが這うような速度で足を動かし、少しずつ侵入者を逃走経路から外していった。窓はスヴェンの真後ろだし、奴が扉へ向かおうと動けば、スヴェンはそれに追いつける。

 時間はスヴェンの味方だった。眠っているクリスがこの事態に気づけば、二対一になる。クリスは執務室では居眠りの多い男だが、不思議と非常事態には目覚めの良い男であることを、スヴェンは知っている。


「何者だ」

 問うが、侵入者は答えない。もともと答えを期待していたわけではなかった。捕らえてから拷問して吐かせた方が早いだろう。


 答えの代わりに、侵入者は懐から二振りの短剣を取り出した。訓練された人間であることが一目でわかるほどの熟達した動作で短剣を投擲する。短剣は唸りを上げ、スヴェンの急所めがけて飛んでくる。

 スヴェンは一本を短剣で弾き、もう一本を体捌きで避けた。その瞬間、侵入者が扉の方へと駆ける。


「逃がすかよ!」

 叫び、体を向けると同時に、侵入者が進行方向を変え、スヴェンに向けて突撃してきた。懐に忍ばせた両手のそれぞれに、先ほどより少し長い剣が握られている。迫り来る二本の剣を、スヴェンは己の剣で防いだ。しかし侵入者はあっさりと身を引くと、手数を生かし、ヒットアンドアウェイを繰り返す。

 膂力はスヴェンの方が明らかに上だ。しかし侵入者はそれを承知の上で斬り込んできている。時にはわざと剣を弾かせ、その勢いを利用するように、猫を思わせるしなやかさで、全身を駆使して戦った。重戦士寄りの戦い方をするスヴェンとは対照的な動きだ。どうやら足にも仕込み刃があるらしい。全身に武器が仕込まれていると考えた方がいいだろう。


(……待て。この戦い方、どこかで)

 それが何であったか思い出すより前に、侵入者の容赦ない斬撃がスヴェンの思考を途切れさせた。油断したら殺される。それほどまでに奴は強かった。


「王子! 隊長!」

 そのとき、巨大な槌を持った部下が遅ればせながらやってきた。スヴェンの意識が寸の間クリスへ向く。その瞬間、侵入者の殺気が膨れ上がった。これまでより重い一撃がスヴェンの頭部めがけて振り下ろされる。それを防ぐと、奴はそのままスヴェンの頭上を通って、スヴェンが背後に隠していた窓へ駆ける。

「……!」

 侵入者は窓から身を躍らせ、夜の闇に溶けて消えた。それを見届けたクリスが慌てて外へ出て行く。


 しかしスヴェンは、痺れたようにその場から動けなかった。侵入者が出て行った窓を眺め、しかしその目には何も映ってはいなかった。


 ――スヴェンさあ。


 脳裏に、声が蘇る。


 ――殺気ぶつけられると、動きが固くなるよね。そりゃ、重い一撃が来るんだろうから、警戒するのもわかるけど、それじゃあ次の動きに行くのに時間がかかるじゃない。その癖、直した方がいいよ。


 そのときスヴェンは、反論したはずだ。重さと軽快さはどうしたって反比例する。スヴェンの戦闘スタイルと彼女の戦闘スタイルは、真逆なのだ。優れた技術で振るう刃よりも優れた腕力で振るう刃の方が、破壊力がある。そうしたスヴェンの言い分も事実ではある。


 そう、彼女だ。思い出した今は、なぜ先ほどは気づかなかったのか疑問に思う。もう、そうとしか考えられない。あの太刀筋は、彼女のものだ。それに侵入者は、男にしてはかなり小柄だったではないか。


(まさか本当に……ナディア、か?)


 抜き身の大剣をぶら下げて、スヴェンは生唾を飲み込んだ。夜の闇に紛れて消えた彼女の代わりに、クリスと、おそらくエミールたちが騒ぎ立てる声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る